「っん、ん、っ、っあ」
「万智、万智っ、気持ちいいっ」
そう言った冬織は下から俺の腰を突き上げてくる。
俺は騎乗位の状態で小さく喘ぎながら、彼の腹の上で快感に体を震わせていた。
あの日、あの寂れたラブホテルで、俺は冬織に抱かれた。
初めてだったアナルセックスは冬織のおかげで痛くはなかった。
それは彼が丁寧に紳士的に抱いたからだ。
しかし、俺は抱かれた時の記憶があまり残っていない。
ずっしりとした泥のような身体の倦怠さは残っていたが、記憶の方はぼやぼやと霞んでいて、何をどうしたかとか一切思い出せない。
ただ、目が覚めた時、冬織が俺の隣で穏やかに寝ていたのを見て、これは現実だったと再認識した。
−−−それから街に戻ってきて。
「万智っ、万智!ねぇ、名前呼べよ、万智っ」
「ひ、ひぃ、っく、冬織ぃ…っ!」
冬織は俺の腰を掴んでより一層深く俺の後孔を自分の性器で突き立てる。
ググッと入った冬織のちんこが俺の奥を無理矢理貫いて、身体が大きく反り返った。
「あああっ!!」
「っく、万智っ……!」
寝転がった冬織の腰の上で絶頂を達した俺はぎゅうぎゅうと冬織の性器を締め付ける。
冬織も限界だったようでぶちゅりっと弾け出すようにコンドームの中へ吐き出した。
「っはぁ、ぁ、はぁ、はあっ。冬織。抜いて…」
「んっ…」
俺が腰をやんわりあげると、冬織はコンドームごと俺の尻から性器を引き抜いた。
脱力感に見舞われる。
そしてどこか現実味のない感覚も。
それは何回抱かれても同じものだった。
「万智、気持ちよかった。好き、好き、好きだ。万智も好き?」
冬織は射精後のコンドームも外さずに、俺の顔一面にキスを振り撒いてくる。
俺はまた覆い被さってくる冬織を適当にあやすように髪を撫でて好きにさせた。
再び唇を合わされて深くキスを交わす。
口内を舐め回す冬織の舌に、俺も頭空っぽでそれに応じた。
「万智、なぁ、万智」
冬織の甘えた声は次第に焦りと悲壮感が含まれ始める。
俺が冬織の問いに答えようとしないからである。
好きと言って、という言葉を頭の中で反芻する。
俺はやんわり冬織の体を退けて、床に落ちたシャツを拾い上げた。下着や制服なども一つ一つ拾い上げ、ベッドから身体を起こしては丁寧に身に纏う。
…不意に、シャツを引っ張られた。
「万智…?」
ベッドから見上げる冬織の眼球が俺を凝視して煌めいていた。それは光っているようで睨んでいる。
「万智、帰るの?」
「うん。おじさん帰ってきちゃうから」
「またおじさん?万智の恋人は俺じゃないのか」
「しょうがないよ、おじさんは俺の保護者だもん」
「……」
冬織は静かに黙り込んだ。
冷えたこの温度感はどこまでも冬織の内心を象徴している。
「万智、俺殺しちゃうかも」
さらりと脅迫され、俺は不謹慎にも笑いが溢れてしまった。殺すなんてさせない。殺されてたまるものか。この生活が守られるならいくらだって身体をくれてやる。
俺は服を離そうとしない冬織の左手をそっと優しく撫で上げた。
「冬織、俺も好きだよ」
白々しく嘘が出た。
にっこりと笑ってみせれば、冬織は俺の真意など気づかず、不安そうにしていた顔をあっという間に高揚した甘い顔へ変えた。
「うん。俺が万智を守るから」
それは一体何から?
俺は脅迫犯の言葉を笑顔で聞き捨て、部屋を後にした。
**********
「おじさんただいま」
「あぁ、万智おかえり」
玄関を抜けてリビングに行けば、おじさんはソファに座って何やら新聞を読んでいた。
新聞を読むおじさんは珍しい。いつも慌ただしいおじさんはこうやってゆっくり活字を読むことも少ないからだ。静かに寛いでいる場合はおじさんの仕事が休みの証拠だ。
「おじさん、おやすみになったの?」
「ああ、そうなんだ。連休をもらってね。随分久しぶりだよ」
「へえー。クリスマス近いからかな?」
「そうかもしれないなぁ」
おじさんは目尻に皺を寄せて笑いながらそう答えた。
連日忙しかったせいか、まだクマは残っているが、おじさんはあくまで穏やかにそこで笑っていた。
「そういえばな、万智。白い海って知ってるか?」
「白い海?白い砂浜じゃなくて?」
「そうだ、白い海だ。ここから遠いんだがな、あるらしいんだ」
「へえ、初めて聞いた。白い海なんてあるんだ」
「そうだ。……万智、これからその白い海、行ってみないか?」
荷物を片付けていた手が止まった。
…おじさんが連れていってくれるの?
俺たちの関係は特殊なあまり、外出というのは今まで一切してこなかった。数年以上暮らしてきたが、おじさんが誘ってくれたのも数回程度しかない。
おじさんの方をじっと見つめれば、おじさんは俺を見てはにかんだ。
「一緒に白い海へ行こう」
「…うん」
頷いて、俺は荷物を片付ける手を止めた。
素直に、是という言葉が漏れた。
荷物を片付ける代わりに暖かいコートと手袋を探しにいく。白い海という場所はここから遠い場所で非常に寒いらしい。おじさんのトラックに乗って、長旅だそうだ。
それでも、俺には不安も不満も嫌な気分も全くなかった。
どこか晴れたような、明るい気持ちだった。おじさんとどこか遠くへ行けることに俺はただ単純に嬉しかったのだ。
おじさんと行けることが。
おじさんの読んでいた新聞を机の上に置き、コートを羽織って手袋をはめる。振り返っておじさんの方を見れば、おじさんは小さな身体を丸め込んで荷物をかき集めている。
おじさんは、いつものダウンの作業着をきて、手には軍手をはめた。
おじさんの準備もそろそろ終わりそうだ。
俺は、一足先に玄関へと向かった。先ほど履いて帰ってきたスニーカーを再度履いた。
白い海、それはどんな場所なのだろうか。
−−−外に出ようと、ドアノブを回そうとした時、ダンダンッと扉が鳴った。
誰かがこの家に訪ねてきた。
どうしてこの家に?
俺はそれに不信感を抱きながらも、どうせこれから出かけるのだから、と扉を開ける。
大きく玄関ドアを開ければ、背の高いシルエットが見えた。
「こんばんは、万智」
「、っふゆ、おり…」
驚いて声がひっくり返って上擦った。
冬織が家に訪ねてきたのは、あれ以来初めてだった。雪も降る季節になってきたのに、冬織はコートも羽織らず、制服姿で立っていた。
「万智、迎えにきたよ」
「は?なにを、」
不自然なほど笑顔を見せた冬織は一瞬だけだった。
言葉が言い終える前に、グシャリと音がした。
右側部分の脳みそがガンガンと鳴り響き、後から鈍い痛みと暖かい液体が頭部から侵食し始める。
笑顔の冬織が一瞬だけ見れたのも、俺が地面に倒れたせいだった。
身体は全身痙攣し、視界が次第に赤くなっていく。見える景色は床だけで、冬織の革靴がすぐ目の前を通っていった。
「万智、もうすぐで助けてあげられるからね。それまで痛いの、死ぬの、我慢してね」
冬織が俺に何を問いかけているのかもわからない。多分脳震盪を起こしている。地面に倒れているのに、目の奥はグルグルと回りまくって、吐いてしまいそうだ。考えたくても、思考したくても、そんな余裕などなかった。
ただ、冬織の革靴が遠ざかって行くのだけは目端に見えていった。
冬織が歩くたびに、古んだ床はギィギィと鳴った。
「…どうも万智のおじさん、初めまして。そして、さようなら」
………もっと鈍い音だけが響いていた。
意識が暗くて、前が何も見えない中、音だけが微かに聞こえた。
叫び声も上がらず、淡々と鈍器で殴られる音。グシャグシャと潰れる音だけが響いて、何も見えなくて、ただ怖い暗闇におじさんが食われる音だけが響いていた。
もう目の前は見えなくなっていた。何も見えない。赤くはない、ただ暗くて黒いのだ。
音は止んで、一人分の足音だけがまたこちらに戻ってきた。
「白い……海…、行ける、か、な…」
一つ枯れた息とともに、そう言葉が漏れた。
白い海とはどんな景色なのだろうか……。
ギィ、という床が軋む音ともに、人の気配が感じられる。
何かが俺に近づいては、浅く呼吸して囁いた。
「万智、ばかだな。白い海は死の海。骨でできた海だよ」
−−−白は、どこまでも遠くにあった。