白後


静かにドアが開く音がした。


俺の見える景色は半分白い。
冬織がこちらに寄ってくるのが左半分の目から見えた、


「万智、ご飯の時間だよ」

冬織はあの時よりも髪が随分長くなり、背も5センチほど伸びた。
10年も経ったのだ。昔の幼い面影はすっかり抜け切った。


俺は半分しか見えない眼で冬織の顔をじっと見つめる。

やけに冬織の顔を見つめていれば、冬織が不思議そうにこちらを覗き込んだ。


「どうしたの?…もしかして今日のご飯のこと考えてた?ふふっ、シチューだよ」

冬織は笑いながら、持ってきたお盆と皿を机の上に置いた。
白衣の皺を伸ばして、俺の前にあった椅子に冬織は座った。

どうして昔のことなんか思い出していたんだろう。冬織が伸ばしてきた手が顔に触れて俺は目を閉じた。

「…万智、口を開けて」


言われた通り口を開ける。冬織の顔が近づき、胸元にあったライトを持って、俺の喉奥を覗き込む。
カチカチとライトの音と、首元に微かな万智の息がかかる。

「…うん、今日も大丈夫そうだね。それじゃあ上半身を脱ごうか」

喉の検診は済んだらしい。
俺は言われた通り、左手で上着のボタンを外した。

冬織が服を引っ張っては、脱がし、中に着たシャツも丁寧に脱がされる。


上半身裸になった俺を見て、冬織は首に吊るした聴診器を持ち直した。

「万智、痛いところは?」
「おかげさまで、ないよ」
「右肩はうずく?」
「あまり。どちらかと言うと右目の方が変な感じ」
「そうか。……息を吸って」

聴診器を胸に当てて、鼓動を聞かれる。

その後、満足そうに頷いた冬織は聴診器を外すと、俺の胸や腰に手を這わしながら、身体をじっくり触っていく。


するり、するり、と撫でられる手に熱を感じる。
ふわりと熱が内側から込み上げ、少し熱く息を漏らすと、冬織はクスリと笑った。


「すっかりキズは塞がったんだね」
「そうなんだ」
「うん。とっても綺麗…」

そう言って冬織は腕のない右肩にキスを落とした。


俺の右腕はもうない。
大量出血だとか腐ってしまうからとかそんな理由で、あの事故の後切断された。
右目も、殴られた後遺症によって失明した。
脳部分のダメージは少なかったものの、右目と右肩は完全に機能を無くしてしまった。


冬織は右肩からそのまま胸元へ唇を落としていく。舌を出しては、胸元を舐めていった。
弾かれた乳首を舌で包まれ、どうしようもない快感に襲われる。

冬織に慣らされた身体は、冬織が触れただけで熱くなる。あっという間に息が上がり、股間部は硬く熱く持ち上がって、ズボンを押し上げていた。冬織はそれにも気づいていて、手を伸ばしてゆっくり撫でるのだった。


「万智、どうする?食べる?それとも先にする…?」
「んっ…、は、っ、お腹、空いてる。食べたい…」
「ん、いいよ」


冬織は俺の言ったことに怒らず、俺の胸を撫でるのを止めると、大人しく身体を退いた。

少し息を整えながら、腹奥の熱を治める。それと同時に空腹感。

俺の右腕はない。
片腕できるものもあるが、基本的に食事も排泄も冬織が担当する。
体調管理は冬織がしていた。彼はこのために医者になったのだという。

冬織は俺の口元にスプーンを持っていき、開けた口の中へゆっくりスープを運んでいく。



「…俺を殺さないの」
「どうして?殺す意味なんてないじゃないか。万智も死にたくないんだろ?」
「……うん」

そう言うと冬織は小さく笑って、あーんと俺の方にスープを持ってきた。

死にたくないのかどうかわからなかった。
死にたくなくて、生きないといけないと思って、今の俺は冬織に頼って生きている。

でも、本当にそうなのだろうか?俺は生にしがみつく必要なんてあるのだろうか?俺が望んだ場所なのだろうか?


…だけど、ここでは返事をしないといけなくて、ただうんと頷いた。
正解かどうかわからないまま、答えはいつもこうやって引き伸ばされていくのだ。





「白い、海」


昔の冬織が囁いてきた。

今日はやけに昔のことを思い出す。
暗い部屋の中で真っ赤になった金属バットが落ちていた。
10年前の冬織が泣きながら叫んでいる。

「アイツは万智を殺そうとした…!身体をバラバラにして売るつもりだったんだ!俺が万智を殺させやしないよ…万智がそう願ったんだから。……万智は生きるためなら俺のこと好きになってくれるんだよね?」





「白…」
「ん?万智、なに?」
「白い海って…どこにあるの?」
「なにそれ?白い海なんてどこにもないよ。万智、海に行きたいの?そっかぁ、まあ最近行けてなかったもんね」

日差しがまだ強くないから行くにはちょうどいいかも、なんて笑いながら冬織は最後のスープの一口を俺の中に押し込めた。








「…万智、もう、いいよね?」

冬織は食器をテーブルに置いて、静かな俺に覆い被さってくる。身体を抱き上げ、白の清潔なベッドに俺を優しく寝かせた。


冬織の服がベッドの裾に散っていき、彼の温かい熱が肌に染み込んでいく。
冬織は暖かい。心地よくて彼の肌により密着すれば、冬織に身体を抱きしめられた。


…ベッドで他人の熱に犯されながら、それでも俺は昔の夢を見ていた。

白い海。それはどんな景色なんだろうか。


冬織の綺麗な顔が俺に口付けていく。
彼と見ることができたらとても綺麗なのだろうか。ふと、そんなことを思った。




「万智、万智、好きだ。絶対死なせたりはしない…っ、死なせないっ」


……違う、俺は待っている人がいるんだ。


身体が浮いて、多幸な射精感に包まれる。

身体に入り込んだ冬織の熱は大きく孕み、俺の身体に溶け込もうと中へ奥へ深まって行く。



俺は白い海に行きたい。

きっとそれは冬織と行く場所ではない。彼は白い海なんて知らないのだ。だから彼とは行きたくない。
 
俺はずっと、行きたい場所へ転がり落ちていく人生だったんだ。
行きたい方へ流されていけばいい。


「冬織、好きだよ」 
「万智…俺も一生愛してる」


冬織の暖かい体温に包まれる。生きている、彼は生きている。右目の白が霞んだ。




冬織は白い海なんて知らない。

−だから、俺はおじさんが迎えにくるのを待ち続けている。




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