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朝貴は毎日やってくるがめっきり殊夜は顔を見せることはなくなった。
朝貴が言うには殊夜は当主としての仕事で忙しいだそう。当主として君臨していたがほぼ機能していなかった父のせいもあってかなりいろいろな仕事に追われているらしい。俺にとってはそれが都合が良いからむしろ喜ばしいことだ。

「そういえばもう少ししたら夕晴が蘭(オランダ)から帰ってくるって」
少し浮かれていた気分が一気に落ちた。
あの面倒くさい兄が帰ってくるのか。同い年だが誕生月としては夕晴の方が早いため一応あちらが兄だ。夕晴は2年ほど前から蘭へ留学しに行っている。学の才がない夕晴が唯一できたのは空気を読むことと上手く人と馴染めること。夕晴は好き嫌いが激しい男だが外面の良さはあの完璧な殊夜に負けなかった。そんな彼に高い金を払って英語を学ばせるのは、日本人だけではく海外の人間とも渡り合えるようにしようという算段だ。日本内での取引だけでは時代の変化と共にうまくいかない。外国との取引も視野に入れ始めたこの家の要請で夕晴は海外へ飛んだ。年が経つごとにみるみる口が達者になっていた夕晴は煩わしく、俺は心底うんざりしていたから、これも俺にとっては好都合だった。しかし、奴は年に2度だけ日本へ帰ってくる。いつもならもう少し寒くなった頃に戻ってくるのだが。
「今年は早く帰ってくるみたいだね」
菓子を片付けながら朝貴はそう言った。朝貴は来の顔を見ると、眉をしんなりと垂れさせた。どうやら嫌だと言うことが表情に出てたらしい。
「大丈夫、1週間ほどで帰るみたいだから」
曖昧に微笑まれ、髪をやんわり触れられた。
殊夜に怒られると脳裏によぎったが、そういえば彼は当分ここへ訪れないのだった。
来は子猫のように朝貴の肩へ無意識に頭を押し付けていた。





数日ほどして、外が騒がしくなった。どうやら夕晴が帰宅したらしい。夕晴は海外へ行っているともあって使用人達の中では殊夜の次に第二の神と崇められているらしい。殊夜は幼い頃から容姿も才も社交も並外れていて、神と疑わない人間もいるらしい。

俺は夕晴が帰ってきたことよりも、この前つい勢いで朝貴に体を預けてしまったことの羞恥心と罪悪感で頭がいっぱいになっていた。
俺はなぜあんなことをしてしまったのか。無意識に彼に甘えてしまった心の隙が憎しみでも修復できずにいた。憎んでいるのに…。
白髪を両手で抱え、狭い牢の中で縮こまった。

ダン!俺はそのことが頭いっぱいで誰かきていた気配に気づかなかった。
見慣れない衣服を纏った夕晴が格子を右腕に押して少し背を屈めながらこちらを見ていた。目が合うと、自慢げな口がニタリと上がった。
「お前、18にもなったくせにまだ朝貴兄さんに面倒見てもらってんの?そんなでかい図体しといて赤ん坊かよてめー」
うるせえ、西洋かぶれが。
言いたいが、あちらの方が随分と身分は高くなってしまった。来は3人の弟という立場はまだ継続されているにも関わらず、この家では泥を走り回るネズミよりも下に扱われていた。
「相変わらず生意気。なんでここにいるのにそんな生意気でいられんの?朝貴兄さんが世話してくれてるから調子乗った??」
ぺっ、っと唾を横に吐き捨て、夕晴は格子を勢いよく靴裏で蹴った。異国人のように髪を長く伸ばして日本の物ではない衣服に身を包んだ夕晴は昔に比べ威圧的になった。夕晴もはなから来のことを特別気に入っていたわけではないため、地下へ閉じ込められてからは俺を虫けらに扱う。こいつも完璧な敵だ。

ジッと体を構えるが夕晴が檻の中へ入ってくる様子はない。どうやら、鍵は持ってないらしい。格子が邪魔してくれて、直接の暴力は降ってこない。
ただ沈黙して睨む来に呆きれたのか飽きたのか。夕晴はああ…と目玉を上にぐるりと向かせると、英語で何か俺を中傷するような言葉を吐いて地下から足早に出て行った。




結局その日朝貴はやってこず、翌の朝一に地下へ来た。
地べたで寝ていた来はぼんやりと朝貴の気配で目が覚める。

夕晴がずっと離してくれず、昨日はここへ来ることができなかったと朝貴は詫びた。それを聞いて来は眠気でぼんやりとした頭で、夕晴の方が俺よりも優先すべきだからだろと朝貴に言い放っていた。
朝貴ははっと目を大きく開け口をまごまごと動かそうとしたが、結局口を噛みしめて「ごめん」と謝罪するだけだった。
そんな朝貴のことが本当に憎たらしくて憎たらしくて仕方ないと思った。俺をこんなところに8年もの間放りっぱなしだったのに、結局弟の方を優先するなんて。
そうか、結局大事なものは価値のある人間だ。

陽の当たらないここで何年も閉じこめられた俺に価値などない。どんな奴でも異国の言葉を話せ、キチンとした身なりであればそちらに赴きを置くだろう。俺は何も持ってないし、むしろ化け物のような見た目だ。
こんな所に閉じ込めるなら初めから死んでいた方が良かったんじゃないか?朝貴兄上。

そう言って朝貴を見つめた。黒髪はしっとりしてなだらかな肩の線はまるで女のよう。派手ではなくとも美して大人しい朝貴は、大切なあの兄弟の1人だ。来には呆然と絶望に馳せた朝貴が、儚げに座り込む仙女にみえた。
こんなに綺麗な朝貴を見ていて、腹から湧き上がるのはドロドロした憎悪。
微かな朝日が壁の高い位置に開いた隙間から漏れる。だが、ぼんやりした頭はまだ霧がかかったままだった。



このとき、朝貴は初めて来の前で涙をこぼした。




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