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「勇維おかえり」

いつものように朝のニュース番組を見ながら雅は俺を待っていた。

彼は店にもいかず、こうして家でのんびり過ごしているかパソコンで何か作業をしている。
一方で俺は夕方から朝まで仕事をし疲れのあまり休日以外はほぼ寝てばかりだ。起きるといつも夕方になっていて、支度をして毎日仕事へ出かけている。そんな俺に彼は食事や風呂を用意してくれたり、休日のお出かけに俺を付き添わしている。

雅はゆっくり俺に近づいてくると、頬にしなやかな動作で触れた。
「今日は怪我せず帰ってきたんだね」
「はい…」
「よかったじゃない。失敗しなかったんだろう?そしたら今日はゆっくりご飯食べられるね」
「…」

雅は俺の頭をゆっくりなでるといつものように髪へキスをした。

俺は失敗しなかったんだろうか…。
いや、違う。失敗どころかチャンスすら与えられなかったのだ。


いつもなら雅の後を大人しくついていく俺が立ち止まって動かない様子に、雅は首を傾げた。

「勇維どうしたの?ご飯食べたくない?」
「あの…おれ………俺、ここ出ていきます」
「勇維?」
雅が俺の肩を優しく抱き、さらりと柔らかい髪を俺の頬に落とした。

「勇維、どうしたの?」

もう一度優しく囁きこまれる。近くにある彫刻のような高い鼻に彫りが深い目元、羽根のように長くて繊細なまつげが俺を覗き込んでくる。

彼の息が唇を湿らした。
そのぐらい近い距離に彼がいる。俺は彼の黒い瞳も見れず、小さく呟いた。


「…俺には雅さんの代わりは無理です。仕事だっていつまでたってもできないし、お客さんを満足に喜ばせてあげられたこともない…そもそもホストという仕事自体向いてなかったんです、しかも貴方の代わりなんて…」


俺には無理だ。でもずっとやらなきゃいけないって現実を見ていなかった。今日ルカが楽しそうに仕事をやっているのも、俺の言葉に表情を一度も変えなかった客が笑ったのも、雅という男に嫉妬や劣等感を抱えながらあのきらびやかなフロアに立たされるのも。もう無理なんだ。俺にはできない、できないんだ、
認めたくないけどそうなんだ。


「雅さんには本当にお世話になりました…お礼もします…でも俺にはもう無理だ、もう迷惑かけられません…」
「…それで?」
「…だから、俺、出ていきます…」
「家は?」
「ホテルでも泊まります…別に昔やってたので平気です」
「仕事は?」
「お金はホストで稼ぐほどもらえなくていいです。最低限の生活ができるくらいの…給料がもらえるところ…」
「それで?」
「…え?」
「それで、勇維はどうしたいの?」

思わず目を雅と合わせる。

彼は純日本人だ。だから目も黒い。

店にいない彼は自分の容姿を気にする様子もなくなり、どんどん染めた髪色が落ち、銀の頭部の生え際には純黒な毛が見え始めている。
その変化に、俺はまるで神の存在である彼をただの人間に変えようとしてしまっているようでに思え、俺の存在が彼を貶めているように日々錯覚していた。


雅は子供に問いかけるように優しく聞いた。

「勇維はそれでどうなるの?」
「俺は…俺はここを出て」
「ここを出て」
「ホストをやめて」
「やめて」
「……し、しあわせに…なる?」



その答えを紡ぎだしたとき、雅は前のように口角だけを上げた。

「どうやら俺が拾ってきた子猫は悪い子だったみたいだね」










******

俺は勢いよく暖かいフローリング材の床に倒れこんだ。倒れた衝撃後にじわりじわりと腹に痛みが伝播し始める。

なにが…?起きた…?

俺へ近寄った雅は俺を乱暴に抱きかかえるとリビングを出た。マンションにしては広い廊下を歩いていく。強い痛みに動けない俺は雅の腕から抜けられない。

あっという間に知らない奥の部屋へ投げ込まれた。
硬い床に落ちるのを察して俺はなるべく受け身を取った。
それでも、胴体ごと床に放り上げられ、体に走った痛みに大きく叫んだ。


「うあああっ!!!!」


「はぁ…こんなに勇維が馬鹿だとは思わなかったな」

一緒に部屋へ入った雅は蹲り痛みでもがいてる俺を横目に、ガチャガチャと金属音を立ている。



(はやく…はやくでなきゃ…)


マヤから植え付けられた暴力への恐怖感とこの後想像した地獄に、俺は必死に持ち上がらない体を床に伏したまま引きずる。
しかし、俺は扉に行く前に退路を絶たれてしまった。



「勇維逃げたらだめでしょ。悪いことに悪いこと重ねるの?」


ダメな子は留めておかないとね。

そういって雅は俺の顔を思いっきり殴った。首が持っていかれるほどの強い衝撃で脳がぐわんぐわんとする。
その間に雅は体が動かない俺に首や腕へ拘束具をつけていく。ヒヤリとした感触が節々に感じるが、目が回って体が震えることしか出来ない。




「なんだか、ネコじゃなくて犬みたい」
雅はそう笑うと俺の腹を容赦なく蹴り上げた。


「うぐぁっ!!!!」

突然の衝撃に口からせり上げるものを抑えられない。

液体を床にそのまま吐き落してしまう。しかし雅はそんなの気にせずまた腹を蹴り上げた。


幾度も幾度も腹や顔、体中を殴り、蹴りまくる。
その衝撃の強さはマヤに与えられていた暴力の比ではない。

まるでサンドバックのような扱いに意識なんか保たれなかった。


大きな泣きわめき叫ぶ声が何度も何度も部屋中に響きわたる。真っ暗で何も見えないけど、痛みと軽々しく形容できないほどの絶望が勇維の全身をぐちゃぐちゃに壊していく。


鈍い鉄の味のものが口に染み渡り、口からだらだらと液体が垂れていく。

光もない闇に俺は独りぼっちになった。




「勇維、ここから出ていくなんてダメだよ?しかも俺を見捨てて幸せになるなんて…」

持ち上げられた顔にそう囁かれると頬を拳で吹っ飛ばされた。ガンっ!と頭が床へぶつかり、目元がぴくぴくと激しく痙攣を始める。
俺はふと感じた。

(しぬ…死ぬかもしれない…)




もう拳を握るほどの力さえ出ない。ついに叫び声も上げなくなった俺を見た雅はゆっくりと立ち上がった。

「今日はこれでおしまい。結構ひどくしちゃったからここで休んで。大丈夫。案外人間って丈夫だからそんなのじゃ死なないよ」


雅は俺に近づくと、激しく殴りつけた手で俺の髪を優しくかき分け額にちゅっとキスをした。

顔を離し、彼の足音が遠ざかっていくのが見える。



白いが瞳孔を揺らし、ドアの重たく開く音が聞こえた。

雅さん、どこへ…。





「勇維大丈夫。俺はそばにいるよ、だから、おやすみ」

そう声が響いて白い光はどんどん細くなる。やがて俺は闇に大きく包まれた。












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