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あれは少し寒い日だった。
俺はあんなに寒かったのに、道端にしゃがみ込んで泣いていた。




『勇維ってつまんないね。私と結婚する気なんてこれっぽちもないんでしょ?疲れた。もういいよ、別れよ』


そう言って彼女は俺を振った。結婚なんてまだ先だなんて思っていたから、あまりにも突然で、でも彼女に無理をさせていたことは薄々わかっていた。だから突然というより必然なのだ。
わざわざ彼女と同棲するために借りた部屋から追い出された俺は、帰る場所なんてもうなかった。仕事はあるから、喪失感に精神を引きずられながらそのままホテルで寝泊りするも不慣れな生活で体調をすぐ悪くした俺は、多発のミスで気づけば職も失っていた。
何もなくなるのはあっという間だ。
酒なんて苦手だし、会社の飲み会だって出来る限り避けていた。なのに、俺はバーで名前を見てもよくわからない酒を呑み、いつのまにか道端で蹲っていた。日は昇り始め、夜はあんなに人が歩いていたのに、倒れ込んだおじさんや水商売のお姉さんがセカセカと歩いている。昔の俺ならこんなことしなかった。でも今はしてる。この俺なら無鉄砲に彼女へプロポーズしたのだろうか。……いや、でも結婚してそのあと子供とか生活がどうとか何も考えれていなかったとは思う。

こんな消極的でダメな自分を受け入れてくれた彼女はもういない。仕事も完璧じゃなくたって自分なりに真面目にやってたし頼まれた仕事は忙しくても請負ってた。それでも、今ここで座り込んだ俺は何もない。明日を生きる金も力も家もないんだ。俺には何も残っていない。

また涙が出てきた。泣けば泣くほど辛さは増幅し惨めだ。必死で手で溢れる涙を拭う。寒さで指がかじかんできた。




「子猫ちゃん、どうしたの?」


突然肩に温かい感触がして柔らかい声音が聞こえた。驚いて思わずぐしゃぐしゃの顔をあげてしまう。
座り込んで泣いていた俺に声をかけたのは、綺麗なシルバーの髪の男だった。
綺麗に整った顔に人離れした銀の髪が相まって、どこかの宗教画にでも出てきそうな、神々しく、異質感を放っていた。

男も顔をあげた俺を見て驚いた。髪は肩まで伸びていて少し中性的な顔が人間味を帯びた。
男は一瞬たじろいだが、そのまま肩に置いていた手を俺の目元に持っていき、俺の止まらない涙を長い人差し指で拭った。
滲んでいた瞳が開けて、男の美しい顔立ちがより鮮明に見える。
男はもう一度俺の目元を人差し指で擦ると優しく神のように微笑んだ。

「子猫ちゃん、俺のとこにおいで」






俺はいつのまにか知らない店に連れてこられ、あの変わった雰囲気の男に今までの不幸を話していた。
あの場には先ほどの男の他に黒髪の切れ目の男ーーのちにこの店の幹部メンバーでマヤと知る−−もいて、その男が綺麗なグラスにお茶らしきものを注いだ。
「すみません、この店暖かいお茶が今なくて」
「あっ、いえっ、こちらこそ…突然すみません…」
「いえ」
「ありがとうマヤ。
それで君は家も仕事もないんだ」

軽くお礼を言った銀髪の男に対しマヤは深々と頭を下げた。この男はどうやら他の人間よりも立場が上であるようだ。
再度見つめ返してきた男の視線に心臓をどきりとさせながら俺はゆっくり答える。

「はい…両親も死んで兄弟もいないので、行くあてもなく…地元もここではないので友達もすぐ近くにはいなくて」
「そうか、それは辛かったね。偉いね」

さっき会ったばかりなのに、優しく頭を撫でられた。

俺がどんな人間で、どんな人生を歩んできたか、大して知るはずもない赤の他人。本当にその言葉を本心で思ってるのかさえもわからない。

それでも俺は、俺自身を見た言葉や優しく触れられた手にまた涙が溢れそうになった。男は撫でていた手を頬に滑らし「また泣いちゃダメだよ」と親指で目元を擦った。


彼のこのすぐ触ってくる癖も、ギザな態度も、彼が醸し出す独特な雰囲気のせいなのか、違和感なく受け入れてしまう。だからこそ、俺は見ず知らずの彼に今までの辛い出来事を話せたのかもしれない。

俺が黙ってじっと涙を堪えていると、その様子を見た男がきれいに口角を上げた。



「マヤ、俺この子連れて帰るよ。あと俺しばらく店に出れそうにないから、その代わりに彼を働かせてくれないかい?」
「えっ」
「は?ミヤビさん本気で言ってるんですか…?」
「うん、本気。そもそも俺、別でやりたいことがあって長期で休みたかったんだよね。人手空くしちょうどいいでしょ」
「いや、貴方のお客達はどうするんですか!それにNo.1は貴方で俺たち売ってきたのに」
「それならこの子に俺の名義あげてもいい。彼を指名してその報酬の一部は俺につければいいんじゃない?そしたら俺の客はこの子を指名するし、俺もそこそこの位置にいられる。そろそろ君たちもトップ狙っていい時期だよ」
「ミヤビさんっ!」
「マヤ、それじゃあよろしく。細かいこととかはまた連絡するよ。さぁ、いこう、勇維」
「えっ、あっ」

なんだか揉めていたがいいのだろうか。しかも俺が問答無用でここに働くような流れになっている。

綺麗な男は俺の腕を優しく掴み、器用に引っ張りあげ、手を掴んだまま俺をどこかへ連れて言ってしまう。

「ミヤビさんっ!!!」
もう一度マヤが叫ぶ声が聞こえたが、ミヤビは一瞥もせず店を出てしまった。







*******

それから俺の生活は一変した。
家がない俺はあのホストの店のNo.1であったらしい雅(みやび)の家に居候させてもらうことになった。
仕事も、彼が言っていた通り、俺がミヤビの代わりに働くことが決まってしまっていて、今月の売り上げは無名の新人なのに彼の人気のおかげでNO.3にまで上がってしまった。

ろくに接客もできていないのに、稼ぎだけは保証されている。

そのおかげで店の他のホスト達には目の敵にされた。一方、客は俺を通して「ミヤビ」を見ているに過ぎず、俺への扱いは虫ケラ以下だ。俺ができることはミヤビにあげたボトルを飲み干すこと。
受け付けない量の酒を飲んで体を壊ているけど、周りにそれを止めてくれるような味方はゼロだ。
でも、それも仕方ないと思う。
俺は実際何もできない。話しながら器用に酒を作ることだってまだままならない。それなのに金を払う客達がいるのだから感謝せねばならない。こんな扱いされても仕方ないのだ、どうせ他の仕事もろくにできない出来損ないなのだから。






マンションに帰れば、雅がリビングで俺を出迎える。俺を拾った彼は誰からも尊敬され、愛され、そして素晴らしい人間だということはもう何度も聞かされた。彼の身から溢れているカリスマ性に誰しもが惹かれてしまうのだ。

「勇維おかえり、スープは好き?」
「あ、はい、好きです」
「そうか、じゃあ朝は軽い洋食メニューにしよう」
雅は俺を一度抱きしめ、優しく後頭部を撫であげると、髪にキスしてキッチンへ行ってしまう。
最初の方は驚いていた彼のスキンシップも、皆の話や彼と接するうちに、いつの間にかすんなり受け入れていた。
それぐらい彼には独特な雰囲気と心が無意識に彼へ惹かれてしまう不思議な魅力を持ち合わせていたのだった。












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