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少し派手にしすぎた茶髪の男が新宿にそびえ立つ高級なタワーマンションに入って行く。スーツのポケットから専用のカードを取り出しマンション玄関のオートロックを解除した。

今から出勤するのだろうか。
質の良いスーツに高そうな時計やバッグ、メガネや靴を身につけた男が前から歩いてきた。その男はこちらを一瞬見て明らかに煙たがるような表情を見せたが、俺はそれを無視して横を通り過ぎた。


エレベーターで高層階まで上がり、カードリーダーにカードを押しつける。ガチャリと音がして重たそうな扉が自動で開いた。



「勇維(ゆうい)おかえり」

誰が見ても高級マンションが似合わない俺。

そして、質の高い白のソファにもたれかかったシルバー髪の端正な顔の男がこちらを見て微笑んだ。彼は目の糸を引くと、何も言わず手招きする。

疲れた体を引きずりながら俺は男の前に立つと、ソファに腰掛けたままの男はこちらに手を伸ばしてきた。

しかし距離があるから手が届かない。−−俺は無言でかしづいた。



「またひどく殴られたね…今日は何を失敗したの?」
「……りいな様が怒って帰られてしまいました…」
男の手が切れた口端に少し触れてピリ、と痛みが発する。少し顔を歪めた俺に気にせず、男はそのままいたんだ茶髪に触れた。

「彼女は少し短気だからね。それよりも手当てしてあげよう」

−−−どこが少し、だ…!!
俺の目の色が変わったのがわかったのか、クスリと音に出して綺麗な男は再度笑う。

「勇維、おいで」

先ほどまで座っていた男の熱を残したソファへ導かれる。俺はホコリや土で汚れた上着をゆっくりと脱がされた。







******

俺にはこの明るすぎる茶髪も、サラリーマンが着ないような少し浮いた色のスーツを身につけるのも、高級マンションで寝泊りするのも身の丈に合ってないと自覚している。

全てはあのシルバーの髪の男のせいだ。

そしてこの全てはこの男に似合うこともわかっている。





「ねえ、まだミヤビは来ないの?」
りいなはハイブランドの靴を揺らしながら俺を睨んだ。
「すみません、まだミヤビさんは休養中でして…」
「いつ終わんのよ!!!」
りいなの怒鳴り声が2日連続で店内に響き渡った。

「……思いあがらないでよね、ミヤビのためだからあんたを指名してんのよ?あんた、ミヤビの犬ならもっと面白いことして見なさいよ!」

ミヤビの犬。俺が店に来てしばらくしてつけられた名だ。俺にはユイという源氏名はある。でも、皆俺をミヤビの犬、またはミヤビのお気に入りと呼んだ。

俺はすみませんと深く頭を下げることしかできない。その俺がまだ気に食わないりいなは他のホストへコイツにイッキさせる酒持ってこい!と命令した。

急いで一緒に担当していたホストは酒の入った瓶を持ってくる。イッキ飲みさせるためのボトルだ。俺は拒む体を無理やり動かす。
「それではりいな様に失礼させてもらって、飲ませていただきます…」
無理くり作った笑顔を見せ、ボトルを手に取る。喉に通る酒が熱くて痛い。上を向き、そのまま口に含まず喉から胃へ酒を流しこむ。酒をスムーズに飲み干す方法だ。しかし、そんなテクニックを教わっても俺の体は酒を受け付けなかった。

一方で、りいなは俺が嫌そうに顔を少し歪めながら、酒をイッキ飲みさせるのが好きだった。
吐き気を催しながらボトルを空にすると、りいなは大きく笑った。

「アハハ!早くミヤビ呼んできてよね。あんたみたいなクソ犬に払うはした金なんてないから!」



りいなはそれからご機嫌に帰っていった。俺に3本も酒を飲ませたのだ。俺は意識が朦朧とし、気持ち悪くてトイレの前でずっとしゃがみ込んでいる。嗚咽を漏らしながら便器に胃の中を全て吐き出した。
うぐっ、と腹の中は空っぽになったのに吐き気は治らない。

嘔吐感にたまらずもう一度便器の前に顔を出した時、ドンドンッと個室トイレのドアを激しく叩かれた。

「おい!いつまで籠もってんだ!早く出てこい、片付けだ!」
「っ、…す、すみませんっ!!」

俺は精一杯の声を上げる。
その返事を聞いた男はもう一度早く来いと念押しするとその場から出ていった。

(いかないと…)

俺はふらつく体を起き上がらせ個室から出ると口を水道の水でゆすぎ、急いで店内へ戻る。モップを急いでロッカーから取り出し床の掃除を始めた。これも新人である俺の仕事だ。他にも若い子達がテーブルを拭いたり掃除をしている。フローリングされた床をモップでせっせと拭いていると、後ろから低い声が響いた。

「ユイ、あとで事務室へこい」

顔をあげれば、襟足まで黒髪を伸ばし、前髪をふんわりとセットした切れ長な眼をした男が立っている。

−−−またか…。

「はい」と小さく返事をすると、男はチッと舌打ちをした。しかし、俺はその様子に何も反発できない。そのままフロアから出て行こうとする男に他の新人達も腰を低くして頭を下げている。
彼はこの店の幹部メンバーでNo.2だ。実力も権威もある。逆えるわけがなかった。


掃除が早く終わってしまい、事務室へ行けば地獄のの時間が始まる。

黒髪の男、マヤは俺の鳩尾を思いっきり殴った。

「うぐっ…!!!」

部屋へ入った瞬間に殴られ、俺はそのまま壁を後ろからもたれこんでしまう。
強く当たった背中も痛いが、昨日青痣になったところを殴られてしまい鈍痛を通り越した鋭い痛みが体を駆け巡った。
「−−っつぅ」
「おい、ユイ、てめえ調子乗ってんじゃ、ねーぞっ!!」

次は左頬に蹴りが入った。俺は腹を抱えたまま床へ全身で倒れ込む。マヤはそのまま俺の元へ近づき幾度も容赦なく腹を蹴った。

「っがぁ、あがっ、がっ」
「てめえのせいでっ!ミヤビさんの名が!落ちぶれたら!どうするん、だよっ!!」

受け身を取る暇もなく、もろに体へ蹴りが入ってくる。


(どうして、どうして、俺が、俺がこんな…!!!)

痛みに混じって涙が溢れてくる。26にもなって泣くなんて…。情けなさと体全身に走る激しい痛み、そして真っ黒な床に反射して映る自分の醜い顔に俺は涙が溢れずにはいられなかった。

散々蹴り終えたマヤは最後に机に置いてあった封筒を俺の顔へ投げつけた。

「今日の分だ。ミヤビさんのツケ、ちゃんと渡しとけよ」

マヤはそういうと、革靴の足音を大きく立てながら部屋を出て行く。彼がいなくなったのを感じると、俺はゆっくり体を起き上がらせ封筒を手に取った。中には万札が何十枚も入っている。これはほぼミヤビの客が落とした金だ、客が俺に対して払った金ではない。あの嫌みな女が支払った分も入っている。俺の給料だが、俺を通してミヤビの客が彼に貢いでいるに過ぎない。俺は彼の代わりなのだ。彼を指名するなら俺が問答無用で相手する決まりになっている。指名も金もツケも彼の名義として俺が頂くのだ。なによりこのことはミヤビ、彼自身が決めた。俺が嫌なら指名しなければいいという話だが、ミヤビの名を落としたくない彼女たちは俺をひたすら指名し金を落とす。

そのまま落ちた封筒を服の中に仕舞い込み、数少ない荷物と傷ついた体を引きずって店を出る。また夕方6時、俺は店に来なければならない。ホストなんて楽ではない。遅刻しただけで罰金が科せられる。

なにより、ミヤビの名義で指名を入れてもらっている俺はそれを返せるまでの金を稼ぐ実力もなかった。女の子を上手にエスコートするどころか、満足させるようなお世辞すら言えない。見た目だってただの平凡な男で、夜職に通う派手好きな女たちを気を引くために明るくさせられた髪色は似合ってなんかなかった。ホストという職自体が俺自身にそもそも相応しくないのだ。


(それでもやらなきゃいけない)

俺はあの時、ミヤビに声をかけてもらえなければ職どころか家もなく彷徨っていた。
歌舞伎町から程近い高級タワマンでの衣食住生活も彼がある故にできる暮らしだ。
指名だって金だって。ミヤビのおかげで、でもミヤビのせいで。俺が前職で1ヶ月にもらっていた給料を軽く凌いだ金が入った袋がガサリと音をたてた。














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