小説 | ナノ

「主人さん、ちょっと」
(うっ)
 花京院主任の「ちょっと」はちょっとどころじゃない。公子は、週に二回は必ずこの「ちょっと」に引っかかってしまう。
「はい、主任」
 花京院はひらひらと手を動かして別室へ来るように促した。扉が閉まると他の社員が一斉にキャスター付きの椅子を転がし、顔を向け合ってひそひそ話し始める。
「また主人かよ……」
「今度は何やらかしたんだろねー」
 社内からの風当たりも強い。これだけ頻繁にミスをするような社員なのだから仕方ないといえば仕方ないことではあるが。それにしてもミスに心当たりがないのが怖い。無意識で仕事を進めてしまっているのかもしれない。毎回気をつけなくちゃと思ってるだけで、実際出来てないのだからもうどうしようもない。
「ここの対応って主人さんだよね?」
「はい」
「エラーが頻繁に再発してるみたいで、調べてみたら基本的なところが完全に抜けてたみたいなんだ。この対応で山岸さんが休日出勤してくれてね、代わりに今度の休日一日出てきてくれないかな」
「はい。申し訳ありません」
「もう済んだ事だから仕方ないよ。それより仕事中にぼんやりしてることが多いけど、何か悩み事でもあるのかな?相談にならいつでものれるからね」
「……あの」

 一方、オフィス。
「でも最近になってから急に増えたね、ミス。前はあんま……てかほとんどこういうことなかったのに」
「そうなんすかー。俺コッチ来た時からずっとあんな感じなんで根っからのドジだと思ってましたわー」
「島崎くんいつからきたんだっけ」
「今年の四月っす。花京院主任と一緒に」

「え、退職!?ちょ、ちょっと話が飛びすぎじゃあないかな」
「いえ、これ以上ご迷惑をかけることに耐えられそうにありません」
 公子は泣きこそしなかったが、完全に病んだテンションで辞職の意を告げた。
「ま、待った待った!ストーップ!この話は就業後じゃだめかな?用事ある?」
「用事はないですけど……改めてするようなお話でもありませんし。以前から申し上げようとは思っていたことです」
「そんな……君がいないと困ることの方が多いんだ。自信を失くさないで」
「具体的に、私が抜けて空く穴ってありませんよね?今人員は必要数よりも二人多いと思いますし」
「……なんだって君はこんなときにだけ冷静なんだ。とにかく、仕事中はこの話はナシ!今日用事がないなら就業後に僕に付き合って。ね?」
「……それで退職が穏便に進むのでしたら構いません」
 ぺこりと頭を下げて部屋を出る。そのままオフィスに戻るのが怖くて一旦トイレの個室へと駆け込んだ。
 しかし間が悪い。同じオフィスの山岸が休日出勤への愚痴を零しながら鏡の前でメイクを直し始めた。こうなった女は長いことを公子は知っている。
「でもさー、公子ちゃん本当最近調子悪いね」
「最近ってレベルですかね」
「半年以上だもんねー。春先になんかあったんかな」
「春先ですか?」
「うん。さっき島崎が言ってたんだけど、アイツ四月頃ってか四月にこっちきたじゃん。アイツは公子ちゃんがバリバリの頃知らないっつーんだよ。だから四月から調子よくないのかなーって思っただけ」
「うーん。まぁそういうの聞きづらいですからね。主人さん、勤務後に飲みの誘いとか全部断ってるし、プライベートな話したことないかもです」
 公子は下戸だ。以前ここの部署にいた部長に、新歓の飲み会でウーロン茶とウーロンハイを摩り替えられ、戻した経験がある。大学生の時分からアルコールを避けるようにしていたが、それ以降飲み会事自体を避けるようになってしまったのだ。
 しばらくすると化粧台の前は最近オープンしたファッションビルの話題になり、芸能人の離婚へと移り、ようやく二人はトイレを後にした。
 公子もいい加減に戻らなくてはと、鏡の前で気合を入れなおしオフィスへ向かった。

 五時が定時という会社は多いだろうが、五時に勤務が終わる会社は相当少ない。だが今日は珍しく、四時半の時点で帰り支度をしてもいいだろうという雰囲気になっていた。
「主任さすがっすねー。めちゃ早いっす」
「今日は皆定時上がりできそうだね」
「どうすか、飲みにでも!」
「今日は予定あるから皆で行ってきな」
 盛り上がるオフィス内で一人沈み気味の公子にも声がかかる。
「あの、主人さんも一緒に皆と食事行きませんか?」
「あ、私……もうちょっと仕事してからにするから」
「今日暇ですから手伝いますよ!」
「ううん、いいの。自分でやりたいから……また今度」
「はい……」
 なんて言い訳が下手なんだろうと落ち込んだが、これで一人オフィスに残っても言い訳できる。こうして五時の三十秒前からタイムカード前でカウントダウンを行っていた島崎を筆頭に、公子と花京院を残した全員がオフィスを出た。公子も今日の仕事は本当のところは全て終わらせていたのでパソコンのシャットダウンを押した。ノートのふたを閉じ、花京院のデスクへ向かう。
「主任」
「ああ。僕たちも夕食をとりながら話そうか」
「ここじゃダメですか?」
「え」
 無論、アルコールを提供する店に抵抗があるからの一言だ。だが花京院の脳内でそれは自分勝手な方向に変換され、ドーパミンを激しく分泌させていた。
 気まずそうにもじもじとしている彼女、二人きり、スーツ、ほのかに香る香水ではなくシャンプーの匂い、オフィス、「ここじゃダメですか?」、ストッキングとパンプス、夕暮れ、罪悪感を持つ側の君と裁く側の自分。
「い、いや……じゃあ、ここで話そうか」
 赤面する自分の顔を隠してくれる夕焼けに感謝して、公子を空いている椅子に座るように促した。
「念のため、カギかけておこうか。誰か忘れ物取りに来たらアレだし」
 カチャンという音にすら興奮を覚えた。外界と切り離された、真に二人だけの世界を作る音だ。いつも真面目に仕事に取り組む神聖な空間と、その中で汚れた欲望を妄想する自分の頭の中身。そのギャップが快感をより高めてくれる。
 花京院は椅子をコロコロと動かし、公子と対面して且つデスクを挟むように移動した。デスクの下に下半身を隠してしまわないと、このそそり立つモノを見られてしまう。仕事終わりの疲れとこの状況が、花京院のズボンを持ち上げていた。


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