小説 | ナノ

 承太郎は国家権力の制服の前に物怖じしない女性というのを初めて見た。まあ承太郎の母親も天然過ぎて物怖じしなかったといえばそうなのだが、こう、毅然として立ち向かうという風なのは初めてだ。更に、
「こちらの男性は私を助けてくれただけです。それが正当防衛の理由に当たらないというのならば説明を求めます」
 承太郎を庇う、というのも新鮮なリアクションだった。何せこのガタイ、この目つき、この態度の承太郎は、周囲に頼られることはあっても庇護欲をかきたてることは一切なかった。つまり、物心ついてから両親以外の周囲に助けられたのは初めてかもしれないということだ。
(まあ元は俺がこの女を助けたってことにはなるが……こんだけ気ぃ強ぇんなら俺の助けも要らなかったか)
 警察と女性がなにやら言い合いを始めて五分後、無理にでも承太郎を一度警察署に連れて行こうとしていた流れは消え、過剰防衛という言葉を交えて軽く説教されるに留まった。
「あの、ありがとうございます。そして私のせいで面倒ごとに巻き込まれて申し訳ありません」
「いや……そういやあんた、名前は?」
「主人公子です。すみません、後日改めて正式にお礼を申し上げたいのでご住所を伺ってもよろしいですか?」
 普段ならばこういったことは「必要ない」の一言で即、終わらせるのだが、ぼんやりと公子を見つめているとそのタイミングを失った。カバンから手帳を取り出しペンをノックしたところまできてようやく、自分が彼女に見とれていたのだという自覚が芽生えた。
「公暁市、××町……」
 数日後、たまたま承太郎が在宅しているタイミングで小包が届く。中に何が入っているのか、よりも、送り状に書かれた住所が気になった。
(公暁市、△△町、00-000、新城コーポ301…………主人公子)
 ダンボールからそれを剥ぎ取ると、開封は母に任せて玄関の方に戻る。
(この建物名からすると小さいアパートだろうな。一人暮らしの可能性が高い)
 ポケットの中にバイクのキーが入っていることを手で確認し、靴を履いた。市内ならば十数分で移動できるはずだ。

 最寄り駅は承太郎が普段使用する駅の一つ隣。小さな駅で各駅停車しか止まらないところだ。駅前もチェーンの居酒屋やコンビニがある程度で、地元民の承太郎もこの駅周辺に足を運んだことがない。
(普段、この駅を使うのか)
 交差点の信号が青になると、それを横目に道路を進む。大通りを外れて住宅街といった道を、大型のバイクがノロノロと進んでいるものだからなかなかに目立つだろう。
(新城……あれか?)
 アパートの専用駐輪場にバイクを止め、ヘルメットを被ったまま階段を上がる。承太郎の長い足だと二段飛ばして上がるくらいでちょうどいい。あっという間に三階にたどり着くと、まず手前の部屋の扉を見た。
(303)
 となると一番奥が、彼女の住居ということか。通路を奥まで進み、部屋番号とその下の主人の文字を確認し、立ち止まった。そしてすぐに踵を返し、駐輪場のバイクにまたがった。
(いた)
 フルフェイスのヘルメットの中で、承太郎は目を細めた。
(下着を道路側のベランダに干す、室内にいる時に部屋の鍵をかけない……どれもこれも、無用心だな)
 今日承太郎がここに訪れたのは、会って話をするためでも礼を言うためでもない。
(俺が守ってやんねぇと)
 承太郎は、会うつもりはなかった。ただこの曜日、この時間、部屋にいるのかどうかを確認したかった。
(そのためには、まず行動パターンの把握からだ)

 木曜日の朝である。駅のホームを見渡すことが出来る高台で承太郎はタバコをふかしていた。坂道を登って駅を目指す公子の姿を見つめながら。
(……逆か?)
 ホームに彼女が入ってくるのを待っていたのだが、都心方向へ向かうホームにその姿がない。念のために反対方向へ向かう方のホームを見ると、スーツ姿の公子がいた。
(職場が都心と逆、というより、この駅は各駅しか止まらねぇから一つ向こうの大きな駅で快速に乗るんだろうな)
 とすれば承太郎の家の最寄駅も朝利用しているということだ。そしてその推測どおり、公子の通勤定期は一つ向こうの駅までのものである。
(明日はあっち側の駅で待ってみるか。俺の家の最寄り駅なら“偶然”再会しても不自然じゃねぇ)

 金曜日の夜である。同僚と飲みに行った帰り道、またしても妙な輩に絡まれている。どうやら公子は矛盾や不正を許せないタイプの人間らしく、話の通じないようなとんでも理論を平然とかましてくるやつと口論になることが多々あるようだ。
 しかも今回はやっかいなことに相手が酔っている。話は更に通じないし、短絡的なやつならば暴力沙汰になりかねない。
(またかよ)
 遠くから見守っていた承太郎が現場に近付くと、男の話し声というか怒鳴り声が聞こえて来て事の顛末が見えてくる。どうやらこの男と公子は顔見知りのようだ。しかし、公子の怒った口調と表情から迷惑していることには違いない。
「主人さん、せっかくお店で会ったんすからこれも何かの縁でしょ。もう一軒!今度は俺と二人で行きましょう」
「しつこい!私、あなたと二人で出かけることはありませんし、以前もお断りしたはずです!」
(なるほど、一度振られた身の男か)
 それでもなおしつこく公子にすがり付こうと男が手を伸ばしたところで、承太郎がそれを掴んだ。驚いたのは男だけじゃない。公子も目を丸くして承太郎を見つめている。
「おっさん、見苦しい真似はやめな」
「な……主人さん、誰すかこの……」
「公子の彼氏だ。帰りが遅ぇから迎えに来たらこういうことになってたからな」
「ひっ」
 承太郎の腕に力が篭る。血管を浮き出させるほどに強く握り締めると、男は手首を引き千切られるのではないかという錯覚に陥るほど怒りの感情が表に出ていた。
「失せな。二度と近付くんじゃねぇ」
「主人さん!お、俺諦めませんっ!また職場で……!」
 承太郎が手を離してやると、大分及び腰で駅と逆方向に男は逃げていった。
「あ。以前助けていただいた……」
「空条承太郎だ。礼の品は届いたぜ。が、もう品物はいい。それよりもう少し自衛を覚えるんだな」
「お見苦しいところを見せてしまって申し訳ないです。それに、ウソまでつかせてしまって……」
「ウソじゃなく本当のことにしちまうか?」
「え?」
「冗談だ。それよりさっきの野郎じゃねぇが、こんなところで会うのも何かの縁ってやつだろ。送るぜ?アンタが嫌じゃなきゃな」

 都心を遠ざかっていく電車の中で、公子は少し愚痴のような話をした。先ほどの男は同僚であるが、告白を断ってもなおしつこいこと。ストーカーのように連絡を寄越し続けたり、家の前で待ち伏せしていることがあったこと。警察に相談するも、それは事件になるような被害ではないので動けないとお決まりの文句で取り合ってもらえなかったこと。
「本当に、空条さんの仰るとおり格闘技でも習ったほうが良さそうですね」
「女の付け焼刃の技術じゃどうにもならねぇよ。何だってそう自分で何でもやろうとするんだ?」
「ん?」
「ああ、いや……アンタ見てるとそんな性格のような気がして」
 ここしばらく見張っていたから知っているのだ、とは口が裂けても言えない。
「よく言われます。だけど、結局は自分です。土壇場で頼りになるのは自分だけです」
 駅は快速電車の止まる空条家の最寄り駅のほうで降りた。そして当然一駅以上の距離の夜道であるから、承太郎は玄関前まで送ることを申し出る。
「そんな、さすがに悪いです」
「助けられたんなら最後まで守られてな」
 半ば強引に彼女の手を取って夜道を歩く。歩きながら今度は承太郎のほうが少し話をする。
 実家がこの辺りにあること。通学に電車は使わないが駅付近は通るのでまた偶然出会うかもしれないこと。
「通……学?」
「なんだ?」
「あっ、えと。大学、この辺りにありましたっけ」
「公暁高校だ」
「こっ……」
 何を言いたいのかはよく分かる。が、失礼にならないようにぐっと言葉を飲み込む公子が面白くて何だか笑ってしまいそうになった。
「あ、ここで結構です」
 アパート前で深々と頭を下げ、公子が階段を登ろうとしたところを引き止める。
「待ちな。まさかとは思うが、アンタの部屋ってぇのは一番上の一番端か?」
 当然、あの送り状を確認したのだから知っている。だがそんなことは知らない公子からすれば、突然自分の部屋を言い当てられたわけだ。驚いた表情は「はいそうです」という返事をしている。
「アンタの無用心さから、まあそういう性格だとは思ってたがよ。家の前まで来るような男がいるのに下着を干しっぱなしにしてんのか?」
「……視力いいんですね」
「そういう話じゃねぇ。主人サン……アンタ見てらんねぇよ」
 これはウソではなく、心の底からあきれ返ったという表情で公子を見た。先の会話で承太郎がかなりの年下だということを知っている公子は、自分が情けないという気持ちが二倍になってのしかかってくる。
「ほらよ……俺の連絡先だ。さっきの野郎がしつけぇようなら連絡寄越せ」

 日曜の昼である。スマホの着信音がひっきりなしに承太郎の私室から鳴る。


下着はもう室内干しにしてます。
もしかするとだがそれが原因かもな

どういうことです?
ストーカー野郎は、
遠くからアンタの下着を盗み見るので満足していたが、
それがなくなったから盗み出したんじゃねぇか?

でも部屋の中にあるものをどうやって?
鍵ちゃんとかけたか?

はい
本当か?絶対か?

そう改めて聞かれると自信なくなります。
おい……


 承太郎の左手は慣れない手つきで文章を打ち込んでいる。利き手の右で机の引き出しから袋を取り出すと、そこからピンク色の小さな布を取り出した。承太郎の私物に、このようなかわいいピンク色をしたものはない。これは、承太郎のものではない。
 布と公子のメッセージを交互に見ながら承太郎はベルトを外し、下着の中で盛り上がるそれにそっと布をかぶせるのだった。


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