君の泣き声が聞こえる。

「結生……と逢見谷?」



 病院について、涙の病室に入るなり、涙はびっくりしたような顔をしていた。俺と逢見谷の接点が特にないから、一緒にきたことに驚いたんだと思う。



「二人は知り合いだったの?」

「いや、俺も逢見谷も病院行くってことだから、一緒に行くかって」

「そっか」



 俺は椅子に座って、涙に近付いた。近くで見ると、何やら疲れたような顔をしている。階段から落ちて、ここで一人でずっといたんだから、そりゃあ精神的にも疲労するだろう。

 俺は、布団の上に置かれた涙の手を、軽く握ってやった。涙はふわっと顔を赤らめたけれど、抵抗しない。もしかしたら逢見谷がいる前だと恥ずかしがるかとも思ったけれど、なんと涙の方からさらにデレてきた。ほんの少し身体をずらし、俺の方に擦り寄ってくると、頭を俺の肩に乗せてきたのだ。



「どした?」

「……疲れた」

「何かあった?」

「……なんか、よくわからない」

「あとで聞くよ」



 これはもう、羞恥心を感じる余裕すらないらしい。俺は涙を軽く抱き寄せて、頭を撫でてやった。

 そうしていると、脇のほうで落ち着かなそうにそわそわとしている逢見谷と目があう。見ている方が恥ずかしいか……と思って俺が苦笑いをしてやると、逢見谷はにこっと微笑んだ。



「藤堂先輩ってほんといい人ですよねー。俺もますます好きになっちゃう」



 またこいつはアゲてくるなー、と俺は笑顔を返してやる。逢見谷はゆらゆらと歩いてベッドの端に座ると、涙に目をやった。



「今日、藤堂先輩と一緒に遊んですっごく楽しかったんです! 芹澤先輩と仲良いっていうからどういう人なのかなーって思ってたんですけど、ほんとうにいい人ですね!」

「……結生と、遊んだの?」

「はい! 二人で!」



 無邪気に今日のことを話す逢見谷に、涙が反応する。のそ、と顔をあげて、怯えるように逢見谷を見つめるその瞳に……俺は、マズイと思った。

 涙は、一度不安を覚えてしまうとどんどん深みにハマって抜け出せなくなってしまう。たとえ勘違いでも、一度疑えばもう、俺を信じられなくなってしまうかもしれない。だから、逢見谷は何も悪いことを言っていないと思いつつーー俺は、逢見谷を止めようとした。

 ……けれど、遅かった。



「ちゅーまでしちゃいました! あんまりにも藤堂先輩がいい人すぎて惚れちゃいましたー! あはは」



 逢見谷が、「アレ」を言ってしまった。おふざけのキス。俺も、逢見谷も、大して大事に捉えていないけれど、涙にとってはそうでもない「アレ」を。



「いや、逢見谷から勝手にしてきただしおふざけだからな!? ほんと、何もないから」

「……」



 一応言い訳めいたことを言ってみる。でも……恐る恐る涙の表情を覗いてみて、俺はぎょっとした。

 その瞳から、表情が消え失せていた。



「……あ、……そうなんだ」

「……涙? いや、ほんと何もないよ。そういうのないから、」

「……あ、うん。うん、わかった、うん。ああ、そっか、うん」

「……涙?」



 声は、震え、掠れ。指先は小刻みに震え。目は、どこをみているのかわからない。

 言動は異なるけれど、あの時と似ていた。涙が、自らをハサミで傷付けようとしたときと。自我を失ったように目が虚ろになって、言葉がぼろぼろになる。

 怖い、と思った。ここに刃物の類はないから自傷行為にはしることはないだろうけれど、今の涙があの時と同じ精神状態にあるということが。



「涙……落ち着け、俺が好きなのは、涙だけだから……ほんとうに違うから……」

「うん、ありがと。大丈夫、大丈夫だから、出てって」

「……涙、」

「おねがい、一人にして」



 涙は、表情を変えないまま、ぽろぽろとなみだを流しだす。そして、俺を責めることもなく、ただ、「出てって」と懇願した。

 何度「違う」と言っても、聞き入れてくれる様子はない。そして、一番の原因である逢見谷は、このときに限って何も言葉を発さなかった。さすがに俺と涙の関係を今まで知らなかったとしても、この状況をみれば何か察しているはずなのに。誤解を解くような発言を、一切してくれなかった。



「……藤堂、出てって。気分悪い」

「……っ、」



 涙がナースコールに手を伸ばしながら、俯いてそう言った。「藤堂」という呼び方に、ひどく傷付いた。学校にいるときに、恥ずかしいからと苗字で呼んできた……それとは違う。恋人として「結生」と呼んでいたから、今、完全に誤解している涙は俺を「結生」と呼べなかった。

 ほんとうに苦しくて、悔しい。でも、ナースコールなんて使われたらめんどうなことになってしまう。俺は断腸の思いで、今日は帰ることを決断した。二人きりで、もっと涙が落ちついてから、きっちり誤解を解こう、そう思った。




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