君の泣き声が聞こえる。

「藤堂先輩、俺、もしかしてヤバイことやっちゃいましたか?」

「いや……逢見谷は悪くないんだ、……俺がもうちょっと上手く立ち回れたらよかっただけで」

「……」



 涙の病室からでて、病院の出口に向かう。涙のところではだんまりだった逢見谷が、部屋を出た瞬間に話し出す。正直おまえはもうちょっと空気を読めといいたかったけれど、ここは人のせいにするところじゃない。俺と涙の問題だし、実際に逢見谷は悪気があってやったわけじゃないんだし……と、俺は逢見谷を責める気なんてさらさらなかった。

 でも、俺が何も言わないでいれば、逢見谷が居心地悪そうにそわそわとし始める。ちらちらと俺の表情を伺うように見つめてきては、納得がいかないといったふうに唇を尖らせていた。



「……先輩。それ、やめたほうがいいですよ」

「……え?」

「全部、自分で抱えようとすると、おかしくなりますよ。先輩の付き合っている人は、普通の人じゃないんだから」

「え、何、言って……」

「心を病んだ人にまともに向き合えば、自分の心も病むって言ってるんです。藤堂先輩みたいな生真面目でいい人は、芹澤先輩みたいな人と付き合うと病んじゃいますよ」



 ……逢見谷は、何を言っているのだろう。

 俺と、涙が付き合っているのを知っている? 涙が心の病を抱えてしまっていることを、知っている? 涙が自分から言うはずのない情報を、なぜ逢見谷が知っているのだろう。

 混乱してしまって、俺は思わず逢見谷を凝視してしまった。そうすれば逢見谷は、哀しげに目を細めて、ため息まじりに言う。



「……今のは、自分のせいにするところじゃないですよ。俺を責めるところです。だって、ああなるってわかっていて、俺は芹澤先輩の前であんなことを言ったんですから」



 ……それは、つまり。

 逢見谷は、俺をはめたということだろうか。こうして涙に誤解させるために俺にキスをして、そしてあの場でそれを言った。なんのために?俺に恨みでもあるのか、それにしてはこの口ぶりはまるで俺のことを心配してくれているようで。



「……なんで、そんなことをやったんだよ」

「……それは、」



 話しているうちに、病院の出口にたどり着く。なんとなく正面の自動ドアに目をやれば……そこに、見慣れた影が。紅く染まった空、その下を歩いてこちらに向かってきたのは……



「……ああ、逢見谷……と、藤堂くん」



 春原だった。春原は病院にはいってくるなり俺たちを発見して、にこりと微笑む。その瞬間、逢見谷はぱっと顔を輝かせて春原のもとに走り寄っていった。

 そういえば春原も生徒会。逢見谷と仲が良くてもおかしくはないだろう、その光景に俺は疑問を覚えなかった。しかし、そんな俺の呑気は砕かれていく。



「藤堂くんも、涙のお見舞い」

「……ああ、うん」

「そうなんだ、俺もなんだ」



 「せんぱい、せんぱい、」そう言って逢見谷は春原に擦り寄っている。しっぽを振っている幻覚がみえるほどに。なんだか、おかしな光景だな、と思ったのはそのときだった。春原の、恐いくらいに優しくて、そして冷たい瞳が、不気味に思えたのだ。



「あー、っていうかさ、藤堂くん。俺さ、ちゃんと忠告してあげたよね」

「……は?」



 春原の唇は、綺麗に弧を描く。そしてその手は、逢見谷の頭に。春原が優しく逢見谷の頭を撫でると、逢見谷は蕩けたように頬を染め、目を閉じた。



「浮気しちゃだめだよ、って」

「……春原、おまえ、まさか」



 逢見谷の様子、それから春原の意味深な笑顔。俺は、察した。

 ――春原が、逢見谷に美人局のようなことをさせたと。

 怒りのあまり、俺は春原に殴りかかりそうになった。でも、ここは病院の中。そんなことをしたら騒ぎになる。ぐっと煮え滾るような怒りを押さえ込んで、俺はじっと春原を睨みつけることしかできない。



「……おまえ、なんでこんなことばっかりするんだよ。涙のことを好きなら……もっと、方法があるだろ……! 涙のことを傷付けてばっかりじゃねえか、おまえ!」

「……前も言わなかったっけ、俺。俺、涙のことを好きなんて思ってないから」

「……じゃあ、」

「飼い殺したいんだって。嬲って嬲って、それでも縋り付いてくるあの子を足蹴にしたい。どこまでも追い詰めて、気が狂ってボロ雑巾みたいになって、俺に助けてって泣きながら言わせたい。想像するだけでも可愛いでしょ?」

「……、」



 ……春原は、頭がおかしい。ここまで歪んでいる人間を、初めて見た。

 涙はそんな春原のおもちゃにされかかっているのだ。全部、春原の思った通りに涙は傷付いて、どんどん精神にダメージを与えられていく。このままだと、本当に涙の気がおかしくなりかねない。

 俺が出来ることは、一体なんなのか。春原をどうにかしないといけないのは確実だが、どうしたらいいのかわからない。今、俺が闇雲に春原に真正面から向かっていったところで、また嵌められてしまいそうだ。



「……おまえみたいなやつに、絶対に涙は渡さない」

「どうだか。きっとすぐに俺に投げたくなるよ、あんな異常者」

「……涙はおかしくなんてない」



 春原の言葉に、腸が煮えくり返る。でも、拳を握ってぐっと怒りを堪えた。早足で春原と逢見谷のことを抜き去って、振り返ることもなく俺は病院をあとにした。




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