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星を纏って




 部屋で項垂れた男を捕まえるのは容易いことだった。どこかからとんでもないスピードのスケボーで駆けてきたメガネの少年が地面に寝転がってる私たちを一度見て「無事だったのか!」とやけに子供らしくない口調で言い、そのまま部屋に駆けていく。
 身体を起こした安室さんに伴って背中を支えられながら身体が起こされた。膝の上に乗った私を真正面から見てほっと息を吐いた安室さんは次の瞬間目を見開いた。

「足、どうしたんだ!?」

 手錠が付いたままの血だらけの足首に触れた安室さんの顔が怖い。そういえば力技で拘束を解いたのをすっかり忘れていた。

「見た目に反してそんなに酷くないので大丈夫です」
「そういう問題じゃないだろ!」
「確かに仕事をする上で傷が残ったらちょっとアレですけど、」
「そういうことを言ってるんじゃない! もっと自分のことを考えて……あぁもう、君のことになるとどうしてこんなに儘ならないんだ!」

 自分の前髪をぐしゃりと握った安室さんの顔を覗き込む。近い距離で絡んだ視線、安室さんの瞳が頼りなさげにゆらゆらと揺れている。見たことのない表情、またひとつ見れた。頬がへにゃりと情けなく緩む。

「どうして安室さんがそんな顔するんですか。ふふ、へんなの」

 安室さんの太ももに付いていた手のひらを伸ばして頬を摘む。いつの間にか離れていた安室さんの片手がゆっくりと持ち上がって、その大きな手が頬に当てられて顔を半分くらい覆ってしまう。眉尻を下げた安室さんは親指で私の目の下を撫でると、小さく呟いた。

「……ずるいなぁ」

 ひとり言だったんだろうけど、こんなに近いところにいるんじゃ私にも届いてしまう。あのメガネの少年の声が窓の上から降ってくるまで、安室さんはずっと何かを堪えたような、思いつめたような顔をしていた。

 ▽

「名前ちゃん……!」
「学さん!」

 メガネくんに呼ばれた安室さんがすぐに帰ってきたと同時に、パトカーを連れて青い顔のまま学さんが駆けてきた。血が出ているせいで足をあまり動かしたくないから、と地面に座っていた私の肩を震える手で掴んだ学さんがぽろぽろと涙を零しだしてぎょっとする。

「ま、学さん」
「ぶ、ぶじで、よかった……! 名前ちゃんが誘拐されたってきいたとき、ほんとうにもうダメかとっ」
「うん、ごめん」
「軽いよ! 馬鹿!」

 わんわんと本格的に泣き始めた学さんを苦笑いした安室さんが宥める。警察の人が数人ほど二階に駆けていったのを見送って、近付いてきた二人の刑事さんがわざわざしゃがんで話しかけてくれた。

「苗字名前さんで間違いないですか?」
「はい」
「大変な目にあったわね……事情聴取といきたいんだけど、流石に怪我をしてる被害者をそのままに出来ないから先に病院に行きましょう。高木くん、お願いね」
「は、はい!」
「何ちょっと緊張してんのよ!」
「だ、だって本物の苗字名前さんですよ……!」

 なんだかこの刑事さん、ちょっと学さんみたいだ。真っ赤になった目元を擦りながら立ち上がった学さんが社長と両親に連絡してくる、と鼻水でずびずびになったままふらふらと覚束無い足取りで離れていく。

「あの、刑事さん。僕が病院まで彼女を連れていきますよ」
「あ、あれ、安室さん!? どうしてここに……」
「彼女から被害の相談を受けてたんです。……名前さん、立てても歩くのは少し難しそうですか?」
「あー、ちょっとだけ……この手錠が擦れちゃって」
「鍵を探してくるのもいいんですけど、早く怪我を診てもらったほうがよさそうですね……失礼します、」
「えっ、わっ!」

 膝裏と肩を支えた手によってひょいと身体が持ち上がる。暴れないでくださいね、と先に牽制されてしまったので大人しく首に手を回した。

「……あ、」
「刑事さん、そこにある僕のジャケットを彼女に掛けてもらってもいいですか? 随分身体が冷えてしまっているので」
「は、はい!」

 ちょうど階段から降りてきた男と視線が絡む前に、ジャケットが身体に降ってくる。抱え直されたことで視界から男が消え、安心させるような安室さんの穏やかな顔だけが広がった。

「安室さん、その人は大丈夫?」
「あぁ、怪我も浅いものだけみたいだ。ありがとうね、コナンくん」
「ううん、僕は何も……ねえお姉さん、本当に大丈夫?」
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」

 助手席にそっと降ろされて、安室さんは運転席に向かう。警察から学さんに連絡を寄越すと説明を受けたから、スケジュール調整は大変だけど学さんと事務所に任せてしまおう。病院に向かう車の中でも、横で処置をしてもらっている間も、安室さんはあまり喋らなかった。

 ▽

 縫うような傷はない。ほんの少し傷が残ってしまっても、最近は切り傷を消す軟膏のような薬もある。傷周りを避けてなら風呂に入っても問題はないけど、しっかり薬を塗って、手錠の擦り傷が思っていたより酷いから、数日は包帯を巻いておくこと。医者から受けた説明を何度も何度も繰り返し、安堵して、それから後悔する。これだけの傷で済んでよかった、血を流すような怪我をさせてしまった。ぐるぐると感情は回って止まない。

「安室さん、お風呂ありがとうございました」
「いえ。薬を塗る前に髪を乾かしましょうか」

 ひょこひょこと歩きながら頬をへにゃりと緩めてドライヤーを差し出した彼女に自然と口元が柔らかく持ち上がる。彼女の髪を乾かすのはすっかり慣れた。艶のある黒髪からほのかに漂う自分と同じシャンプーの香りと、気持ちよさそうに目を細める彼女の姿には未だに慣れないけれど。
 ドライヤーを端に寄せて、ソファの下に座っていた彼女を持ち上げる。驚いた顔で固まっている彼女をソファの上に下ろして、病院で貰った薬を手に彼女の足に触れた。

「あ、安室さん! 自分で出来ます!」
「いいえ、やらせてください。それに名前さんは不器用でしょう」
「……あの、なんか、怒ってます?」
「いいえ、別に」

 嘘つけ、と小さく呟いた声はもちろん耳に届いている。怒ってるのは間違いないけど、半分は彼女に、半分は自分に対しての怒りを彼女にぶつけようとは思わなかった。

「怖い思いをさせてしまってすみません」

 きょとんと目を瞬かせた彼女の足を膝に乗せて、薬を乗せた指を優しく傷に這わす。小さく呻いた彼女の顔はきょとんとしたものから頑張って痛みをこらえようとしているものに変わっていた。

「危険な目に合わせないと、ご両親に伝えたのに。合わせる顔がありません」
「ええ、それは確かに」

 彼女の言葉に瞼を下ろす。良くない考えばかりが頭をよぎる前に、彼女の優しい手のひらが指先から頬に触れた。

「安室さん、綺麗な顔してるから。お父さんに会ったらとんでもなく強烈なスカウトを受けちゃうかも……」
「……あの、そういう意味じゃ……」
「お母さんも物凄い面食いだから、安室さんに一目惚れしちゃうかも……それはちょっと……」

 変なところでズレた心配をする彼女の顔は本気だった。頬に触れたままの手に自分の手を重ねる。ハッとして手を引こうとした彼女の手のひらをそのまま握りしめると、彼女は目に見えて狼狽えた。

「すみませんでした。あなたをひとりにしてしまって」
「え、え? どうして安室さんが謝るんですか? 私が迎え入らないって言った上に、あれだけ危機感が足りないって言われてたのに勝手にひとりで家に行ったのに」
「そう言われると八割ほどあなたが悪いようにおもえちゃいますけど、大人には子供を見守る義務があるんです」
「……子供じゃないのに」

 変なところで拗ねた彼女の足に手際よく包帯を巻き付ける。

「安室さんは全部自分のせいにしたがりますよね」
「癖なんです。それに、守るべき人を守れなかった。僕のせいに違いはない」
「私、無事なのに? へんなの。……それに、ほんとにいいんです。今回のことで大事なことに気がつけたっていうか……」
「危機感の無さ、ようやく自覚しました?」
「あっ、さっきまで珍しく萎らしかったのに!」

 ソファから立ち上がった彼女を支えようと肩に触れると大袈裟に腕を伸ばして距離を取られる。

「えっ、何ですか?」
「さっき歩きづらそうだったので」
「よ、よく見てますね……でも大丈夫です、もう寝るだけなので」
「あなたの事なので。……今日は髪、乾かしてくれないんですか?」

 唇を引き結んでぐっと言葉を詰めた彼女が可愛らしくて笑ってしまうと、ぷんすか怒った彼女が俺の背中を押してさっさと風呂に入ってきてください、と声を上げる。
 彼女の言う通りだ。完全ではないけれど、守れているじゃないか。あと一歩の瀬戸際だったかもしれない。それでも、突然日常に飛び込んできた彼女を失うようなことがなくて本当に良かった、と。願わずにはいられない。できれば彼女を奪うようなことだけはしないでくれ、と。