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どうせ誰かが言うんだから




 正気じゃない。薄っぺらいカーテンで外と遮断された六畳の部屋の真ん中で愕然とする。つい今しがた目を覚ましたばかりだけど、壁に掛かった時計を見るあたり一時間も経っていないらしい。もちろんこの時計が合っていればの話である。
 正気じゃないというのはもちろん一連の件の犯人である男のことだけれど、それと同じくらい頭がおかしくなるのはこの部屋だった。雑誌の切り抜きからプライベートの写真まで、余すことなく全部私。
 中にはポアロで安室さんと話している写真もあったし、コンビニで真剣な顔をしてアイスを選んでいる写真に至ってはほぼ真横から撮られている。これじゃ気が付かない私も私じゃないか。
 壁中に貼られた私の写真から目を逸らす。視線の先には足に括られたオモチャの手錠。ストーカーするなら足首のサイズくらい確認しておいてくれればいいのに。輪が小さいせいで擦れて皮が剥けかけている。普通に痛い。

「……最っ悪」
「どうして?」

 まさか返事が返ってくるとは思っていなかった。反射的に肩を飛び上がらせたと同時に、部屋の扉が開いた。

「……全部、あなたが?」
「どうして家を出ていったんだ? 僕に悪いところがあったなら謝るよ。でも仕方ないじゃないか、僕は夜が忙しいから中々帰るタイミングが合わないし。君が寂しがっていることを知ったけど、妬いて欲しかったんだ。ごめん、本当にごめんね」

 一見普通に見える男だった。口を開かなければただの好青年。側に寄ってきて動けない私の手を取り、頬を擦り寄せる。身体中に鳥肌が立った。
 中々帰れない? 冗談じゃない、あの家は私の家だ。この男の頭の中では同棲していることにでもなっているのか。

「離して」
「まだ怒ってるのか?」
「ええ、怒ってる。ものすごくね。妄言もいい加減にしてくれない? あの家は私の家であって、あなたの家じゃない」
「分かってるさ。だからこうして君と住む部屋を借りたんじゃないか。隣には寝室だってある。まだベッドを運んでないから今はここで我慢してくれ、夜には準備を済ませるから」
「冗談じゃないって言ってるの! なんで知らない男といきなり同居なんか、」
「結婚するんだから当たり前だろう。それなのに君はどうして男と同棲なんてしてるんだ?」

 男の目が変わった。安室さんの家に逃げ込んだことも知られていた? いつ? どこで? 動きを止めた私の手を強い力で握りしめた男がゆっくりと身体を近づけてくる。

「予想はつくさ。毎回あの男にうまく巻かれたけど、送り迎えのSPにしては随分親密そうだったから。……僕の何がいけないんだ? あの男と何が違う? ただの誘拐犯じゃないか、君を無理やり連れ去って、その上気持ちまで奪おうとするなんて」
「何が違うって? 誘拐犯はどっちなのかよく考えてくれる?」

 男の手を叩いて振り払う。目を見開いて固まった男の肩を蹴って距離を取った。唇を震わせる男の虚ろな瞳を睨みあげる。

「あの人がどれだけ優しい目をしてくれるか、どれだけ優しい手で触れてくれるか」

 きっと無意識。私の気のせいかもしれない。それでも確かにポアロで働いている時より確実に優しい目を向けてくれる。髪を乾かしてくれる時の優しい手つき。

いいんだよ、ありのままで。君を受け入れてくれる人は必ず居る

「自分のことしか考えていないあなたと違って、安室さんは私の為の言葉をいくつもくれた。あなたとは何もかもが違う、」

まずは俺でひとりだ

 柔らかい笑顔を思い浮かべる。感情が溢れだしてこぼれ落ちそうになる。

「一緒にすんな!」

 はくはくと青い顔で口を開閉させる男が震える手を私に伸ばす。それを振り叩いて足首に伸びる玩具の手錠を掴んだ。ちょっと頑丈だけど、それがなんだ。確かに輪の部分は鉄だけど、鎖部分はほぼプラスチックみたいなものじゃないか。理想の大人しくてか弱い女の子でいてやる必要はない。テーブルに置いてあったマグカップを取って、鎖部分に振り下ろす。

「君は、あの男が好きだっていうのか。君は苗字名前≠セぞ!」
「何がいけないの?」

 壊れた鎖がカーペットの上に散らばる。砕けたマグカップが足を傷付けて足首にいくつか切り傷を作ったせいで血だらけになってしまったけど、ひとつひとつの傷はそうでもない。
 カーテンを開けた。どうやらアパートの二階だったらしい。見たことのない黄色の丸っこい車が隠れるように止まっていて、中に乗っていたメガネの男の人と視線が絡んだ気がした。遠くから凄まじいエンジンの音が響いてくる。視線を移すと見慣れた白い車がアパート前の道路に滑り込んできた。

「苗字名前よ。アイドルじゃない、ただのモデル。恋愛禁止なんて聞いたこともない」

 運転席から飛び出してきた安室さんがアパートを見上げて、二階にいる私と目が合う。初めて見た、そんな呆気に取られた顔。部屋に乗り込もうと入口側の裏手に回ろうとする安室さんを制すために、窓の鍵を開けた。思った通り、安室さんはハッとして窓の真下に駆けてきてくれた。

「それにね。私、ただの十七歳の女子高生なの」
「名前さん!」

 窓を開いて足を掛けた私に向かって安室さんが叫ぶ。僅かに焦ったその顔をみると、胸の奥がきゅうって鳴くの。優しく伸ばされる手に思わず擦り寄りたくなるのも安室さんだけだし、声を聞くだけでこんなにも感情が溢れる。これが恋じゃないなら、他になんて名前がつくのか私は知らない。

「──安室さん、受け止めて!」

 返事をする前に、身体を外に投げ出す。腕を広げた安室さんの胸に飛び込んだ勢いのまま後ろに倒れた。背中からひっくり返った安室さんに慌てて身体を起こそうとしても全く動かない。頭の後ろと背中。安室さんの手が回っている。安室さんの肩口にぎゅうと顔を押し付けられて少し苦しい。

「あ、あむろさん」
「無事で、よかった」
「……うん」
「心配させないでくれ」
「うん、」
「……ごめん」
「ううん。ありがとう」

 前髪越しのおでこ。安室さんが喋る度に唇が当たって擽ったい。どさくさに紛れて安室さんの首に回していた腕をぎゅうと締める。大好きな優しい手が、くしゃりと頭を撫でた。