「それでは行って参ります」

まだ日が昇って時間も経っていない早朝独特の空気の中、私は家を出た。
天気は晴れ。清々しい空気である。昨日の土砂降り雨のお陰だろう。川の水の状態はあまりよくなかったけれど、私には教えてくれない秘策とやらで曽祖父父母がいつも通りの豆腐を完成させていた。
そして、今日は初めての本格的お豆腐提供日だ。

なるべく早い時間に頼む。そう文面に記されていたから教えていただいた学園の人数分の大量の豆腐を未明から家族総出で作って、出来立てを私が眠い目を擦って偶然辿り着いたあの場所を記憶を頼りに…というのは嘘で、同封されていた学園までの極秘地図を片手に以前より重い荷車を押して歩く。あんだけ主張しておいて極秘地図も何もない。
鳥のさえずりを応援によいしょこらしょと荷車を押すこと四半時。思っていたより簡単な道に安堵する一方で門を叩く前から満面の笑みで待ち伏せていた彼に驚きを隠せなかった。

「おはようございます」
「お、はようございます。ええと、」
「久々知兵助です」
「久々知、くん」

いや納得してるバヤイか。何故いる。いつからいた。待ち伏せか?でも私の勘違いという線もあるので一応、一応聞いてみる。

「こんな時間からお出掛けですか?」
「いえ、豆腐屋さんを待ってました」

待ち伏せであってた。真顔なのも失礼だと思って困惑がだだ漏れの苦笑いをこぼして、開けてもらった門を荷車を押してくぐる。
早朝とだけあって学園内はひどく静かだ。でもそこには美味しい匂いがふわりと漂ってくる。この間豆腐を運んだ場所からだろうか。こんな朝も早くから学園の生徒たちにご飯を作る食堂のおばちゃんには褒める以外の言葉が出てこない。学園のみんな分のご飯なんて私じゃ想像もできない量なんだろうなぁ。そして、そんなおばちゃんに今からこの豆腐たちは調理してもらえるのだ。うちが丹精込めて作った豆腐が。

「豆腐の保管場所まで俺が案内させていただきます」
「君が?」
「だから待ってたんですよ」

なんだ、明確な理由があって朝も早くから門の前にいたわけか。 そうでもなきゃストーカーかただの豆腐に狂った人間だよね。

「でも最上級生でもないのに君が案内役だなんてご苦労様です。やっぱり学園長先生たちに私を紹介したからかな?だったら申し訳ないね」
「いえ、俺がいつも豆腐を作ってるから作業場についてはおばちゃんの次に詳しいので」

豆腐に狂った人間だった。
試食の豆腐を食べた時になんだこいつとは思っていたけど、助けてもらった身だし特に突っ込まなかったが言わせてもらおう。こやつ相当やばい。

すでに水桶の中に豆腐がいくつか沈んでいるのは何で?何でなの?いつ作ったの?

「これ、お豆腐屋さんが来たら食べて貰おうと思って今日作ったんです。いつもより上手くできたんで、是非」

ぐい、と差し出された手には先ほどまで水に浸かっていたツヤのある真っ白な豆腐。どう受け取れば良いのか分からず、取り敢えず両手をくっつけて差し出せば豆腐を乗せている手を左右にずらしてつるんと私の手のひらに乗せた。荷車を引いて赤くなった手に程よく染みる冷たさだ。
折角だし頂くとしよう。そのまま口元に手を近づけて一口食す。

「な、なにこれ。すごく美味しいんだけど」

味付けもなにもされていない無味の豆腐のはずなのにちゃんと味がするなんて彼、一体何者なんだ?忍者のたまごなんじゃないの?

「よかった。豆腐屋さんに褒めてもらえたなら分量メモしておいて正解でした」

一豆腐屋の娘としてその材料の分量は気になるところだけど聞くのは自分のプライドに反する。頑固な祖父も父も同じだろう。どこか抜けた母は手を叩いて聞き出しそうだけど。

「おはようお豆腐屋さん。朝も早くから悪いわねぇ」
「おはようございます。いえ、早起きには慣れてるので大丈夫です。うちの豆腐を美味しく調理していただけるのであらばどこへでも駆けつけるので!」
「あら。勿論、ちゃんと美味しく調理するわよ〜!」

さっきより強くなった食事の匂いに思わず息を吸う。食欲がそそられるなぁ。早く家に帰って朝食が食べたい。

「いい匂いですね。お魚ですか?」
「そうよ、水軍さんから貰った新鮮なお魚。今日のお豆腐は味噌汁に使おうかと思って」
「味噌汁にですか!うちの豆腐は味噌汁によく合うって評判なんです!」

思わず前のめりになっておばちゃんの手を握ってしまった。最初こそはびっくりした顔で目を瞬かせていたけど、次第に笑顔になり楽しみにしていると頷いてくれる。早起きしてよかった!

「そうだ。折角早くに来てくれた事だし、朝ご飯食べて行きなさい。急ぎで帰るなら無理には言わないけど」
「えっいいんですか?でも忙しいしご迷惑では」
「迷惑な事なんて何もないわ。たった一人分増えるだけじゃない。少し待ってて貰わなきゃだけど大丈夫?」
「全然待ちます。むしろお手伝いいたします」
「いいのよ、ゆっくり足を休めてなさい」
桶に使う分の豆腐を移したおばちゃんの後をついていく。久々知くんも私の隣に並んでおばちゃんの後につく。
次第に強くなる美味しい朝食の匂いに呼吸の感覚が深くなり、肺いっぱいに良い匂いが吸い込まれた。

適当な席について腹の虫を一生懸命抑えていると、ナチュラルに私の眼の前に久々知くんが座っている。おっかしいな途中からいなかった気がしたのだけど。それにまだ私以外の学園の生徒が活動しだした気配もなければ、誰かが食堂に来る気配もない。彼にも交友関係があるだろうし、こんな所で私と一緒に座っていていいんだろうか。
「お友達と朝ごはんにしなくていいんですか?」
「たまには違うことをしてみるのもいいと思って。あ、もう伝えてあるのであいつらの事は心配なさらずに。それにしても味噌汁に合う豆腐か…この間食べたのとはまた違った感覚を味わえるのだろうか…ブツブツ」
きゃあ怖い。さっきいなくなってたのは気のせいじゃなくてお知らせしに行ってたのかな?流石は忍たま全然気付かなかった。

久々知くんの未だ続く独り言には聞こえていないふりをしておばちゃんの準備をお言葉に甘えて待とう。あ、帰りに荷車取りに行かなきゃ。

(お味噌汁とおたうふ)
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