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 賑やかな空間は少し苦手だ。それは村にいた頃もそうだった。
 カイと姉のリアラが隣にいて、酒を酌み交わして騒ぐ大人達をいつも遠巻きに見ていた。
 アスラナの短い春がやってくると、咲き誇る優しい色合いの花々に囲まれながら、必ず夜通しの宴会が催された。
 丘の上で焚き火をし、冬よりもまろやかな星空見上げながら、村人全員で同じ料理を食べた。
 ――実際、星を眺めていた者などほとんどいなかったけれど。
 ぐつぐつと煮える鍋のにおいや肉の香ばしい煙が辺りに立ち込めると、大人も子供も皆嬉しそうに笑う。
 厳しい冬の終わりを告げる、穏やかな夜風を胸いっぱいに吸い込み、互いに顔を見合わせて言うのだ。


 ――神と貴方に、この上ない感謝を。


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 一度開かれた扉は、十秒を数える間もなくぱたんと閉じられた。
 今のはなんだったのだろうかと思っていると、今度はやや乱暴に扉が押し開けられる。ぶわ、と吹き込んできた風に髪が攫われ、シエラは思わず目を伏せた。
 開かれた双眸に映り込んだのは、風よりも早く飛び込んできた深藍の軍服だ。

「んのっ……ユーリ! なんでお前がここにいるんだ、なんで! 執務はどうした!? 第一、俺よりもあとにあの部屋を出た奴が、どうやって俺より先に――!」
「こらこら、エルク。騒がしいよ。姫君が困ってしまうだろう?」
「誤魔化すな! お前、まさかまたやったんじゃないだろうな」

 『また』が示すのは、バルコニーから飛び移りたことだろうか。
 ずかずかと大股でユーリに詰め寄ったエルクディアは、手にしていた書類や本をテーブルの上に放り投げるように置いてあぎとを剥く。
 それでも書類の山が崩れることはないのだから不思議なものだ。
 今にも金糸の髪を逆立てんばかりの様子で怒っている彼は、シエラやオーギュストなど見えていないかのようだった。
 王としての自覚がどうだとか、もっと立場を弁えろだとか、とめどなく溢れてくる説教を雑音として受け入れながら、シエラはぼんやりと彼を眺める。
 ――先ほどこの老人が言っていたことと、まったく同じではないか。
 見目はまったく違うが、やはり親子なのだろうか。
 だとすれば、エルクディアは母親に似たのかもしれない。

「そうは言うけどね、キミだってよくやるだろう? お互い様じゃないか」
「それとこれとは別物だ。俺とお前じゃ、危険度が違う。もし万が一、お前になにかあったらどうするんだ!」
「おや、心配してくれているのかい? 嬉しいねえ。……でもね、エルク。後ろ、見てごらん?」
「またそうやってごまか――」
「――よくやる、じゃと?」
「……え?」

 今の今までシエラと同じように傍観を決め込んでいたオーギュストが、ゆうらりと幽霊のように立ち上がったかと思うと、両手の関節をぼきりと鳴らした。
 ユーリの胸倉を掴み上げて怒鳴っていたエルクディアが、一瞬にして石像のように動きを止める。
 ぎこちなく首だけで振り返った彼は、静かに怒気を放つ老人の姿を見るなり、ひくりと頬を引きつらせていた。
 どうやらまた一騒ぎあるらしい。
 人の部屋で――と思うも、このような騒ぎは村では日常茶飯事だったので慣れっこだ。隣の家では小さな兄弟達が毎日取っ組み合いのけんかをしていたし、酒が入った酔っ払い達が、広場で乱闘一歩手前の騒ぎを起こすこともしょっちゅうだった。
 それでも村中の者が、次の日には笑って食事を共にしているのだから、あの騒ぎも親愛の情ゆえのものなのだろう。彼らにとっては遊びに違いない。
 それとはどう見ても毛色が違うのだが、シエラにすれば今の状況も村での状況も『騒ぎ』には変わりがない。
 我関せずの体(てい)で茶菓子に手を伸ばしたところ、なにかが突然風を切った。

「うわっ」

 刹那、視界いっぱいに広がった深藍に思わず驚きの声が漏れる。
 一面の深藍、これはエルクディアの軍服だ。ついさっきまでガラステーブルを挟んだ向こう側にいたというのに、どうして彼が眼前にいるのだろう。
 それを理解するよりも先に、エルクディアの背が掻き消える。

「こんの、大馬鹿者がっ! 陛下に手を上げ、なおかつお前も『よくやる』とは何事じゃ! お前はわしの下でなにを学んでおった!」
「おっ、オーグ師匠! 落ち着いて下さい!」
「ええええいっ、軟弱者め! ちょこまかと小賢しい!」

 ひゅっと軽快な音がしたと思ったら、間髪入れずに肉の打ち響く音が高らかに響く。僅かながらによろめいてオーギュストの拳を片手で受け止めたエルクディアは、すぐさま後ろに跳び退って第二撃を回避した。
 休む間もなく繰り出される打撃や蹴りを交わす身のこなしは、さすが騎士団総隊長と言えるものだろう。
 いつの間にやら部屋の隅にまで移動した二人の姿をなんとはなしに目で追うと、わなわなとオーギュストの肩が震えていることに気がついた。
 背負っている大剣も同じように震え、彼の怒りを表している。
 角に追い詰められたエルクディアは苦々しく口端を引きつらせ、新緑の双眸を短く移動させて逃げ道を探している。
 そんな二人を見て、ユーリの笑声が唇の端から零れ出た。



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