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 シエラはきつく唇を噛み締めると、自分を見つめてくる青海色の瞳を刺すようにねめつけた。
 そうでもしないと、恐怖や不安といったものがすべて表に出てしまいそうだったからだ。

「随分と落ち着かない様子だね。なにか悩み事かな」

 瞬間的に眼光が鋭くなったのをシエラは感じたが、いや、と首を振るだけにとどめておいた。
 感情を出すのは苦手なのだ。喜怒哀楽を感じないわけではない。美しいもの、愛らしいものを見れば穏やかな気持ちになる。小汚いものを見れば、不快になる。――ただそれを表現するのに、少し抵抗を感じるだけだ。

「言いたいことがあるならさっさと話せ。お前だって暇じゃないんだろう」
「そんなことないよ、とは言えないのが残念だ。それじゃあ――」

 そんなことないと言われた方が迷惑だ。王が暇では、泥と汗にまみれる農民達の苦労が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 ユーリの言葉を遮るようにドンドンっと響いた扉を叩く音に、二人は揃って目を向けた。コンコン、でもトントン、でもない。いささか乱暴で性急そうな、強い音だ。
 軽食やら掃除やら、世話をしてくれる侍女達がこの部屋を訪れる際にはもっと軽やかで控え目な音がするので、これは彼女達ではない。エルクディアやライナもまた然りだ。
 突然の訪問者にシエラが首を傾げると、扉の向こうから少しばかり老いた声がわんと唸った。

「陛下っ、そこにおられるのは百も承知! かように危険な真似はなさると、何度申し上げさせるおつもりか! 入りまするぞ、陛下ァ!」
「おやおや、私としたことが面倒な相手に見つかってしまったね。――君と先のことについて話そうとすると、上手くいかないのは運命なのかな」
「……お前が無茶なことをするからではないのか?」
「ははっ、その通りかもしれないね」

 笑いながらユーリは席を立ち、彼自ら扉を開けて立腹の訪問者を出迎えた。
 一体どんな人物だろうかと意識をそちらに向けていたシエラの目に、想像していたものとは正反対の老人が飛び込んできた。
 身に纏っているのはおそらく軍服なのだろうが、騎士団の人間が着ているものでも一般兵が着ているものでもない。
 簡素だがしっかりと防具を身につけ、馬鹿みたいに幅の広い大剣を背負った老人は、老人と言うにはあまりにも生気に溢れていた。
 小さな水色の瞳は力強く輝いており、ぎんっと鋭い眼光でユーリを睨みつけている。髪は白く、やや後退しているものの貧弱な印象は与えない。
 短い顎鬚が大口を開けるたびに揺れていた。
 彼はシエラの存在など目に入っていないのか、今にもユーリに掴みかからんばかりの勢いでなにやら捲くし立てている。
 国王の立場がどうとか、威厳がどうとか、人としてどうだとか。
 鼓膜がびりびりと悲鳴を上げるほどの太く若々しい大声量に、シエラは顔をしかめて耳を塞いだ。
 それでもなお聞こえてくる説教に、されている本人はけろりとして真正面から受け流している。

「よいですか、陛下! いくら若くて見た目がよくて頭もよいときたとしても、そのような態度ではいつか家臣も愛想を尽かしますぞっ。バルコニーは飛び移るためのものではございません。もし失敗して怪我でもなさったら、エルクがどう責任を取ればよいと言うのですか!」
「やっぱり責任を取ってくれるのはエルクなのかい? なら怪我のしがいもあるというものだ」
「なりません、なりませんぞ陛下! あの馬鹿が責任を取る、すなわち騎士長を退くということになればこのオーギュスト、一体誰に老後の面倒を見てもらえばよいのやら! ああ、考えただけで眩暈が……。老いぼれの心痛を察して下さいませ」

 どう見たって『老いぼれ』には見えないのだが、オーギュストと名乗った老人はわざとらしく頭を押さえてよろけてみせた。
 シエラが口を挟めるわけもないので、静観に徹する。
 エルクディアを「あの馬鹿」と言うところを見ると、知り合いなのだろうか。老後の面倒などという言葉が出てくる辺り、随分と深そうな間柄だ。
 もしや祖父と孫の関係かとも思ったが、それはなんとなく違う気がした。理由も確証もないのだが、なんとなく。
 そういえば、村にも彼によく似た老人がいた。齢八十を越えるにも関わらず、健脚で山に登っては熊を倒し、背負って戻ってきては捌いて村中の者に振舞った。
 明朗快活な性格で、なにをするにも豪快。酒を飲んではげらげらと笑い、昔の自慢話を皆が酔い潰れるまで語り続ける。一度喋りだしたら止まらないような、そんな人だった。

「まあまあ、落ち着きたまえオーギュスト殿。姫君の御前だよ」
「またそうやって誤魔化しなさる! あの馬鹿とは違って、私はそう簡単に誤魔化されませんぞ」

 あの馬鹿とはやはりエルクディアのことなのだろうか。ますますもって関係性が疑問に思えてくる中、控え目に扉が叩かれた。
 とんとん、と一定の強さで叩かれたそれは、シエラにとっても聞き覚えのある音だ。
 噂をすればなんとやら――扉の向こうから投げられた「入るぞ」の言葉に、眼前の男二人の口端が持ち上がったのを、シエラは不思議そうに見ていた。



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