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 今まで呼吸の音さえ耳についていた静謐な空気が、僅かに揺らいだのを感じ取ってライナは顔を上げた。分厚い扉の向こうのざわつきを聞き取ってか、扉の正面に立っていた兵士らが脇へと移動した。
 直後、重々しい音を響かせながら扉が開かれる。順に出てくるこの国の柱たる者達の顔ぶれに、ライナは上げた頭を寄り深く下げて礼をした。
 朝議に参加している人物は皆、例外なく重要な役職を担っている。
 今しがたライナの前を通り過ぎた老人は、第一級宮廷神官であり、その中でも五本の指に入ることを示す五聖官の青玉(サファイア)の位を持つ。
 名をクラウス・ハリアといい、白いひげと厳格な顔つきが気位の高さを思わせた。

 神官、祓魔師、そして他の重役達が続いたあと騎士団総隊長であるエルクディアが書類を片手に出てくる。
 彼はライナを見て声には出さず「おはよう」と言うと、流れに倣わずシエラの部屋の方へ歩いていった。

 その後姿をちらと見やり、ライナは小さく息をつく。彼女も第一級宮廷神官になりさえすれば、朝議の末席には座れるかもしれない。しかし今はまだ、要請がない限り重要な朝議の場に立ち入ることは許されていなかった。
 たとえ神の後継者の護衛という立場であっても、本来の地位を考えるとそれは当然のことなのだ。
 しばらくのち、人の列も途切れその場には再びしんとした空気が戻ってくる。扉を支えていた二人の兵士に一礼して朝議室に足を踏み入れれば、五段ほど上がった上座に青年王が優雅に腰掛けているのが確認できた。

「おはようございます、陛下。今日は随分と長引きましたね」
「ああ、おはよう。この間のことで随分と叱られてしまってね。――軽率だ、だとかなんとか」
「……この間、ですか?」

 思い当たる節が多すぎてなんのことやらさっぱりだ。
 ユーリは笑いながらライナを手招きすると、豪奢な椅子に肘をつきながら言った。

「蒼の姫君を聖職者の護衛なしに迎えに行かせたことと、人狼討伐の件に対してだよ。君に怪我をさせた、とクラウス神官が大層ご立腹なさっていて大変だった」
「それはただ、わたしが未熟だっただけで陛下の責任では……」
「臣下の責任は王の責任。君が未熟だと言うなら、その力量を考えず遣わせた私の責任だろう? そういうことだよ。――ところで、なんのご用事かな?」

 期待に沿えず、申し訳ございません――そんな言い訳や謝罪さえする暇も与えず、ユーリは普段と変わらぬ笑みでライナを促す。
 純白の法衣が深紅の絨毯に流れている様子をぼんやりと見つめながら、彼女はここにやってきた理由をもう一度頭の中で整理した。
 青年王と対峙するとき、思いつくままに会話をしていたのでは、いつの間にかなにを話したいのかが分からなくなってしまう。
 まるでいいように操られているような感覚が嫌で、ライナはいつも気を引き締めなければならない。

「先日の件についてのお話です。セルラーシャ・グローランスについて」
「ああ、あの赤毛の娘か。ライナ嬢、あの娘に随分とひどい罰を与えたようだね。今にも泣きそうだったよ」
「あれだけで済んだのですから、寛大な処置では? それよりも、彼女の話なんですが――以前お渡しした報告書には、目を通していただけましたか?」

 事件の詳細を、ライナは体調が回復してすぐに報告書にまとめていた。そこでセルラーシャがなにをしたかも書き記したものがあったのだ。
 ユーリは一拍だけ置いて微笑むと、大きく頷いて話を続けるよう促す。

「あのとき、彼女はシエラに刃を向けました。そこには確かな殺意さえ、伺えました。……ですけど、あのときのセルラーシャは、普段のセルラーシャとは決定的に違うような気がしたんです。人が違っていたように見えて……まるで、なにかに操られていたかのように」

 普段の精神状態でセルラーシャがあのような行動を取ったとは考えがたい。それは何度かグローランス店に通い、彼女を知っているライナだからこそ疑問に感じたことだ。
 しかし『操られていた』と考えると、どうしても腑に落ちない点が出てくる。当然一番初めに浮かび上がってくる疑問は、『誰に』だろう。
 ライナは、真っ白な天井からぶら下がるシャンデリアを見上げた。
 次に訪れる王の聖誕祭で、記念としてこの天井に有名な絵師が天井画を施すのだと聞いている。冬になれば、この部屋にも立ち入ることができなくなるのだ。
 寒さの厳しいアスラナにおいて、真冬では絵の具が固まってしまうのではと懸念するライナだが、絵師当人が大丈夫だと豪語しているらしい。
 天井画が施されている間、朝議や軍議は別室で執り行われる。長年この城に住まうライナでさえ把握できていない広さを誇るアスラナ城では、それくらい容易いことだった。

 こうして違うことに意識を飛ばしているライナを不思議に思ったのか、ユーリは青海色の双眸をひたと据えてきた。
 切れ長のそれに見つめられ、ライナは内心慌てて意識を呼び戻す。
 ざわつく感情を悟られないようにと思いつつ、大きく息を吸い込んだ。
 できれば気のせいであればいい。自分の記憶違いであればいい。彼女はそう願う。



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