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「陛下、ハウライトと赤琥珀(レッドアンバー)の法石言葉、ご存知ですか?」
「『純潔を守る者』と『小悪魔のような誘惑』――二つが合わさった場合はさしずめ、『気高き血にて、魔の導きを施す者』かな。法石としてはあまりいいものとは言えないね。それが?」
「……いいえ、なんでもありません。ただ――」
「ただ?」
「少し……見覚えがあったものですから」

 血を固めたようなあの石が、セルラーシャの胸元で輝いていたということに。
 それきり口をつぐんだライナを見て、ユーリはさして気にした風もなく長い足を組み替えた。青年王はよく、こうしてなにもかもを分かったような顔をする。
 すべてはその手の内にあるとでも言いたげに、僅かな情報から事の大部分を読み取ってしまう。それは上に立つ者として望ましいことなのだろうが、ライナはそれが少し苦手だった。
 黙り込んでしまったライナを見かねたのか、青年王が分厚くもなければ薄くもない書類の束を差し出してきた。
 玉座までの階段を慎重に上り、それを受け取った彼女は表紙を見て納得する。流麗なアスラナ文字が並ぶそこには、先日の朝議で話し合われた内容が記されている。

「仕切り直し、ですか?」
「まあそうとも言うかな。――前回が散々だったからね」

 シエラが王都にやってきて、儀式的に行われた披露会は中止に終わった。魔導師と山賊が起こしたあの事故は大変な騒ぎとなったが、ユーリの迅速な対応によって国を揺るがすような大事にはならずに済んだ。
 そして今回、再び『神の後継者記念式典』などと称して、大規模なパーティを開催しようと言うのである。
 開催日は今日から数えて、ちょうど一月後。今から準備をしていれば、十分立派な式典となるだろう。アスラナの様々な部門の精鋭達が心血注ぐのであれば、それは大層目を瞠るものになるに違いない。
 渡された書類の一冊目は式典の計画書で、二冊目を捲ろうとしていたライナがふと手を止めた。黒い紐で綴じられたその表紙には、『賓客名簿』と書いてある。

「今回は随分と大きな式典ですね。もう少し質素に行うのかと思っていたので……少し、意外でした」
「おや、そうかい?」
「ええ。あのようなことがあったので、もう大々的に執り行うのはやめたものだと思っていました。……それにしても、陛下」

 名簿を捲りながら眉根を寄せるライナを、ユーリは静かな笑みを浮かべて見守った。

「プルーアス、ベスティアから王家の方がいらっしゃるとありますが――間違い、ですよね?」
「いいや。そこに書いてある通りだよ、ライナ嬢。プルーアスからはベル皇帝自らが。ベスティアからは二人の公子がいらっしゃる。エルガートは一の姫君、それからホーリーは……ああ、まだ未定だね」
「陛下! プルーアスはともかく、ベスティアの王族を呼ぶだなんて一体なにを――」
「避けてばかりはいられない。あちらも応じて下さったんだ、歩み寄ることも必要だろう?」
「…………他の方々は、賛成なさいましたか?」
「五分五分だったかな」

 アスラナ王国の近隣諸国の内、ホーリー王国とエルガート王国とは昔からの同盟国ゆえに国交も非常に順調で穏やかだ。
 だが、ベスティア王国とプルーアス帝国との仲は良いとは言えない。
 かつての大戦時、最後までアスラナと戦ったのがベスティアだった。現在のベスティアは内乱も多く、治安はすこぶる悪い。
 王のフィリップ・バウアーは残忍な性格で、残虐王としてその名を世界に知らしめている。その現王もここ数年体調が芳しくないらしく、王位継承者を十一人いる公子達の中から定めようとしているようなのだが――その継承者争いが、さらなる内乱を招いていると聞く。
 身内同士で殺し合うという悲惨さに、ライナは歯噛みした。
 彼女の出身国はエルガートだが、アスラナのように特殊な王政の中に身を置いていると、感覚も違ってくるのかもしれない。
 アスラナの王位継承権は最高祓魔師にある。少なくとも血の繋がった者同士が、血で血を洗うようなことにはならない。
 プルーアスもまた、アスラナに対してよくは思っておらず、時折無茶な国交を申し込んできたりする。
 無論アスラナの勢力がプルーアスを上回るため、無理難題を撥ねつけることは簡単だ。しかしその度に戦争だなんだと言われては、正直気も滅入る。

「それでこの兵士の数ですか。一般もかなり受け入れるようですね。――今回もまた、エルクにすべて押し付けたんですか?」
「おやおや、それは心外だね。彼に国王の絶対の信頼を置き、頼んだと言ってくれるかな、ライナ嬢」

 今度こそライナは大きくため息をつき、書類をユーリに返すと一礼して部屋を後にした。
 彼女も朝は忙しい。神官達の集まりに出て祈りの歌を謳い、新しい聖水をつくり、そしてシエラのもとへ向かわねばならない。
 廊下ですれ違う侍女や聖職者達と挨拶を交わしながら、彼女は一月後を思うと自然と重たくなる胸に気がついた。ぐるぐると靄のようなものが渦巻く胸中を一掃すべく、大きく呼吸するのだが気分は晴れない。
 それは二国の王族が訪れるからというだけではないことを、彼女はしっかりと自覚していた。


+ + +



 夢を見る。
 世界に平和が訪れる夢を。
 誰もが手を取り合い、笑い合い、穏やかに過ごす日々を。
 ――そんな、“夢”を。


+ + +



 吹き抜ける風は、あくまでも穏やかなものだった。
 甘さの宿る空気に髪を揺られながら、エルクディアはたくさんの荷物を抱え直した。
 左手に抱えられているのは、朝議で配られた書類とアスラナ王国やその近隣諸国について記された歴史書だ。
 古ぼけた黒い皮の表紙には、金の箔でアスラナの全体図が記されていた。
 長い外回廊を歩いていく間中、彼は延々と頭の中で今日の段取りを反芻する。
 これからシエラのもとへ行って、辞めてしまった――辞めさせられた、とも言うだろうか――王立学院からの教師の代わりに、様々なことを教授しなければならない。
 なぜ騎士である自分が、とぼやいたところで現状が変わるはずもなかった。決定権はこの国一番の権力者ユーリ・アスラナにあり、一臣下のエルクディアに拒否権は存在しない。


 思わずため息をつきそうになったがぐっと我慢し、次にすべきことを考えた。
 今朝の朝議で取り決められたことをシエラに伝えなければならないし、一月後の式典に向けて騎士団でも配置を考える必要がある。そうなると明日にでも軍議を執り行うことになり、そのための準備もしなければならない。
 芋づる式に増えていく『やるべきこと』に肩が凝りそうだと苦笑して、エルクディアは腰に佩いた長剣を一瞬だけ見やった。
 この長剣を下賜されたのは六年前――ベスティア王国とのビスコイルドの戦いにて功績を挙げ、当時所属していた六番隊リーオウの隊長に任命されたときだった。
 このときすでに国王はユーリで、まだ若い王と少年騎士の関係は、どこの国でも見られる主従のそれだった。
 しかしひょんなことから、長剣を下賜された同じ年に敬語禁止令――別名『変な気を遣ってごらん、あとが怖いよ令』――が特別に出され、今のような関係になっていったのだ。
 冷静に思い返してみれば、あれほど理不尽かつ意味不明な命令もないのだが、国王の命に断れるはずもなく、当時のエルクディアは素直にそれに従った。
 それを思い出すたび、彼は過去の自分に「なんでそう簡単に言うこと聞いたんだ」と問いたくなる衝動に駆られる。

 そう、あれからもう六年の歳月が流れた。様々な出会いから王立騎士養成学院に入学し、王都騎士団へ入団を果たし、そして副隊長、隊長、騎士団長と駆け足でここまでやってきた。



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