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 夜の闇がふたりを包む。浮かぶ光がふよふよと泳ぐように漂い、タラーイェの胸の中へと入っていく。痛みはもちろん、異物感などない。ただ、身体の中がとてもあたたかい。ウィンガルドの身体は、もうこんなにも冷たいというのに。

「……そら、入った。これで私は、永久にそなたと──……」
「ウィン? やだ、」

 竜の瞳から、光が失せる。
 血臭を纏った呼気が止み、少女は悲痛に顔を歪ませた。

「やだ、待って、待ってよ……! ウィン、おねがい、ねえ、やだ、やだよ……こんなのいらない、ウィンがいてくれなきゃ意味ない! 約束したでしょ? あたしのこと、好きなんでしょ? ねえ、やだよ、おいてかないでよ……やだ、やだぁ……!」

 血で穢されたオリヴィニスの大地に、少女の静かな哀哭が落ちる。竜を恋う声は、消え入りそうなほど小さなものだった。
 柔らかく吹いていた風が止み、その場から光が失せた。


+ + +



 蒼い花、咲かせて。
 ここは私の愛した場所。
 この世で最も澄み切った、数多の約束が眠る場所。
 哀しみと愛の眠る場所。
 蒼い花、咲かせて。封じて、氷の柱のその奥に。
 悲しいのなら、苦しいのなら、咲かせて、凍らせて。
 なのにどうして、貴女、拒むの?


+ + +



 夜の帳が下りた空に、星が散る。
 正確には、それは光を弾く氷の礫だった。
 エルクディアのこれまでの人生において、「圧倒的な強さ」と言えば思い浮かぶのは歴代の戦士の名であった。見ただけで気を呑まれ、目が離せなくなるような、戦場の華。時には冷酷さが求められる戦場において、強さは誰もが欲したものだ。強くなければ生き残れない。生き残れなければ守れない。ゆえにエルクディア自身も、常に強さを求めて励んできた。
 だが、そんなものは──人の身で得られる強さとは、砂の城ほど脆弱なものだったのだと思い知らされた。
 冷たい夜風が頬を嬲る。上に下に、まさに縦横無尽に空を駆け回る狼の背に跨っていたエルクディアは、眼前で繰り広げられる竜達の死闘に息を呑んだ。夜の闇に溶けそうな邪竜の、血の色に似た双眸がぎらりと光る。相対する竜は美しい濃淡の走る巨躯を揺らし、まばゆい閃光を放ちながら邪竜に迫っている。
 邪竜が放つ黒い雷を、氷狼マスウードが生み出した氷が防壁となってことごとく阻んでいく。エルクディアからすればその背にしがみついているだけで精一杯だったが、かろうじて目を開けているだけの余裕は残されていた。
 か細い月を喰むように、竜がその翼を広げる。
 月明かりが掻き消え、蝕が起きたかのように辺りが暗く翳った。
 星を落とす勢いの光線は、邪竜の首元を掠めた。苛立ちの猛りののち、灼熱の火球がマスウードを狙う。白銀の狼は宙を蹴って駆け上がり、燃え盛るそれを凍らせて退けた。それでも余波でエルクディアの毛先が焦げた臭いを放っている。
 邪竜を囲む竜達が一斉に啼く。彼らの羽ばたきにより、マスウードの体毛が大きくそよいだ。

「落ちんなよ、エルクディア! お前さんまで助けてる暇なんざねぇからな!」
「分かっています! ですが、俺がいては逆に足手纏いでは?」
「分かってねぇなぁ。お前には竜玉があるっつったろ!」

 エルクディアの中にはリシオルクの竜玉が存在している。この二十年で人間の身体にすっかり同化してしまっているとはいえ、玉に宿った力そのものは失われていないのだと、マスウードは邪竜の攻撃を避けながら説明した。エルクディアの身体はただの人間だ。幼い頃は玉の影響を受けていたとはいえ、竜本来の力を使いこなせるはずもない。
 だが、リシオルクは違う。
 本来の持ち主であるかの竜は、エルクディアが──すなわち、己の竜玉が傍にある限り、彼が生来持つ力のすべてを行使することができるのだ。その言葉を証明するかのように、リシオルクは闇を引き裂く燐光を発しながら数多の攻撃を繰り出してみせた。
 その属性に限りはない。風も、火も、水も、雷も、あらゆる要素を操っているように見える。
 攻撃の余波に煽られながら、エルクディアは懸命に目を凝らして彼らの姿を追った。無論、しっかりとマスウードに掴まることも忘れてはいない。
 巨大な氷柱が邪竜の脚を貫く。けたたましい悲鳴を上げ、邪竜が苦しげに羽ばたいた。

「アネモスの玉(ぎょく)は腹ン中だ! ど真ン中、しっかり狙えよ?」

 竜王ノルガドですら見通すことのできなかった竜玉の在り処を、氷狼の長は見逃さなかった。
 マスウードが叫び、リシオルクの尾の先が了解したとばかりに青く光る。それまで何頭もの竜が邪竜の攻撃を前に撃墜されていったが、彼らの強さはまさに圧倒的だった。
 竜族の中でも最も力を持つとされている時渡りの竜と、幻獣界最強種族の竜が唯一警戒する幻の氷狼族。
 光と氷の軌跡が駆ける空は弱き者の介在を許さず、神の愛した土地を穢す魔の者を屠ろうとする。邪竜を見据えるリシオルクの左右異色の双眸には憐憫の色が宿っていたが、それを見抜けるのはマスウードともうひとり、竜王ノルガドしかいなかった。

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