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 ウィンガルドの身体はタラーイェと比べると遥かに大きく、彼女など一口で容易く丸呑みにできるほどだった。己の太腿ほどの太さもある牙を目前に、少女は臆した風もなくその首元に縋りつく。
 ひゅう、と竜の口から掠れた吐息が漏れていく。
 辺りはオークの血臭とウィンガルドの焼けた臭いで酷いものだったが、その中にタラーイェは甘い香りを嗅ぎ取った。甘く、重たく、どこか粘ついた、不思議な匂いだった。
 ──死の匂いだ。

「さすがは我が太陽。だが、しかし……そこにいてはそなたの顔がよく見えぬ。花咲くようなかんばせを見せてくれ」
「ねえ、大丈夫だからね、ウィン。だいじょうぶ、だって姫神さまがいるのよ。あのひと、すごいんでしょう? 神の後継者なんだったら、こんな怪我くらいあっという間に治してくれるわ。だから、ウィン、おねがいだから目を閉じないで」
「そう泣いてくれるな、タラーイェ……。もう、拭ってやることもできぬのだから」
「だめ、だめよ、死なないで。ウィンがいなくなっちゃったら、あたしこれからどうすればいいの」

 どうすればいいのだろう。タラーイェは冷たい竜の身体に全身で抱き着き、涙を流しながら彼の名を呼んだ。
 ウィンガルドの表情は人化していたときと違って非常に読み取りにくいものであったが、柔らかく微笑んでいることが感じ取れる。

「案ずることはない。そなたはまだ幼い。先は長いのだ。数多の出会いが待ち受けていることだろう」
「うそつき! あたしたち人の子の一生は一瞬だって、ウィンが言ったのよ!? ウィン以外を愛すなって言った! あたしの魂はウィンのものだって、ウィンがそう言ったの!」
「ああ……そうだったか。……そうか。一瞬とは、かくも長いものだったか。訂正せねばなるまい」
「ウィン!」

 恐ろしいことを言う。
 若草色の竜はだらりと四肢を投げ出したまま、泣きつく少女の周りに光の珠を漂わせて慰めた。日が沈む。最期に激しく燃え上がった陽光が、タラーイェの涙を美しく照らして赤く染め上げた。

「泣くな、タラーイェ。そなたにいいものをやろう。私は常にそなたの傍にいることを誓う。……おいで、我が愛しき太陽。最愛の魂。この額に、くちづけてくれ」

 タラーイェは年齢こそ子どもでしかなかったが、けっしてもの知らずではなかった。命終わる者の放つ匂いを知っていた。その匂いが、目の前の愛しい竜から漂っている。
 ふつり、遠くの地平で太陽が姿を消した。いつの間に昇っていたのか、空の端には細い月が浮かんでいる。今にも消えてしまいそうにか細いが、月が消えてなくなっているわけではないのだとタラーイェに教えてくれたのは、他でもないウィンガルドだった。
 見えなくともそこに変わらずあるのだと、博識の竜は言った。昼日中にも、月と星は空を飾っているのだと。
 くちづけを乞われ、タラーイェは甘い香りを放つ竜の鼻先にしがみつき、己の顔ほどもある群青の瞳を見つめて不器用な笑みを作った。それは微笑みとは言い難い、ひどく歪んだものであったが、ウィンガルドは安堵したようにまなこを細めたのである。

「ウィン、あのね。……だいすき」
「ああ、知っているとも」

 小さな唇が、竜の光る額に触れた。ウィンガルドの身体はいつだってどこかひんやりとしていたはずなのに、その場所は春の微睡を誘うほどにあたたかい。泣きたくなるほどに優しい温度だった。
 淡い光が放たれ、穏やかな風がタラーイェを包む込む。死の香りを孕んでいない、澄み切った風だ。ふたりが逢瀬を重ねた森の、若く湿った緑の匂いがした。遠くに湖の水音が聴こえる。鳥の鳴き声、虫の声、ふたりが互いの言葉で交わした歌。そのすべてが、優しい風の中にあった。
 タラーイェが唇を離すと、ふわり、ウィンガルドの額から光の珠が浮かび上がった。それは彼が普段放つ珠とよく似ていたが、一目見ればまったくの別物だと分かる。
 竜玉だ。タラーイェの唇から嗚咽が漏れる。その光はあまりに美しく、小さな胸の奥を締め上げた。「やだ、」頑是ない子どものように──実際彼女はまだ子どもなのだが──首を振り、その美しさを認めなかった。
 玉(ぎょく)はタラーイェの両の手に余るほどの大きさだったが、これが竜の生命線なのだとすれば、その体躯から考えるとあまりにも小さい。ウィンガルドの竜玉には、内側に無数のひびが刻まれていた。ほんの少しの衝撃で砕け散ってしまいそうなほどの傷を内包した、ほんのりと薄黄緑に光を放つ玉だった。
 あまりにも綺麗だった。タラーイェが今まで見たことのあるどんなものよりも、彼の竜玉は悲しいほどに美しかった。


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