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「お前はへーかに近すぎる。でもってあの美人な嬢ちゃんにも、守るだのなんだの言ってんだろ。だからすぐに忘れちまうんだ。その余計なことがいーーーっぱい詰まった脳ミソにもっかい叩き込んでやるよ。――いいか、思い上がるな。お前が騎士長になった理由、もう分からねェたァ言わせねェぞ」
嫌な汗が全身から噴出すのをエルクディアは自覚した。
自分を睨むように見ているフェリクスの目が、瞬間心配げなそれに変わったから重症だ。これが蔑むようなものであればまだよかったのだろうが、どうやら今の自分は相当ひどい顔をしているらしい。下手をしたら青ざめているのかもしれない。
ああ、当然だ。
カタカタと震える手足に気づいてしまえば、なぜか笑いが込み上げてきた。そうだ、もう子供じゃない。だから、悟らずにはいられなかった。
帝国戦争の残り火が燻っていた当時、アスラナ軍とベスティア・プルーアスの同盟軍との戦いが勃発していた。エルクディアが騎士になり、王都騎士団に入団したのもちょうどその頃合だ。
幼い少年は徐々に前線に出るようになり、気がつけば国を代表するような活躍さえするようになった。神童と呼ぶに相応しい腕前だったことは疑いようがない。けれどそれは、あくまで『その年齢の少年』では考えられない実力だったのであって、戦場に慣れた大人の騎士と比べれば甘さばかりが目立っていた。
それでも人々はその少年を讃えだす。褒めちぎり、彼こそがこの国の次世代を担う者だと囁き始める。
敵国もただの子供と侮らず、情報を探り、一歩一歩を慎重に進めてくる。
――だから、エルクディア・フェイルスは必要とされた。
王都騎士団への入団を決めたのは実力だ。ビスコイルドの戦いで実績を上げたのも事実だ。だが常識で考えて、体も未発達の子供が、たった一人で敵将を討ち取ることなどできようもない。
一人突っ走る少年の周りには、常に熟練の騎士達がいた。余計な敵兵は気にしなくてよかった。少年の目には、名のある将だけ見ていればよかった。
それがどういうことか、気がついたのはいつだったろう。
あのときはただただ、己の実力に酔いしれていた。
――実力だと、思っていた。
アスラナという大国を纏め上げているのが年若い青年だということは、周辺国に余裕を生んだ。余裕は油断に繋がる。
けれど玉座についたユーリ・アスラナの指揮は、年に似合わず優れたものであった。無論、それとて年かさの役人らの助言があったからだが、それを抜きにしても各国――および国内に、動揺が広がる。
『あんなガキの治める国』から、『あの大国を治める少年』へと認識は変わった。国内の士気は上がり、敵国の民は更なる成長への恐れを抱いていた。
ならば。
アスラナの最大の武器であり盾であると称される王都騎士団の長が、神童と呼ばれ始めたあの子供なら……――?
経験はあとから積めばいい。指示は手馴れた者が後ろから出せばいい。
戦場に出し、下手に失わぬよう周囲を固め、子供の矜持と自信を高めるべく、ほどほどの功績を上げさせればいい。『それくらいの』実力ならばあるのだから。
騎士団の人間でも、油断していれば剣を弾き飛ばされる。確かに少年は強い。だが長となるには、なにもかもが程遠い。
それでもエルクディア・フェイルスは、王都騎士団の頂点に座した。――それが己の実力であったと、当時は疑いもしないで。
「……分かってるさ。…………分かってる」
気づかないままでいられるほど子供ではなく、気にしないでいられるほど大人でもない。
まだ大人と呼ぶには若すぎる二人の少年が治める大国に畏怖の念を抱かせ、味方の士気を上げる。象徴だ。戦女神のようなものだ。
つまりは、『お飾り』だ。
「はァ……たっく、お前らほんっとガキだな。みーんなガキだ。ガキの集まりだな、こりゃ」
フェリクスは面倒くさそうに言って、革製の長靴の紐をきゅっと縛りなおした。
「お前もへーかも、ガキだろうが。自分の力量を正しく測れねェガキばっかだ」
「あの美人な嬢ちゃんと神官の嬢ちゃんもな」と、フェリクスは冷たく付け加える。
「俺ァ何度も言ったぞ。驕るな、強さは固定されたもんじゃねェ。いっくらお前が総隊長ドノなんつー地位にいても、お前に勝てる奴なんざこの騎士団にはわんさかいる。心理状態、地形、気候、ありとあらゆる要素が絡み合って勝敗を決する。だから無敗なんざありえねェ、ってな。――言っとくが、それは今も変わっちゃいねェよ。お前は確かにあのときに比べりゃあ中身も体も強くなった。剣技の腕前は王都一っつっても笑われねェ程度にはな」
そうだ、フェリクスに、そしてオーギュストに、何度も言い含まされた。
驕るな。勘違いするな。――道を誤るな。
自らが事実に気づいて納得し、それを飲み込むまで、彼らは何度も何度も言ってきた。
「だがな、エルク。お前の戦い方は昔っから直らねェ致命的な欠点があ――」
考えるよりも先に体が動いていた。ひゅ、と銀が風を生む。瞬時に金属音が鳴り響き、鍛えられた鋼の間で火花が散った。
ぎりぎりと互いの力が拮抗する。久しぶりに剣を交えた相手は、刃の向こうで口端を吊り上げていた。
「人の話は最後まで聞けって教えたろーが、ボウズ!」
言うなりフェリクスは右に跳んで中途半端に抜いていた剣を腰に戻し、背負っていた大剣に構え直した。かつて、この大剣を弾き飛ばし、フェリクスの喉笛に切っ先を突きつけたことがある。それは騎士団に入団して間もない頃だった。
距離を詰めるように踏み出し、円を描くように体を捻る。目は常に相手の鳩尾を捉え、剣が振るわれるその瞬間を見逃さない。
フェリクスが大剣を振り下ろすたびに風圧で砂塵が舞った。エルクディアのつま先ぎりぎりと掠めていった切っ先が戻るよりも早く、長剣の先でフェリクスの軍服を裂く。捲くられていた袖がだらりと垂れ下がり、丸太のような腕には一筋の赤い線が生まれた。
いくら大剣の一撃が強烈でも、振り下ろされるまでの時間はエルクディアのそれよりも遅い。
一度振り下ろしたあとに生まれる隙を見逃さず、獣のように体勢を低くしてエルクディアはフェリクスへと斬り込んでいく。