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 額には玉のような汗が浮かび、肩は大きく上下している。詠唱を終えても閉じられることのなくなった口からは、苦しげな喘ぎが漏れるばかりだ。
 それを見て、シエラがぐっと床に爪を立てる。
 あと少し。大丈夫だ。あと、少しだから。
 今度は自分が助ける番だ。こんなところで、死なせはしない。誰も失いたくない。だから。

「シエラちゃん……? 駄目だよ、無理しちゃ! 下手に動くと……!」

 力が欲しい。
 誰かを守れる、力が。
 傷つかなくてすむ、力が。

「シエラちゃん、シエラちゃんっ! 待って! 確かに君にしかできないことはある。でも、今君がすべきことはここで終わりを待つことだ! リースくんもあの子も、ぎりぎりかもしれない。限界を超えてるかもしれない。それでも! 彼らを信じて、今は守られるべきなんじゃないかな。君はもう、十分がんばっ――」
「……嫌だ」
「嫌、って……そんなふらふらな状態でなにができるの? 君には彼ら以上に『力』がある。でも、今の君にそれを使えるだけの力はないよ!」
「お前に、なにが分かる……ッ!」

 傷ではなく、心が悲鳴を上げていた。シルディの言葉が、今まで誰も触れようとしてこなかった深いところまで押し入ってくる。
 必死に自分を止めようと掴んでくる彼の腕を振り払い、シエラは沸き立つ激情のままに叫んだ。
 ――お前になにが分かる。
 ユーリをも凌駕する『力』の源泉を持っていながら、それを使いこなせないことの口惜しさ、苛立ちが。それがお前に分かるのか、と。
 そんなものはただの八つ当たりでしかないと分かっていたけれど、それでもぶつけずには自分を保てそうになかった。
 シルディが俯く。ふらついたシエラの体を、抱き寄せるようにしっかりと支えて。

「……分かるよ。分かるから、言ってるんだ」

 自分とそう変わらぬ背丈の少年が、それまでとはまるで違った表情を見せる。
 魔物の断末魔、そして耳障りな爆音が轟く中で、彼は静かに言った。

「弱いことは悔しい。自分を守ろうとしている人が傷つくのは怖い。本来自分がなんとかしなくちゃいけないことなら、なおさらだ。でもね、シエラちゃん。間違えちゃいけない。正しい道が、進むべき道とは限らないんだよ。……今ここで、君を失うわけにはいかないんだ」

 だから動くなと言うのか。なにもせず、すぐ傍で血が流れているのに黙って体を休めていろと、そう言うのか。
 あまりのやるせなさに悲憤慷慨(ひふんこうがい)するも、シルディの逞しいとはいえない腕が思いのほか強くシエラを拘束して動けない。
 もがいて抜け出すだけの体力が残っていないことに、さらに苛立ちを煽られた。
 宥めるように背中を撫でられる。じんわりと熱くなる目の奥を誤魔化すように、シエラはきつく唇を噛み締めた。なんとか気が落ち着いてきたところで、顔を上げようとするとシルディが息を呑んだのが分かった。刹那、背筋を怖気が駆け上がる。
 ばっと振り仰いだ先にいたのは、腹の抉れた翼を持つ鳥の魔物だ。ギィイ、と不気味な声を上げてそれは飛び上がり、刃のように鋭い爪を向けて突進してくる。

「ッ――!」

 神言を唱えている暇などない。駄目だ、と思って硬く目を瞑り、腕を交差させて顔を庇った。ざ、と肉を抉る音が耳朶を叩く。
 むんと香った、むせ返るような血臭。だが不思議なことに、痛みはない。

「リー……ス? お前、なにをして……」
「無駄話は、終わ、ったか? はっ……、つくづ、く、目障りな連中だ」
「リース!!」

 ギィアアアア!
 リースの腕に深々と爪を立てていた魔鳥が、臓物の飛び出た腹から突然発火してもんどりうつ。片方の手で魔鳥を引き剥がして床に叩きつけ、彼は短剣を突き立てた。
 ぼたぼたと血の流れる腕を炎の中に突っ込んでいる様子に、吐き気が込み上げてくる。しかし戻された彼の腕に、火傷の痕は見られなかった。
 なれどその腕からは、鮮血がとめどなく流れている。

 ――庇われた。助けられた。どうして。

 あれほど冷たく、守る気などないと言っていたではないか。死のうが生きようが、関係ないと。それなのに、なぜ。



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