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「うつるだァアアア!? ざっけんじゃねェぞ、テメェ! 『リーオウ』なんつー女々しい隊名より、『アスクレピオス』の方が知的で勇猛な感じすっだろうが! 爽やかな香りに包まれてそうだろうが!」
「爽やかな香りだ? 笑わせんな脳ミソつるっつるオヤジに似合うと思っているのかハゲ」
「いーい根性してんじゃねェか、テメェ。総隊長ドノ至上主義者のにゃんこちゃんがよォ! 表出ろや、ちィと叩きのめしてやらァ!」

 なんの話をしていたのかすっかり忘れてしまうほどの空気がそこにできていた。ひしひしと感じる殺気を面白いと思えるユーリの感性もさることながら、常に冷静沈着の鉄火面をはがそうとしなかったオリヴィエが、ここまで激情――それも子供の喧嘩並の――を露わにするとは珍しい。
 王の存在を綺麗さっぱり無視して退室しようとしていた二人の背中に、ユーリは頬杖をついたまま笑みを投げかけた。
 他国ならおそらく、二人は不敬だの無礼だのでなにかしらの処罰が下されるのだろう。その心配がないのもこの国ならではだ。――絶対の信頼関係があるからこそのもの。

「お待ち、『ブラント隊長』」

 途端に舌戦がぴたりと止み、『二人』が同時に振り返る。

「オリヴィエは引き続きリヴァース学園の件と、ベスティアの軍備調査を。それとフェリクス、『アスクレピオス』は蛇使いだから、大蛇と名乗るのはちょっとねえ。まあでも……」

 ユーリは窓の外に目をやり、眩しげに目を細めた。今頃シエラ達はなにをしているだろうか。どれほど青年王の持つ力が強大でも、想像もつかぬ海の底では手の貸しようがない。
 もっともそのような状況に追いやったのは自分だが、それを反省するつもりも悔いるつもりもない。
 彼らが自力で乗り越えなければならない壁だ。こちらが打ち砕いてやることはできない。

「でももし、道を阻むものが出てきたら――そのときは、喰い殺しておやり」

 獅子の牙と、大蛇でさえ屠るその剛腕で。
 ――御意。
 軽い口調ながらも冷笑を覗かせ、王都騎士団十番隊隊長フェリクス・ブラントは膝を折った。


+ + +



 美しい大地に突き立てられた刃は、一体なにを生むのでしょう。
 枯れることなき泉か、湧き上がる砂金の噴水か、実り豊かな林檎の木か。
 それとも、ただの腐敗した血溜まりか。
 貴方の剣は、なにを生むのでしょう。


+ + +



 人を超えた力。
 口で言うのはひどく簡単だ。その力さえあればどんなこともできそうに思える。
 だが実際はどうだ。そこらの祓魔師より格段に戦闘能力は劣り、ライナのように手早く結界が張れるわけでもない。もちろんエルクディアのように剣が振るえるわけでもないし、シルディのように博識というわけでもない。
 せめてラヴァリルのような身体能力が備わっていればと思うが、あれほど俊敏に駆けることは難しそうだ。
 神の後継者という肩書を取ってしまえば、シエラ・ディサイヤは実に平凡な娘だ。たとえ周りがなんと言おうと、彼女自身はそう思っている。
 力が欲しい。誰かに守られなくてもいいだけの力が。自らの手でなにかを成し遂げられるだけの力が。
 ただひたすらに、痛切に、それだけを望む。

「くそっ、どこから湧いてくるんだこいつらは……!」

 先ほどまで静寂と青い光が支配していたその場所は、現在喧騒に塗り替えられていた。寄せては引く波のように、絶えることなく魔物がシエラ達に襲い掛かる。振動で天井までそびえる本棚から分厚い書物がばらばらと降ってきては、埃で辺りを白く染め上げる。
 祭壇の陰に身を隠すシルディが声援と注意を送ってくるものの、今のシエラにはそれを活かすだけの余裕はない。
 休んで回復させたはずの体力も、もうほとんど底をつきかけていた。犬のような魔物の牙を半ば転ぶようにして避け、肩で体を支えて膝立ちになる。あちこち飛び回って攻撃を繰り出していたテュールもどこか苦しげだ。
 どうしよう、と弱音が零れそうになってきゅうと口を噤む。
 ――駄目だ。言葉は力になる。特に自分のような聖職者の言葉は、大きな意味と力を持ってしまう。弱音は吐けない。
 ふらつきながら立ち上がり、荒い呼吸を引っさげてシエラはロザリオを強く握った。
 時折爆音と熱風が頬に当たるのは、リースの豪快な魔術のせいだ。彼は短剣で床に紋章のようなものを刻み込んだかと思うと、器用にその円の中心に魔物を引き寄せて呪文を紡ぐ。ついで轟く爆発音の凄まじさに、鼓膜だけでなく全身がびりびりと震えた。
 巻き込まれそうになって不満を怒鳴りつける余裕があったのも、最初のうちだけだった。今では神言を紡ぐことすら怪しい。
 魔術で生じた炎によって、床に転がっていた書物が燃え上がる。全身を焼かれ、骨が炭化し、異臭を放つ魔物達はしばらくすると邪気だけを残して消えていった。魔導師によってもたらされる魔物の死は、必ずといっていいほど憎しみを呼ぶ。その悪しき気がさらなる魔を導き、彼らは再びそれを狩る。

 終わることのない憎しみの輪だと、ライナは言っていた。だから魔導師は苦手だと。彼らが行っていることは、本末転倒なのだと。
 しかし、とシエラは思う。この状況で、聖職者だの魔導師だのと言うことそのものが本末転倒ではないのだろうか。確かに浄化は必要だと思う。新たな魔を呼び寄せることがないよう、清らかな状態に戻せるよう、光に還すことは大切だ。けれど自らの生死が懸かった状態では、正直なところそんなことはどうでもよかった。

 そう思う自分を、聖職者――いや、神の後継者失格だと彼女は眉を顰めるだろうか。

 淀んだ気はあとから祓ってやればいい。今自分達に必要なのは、絶対的な力だ。
 魔を退け、活路を拓く力。なんとしてでも生き延びなければならない。そのためには、なりふり構ってなどいられなかった。
 呼吸が荒れる。シエラは霞む視界をなんとか晴らそうと、風霊に祈って腕を薙ぎ払った。ぶわり。清浄な風が一瞬にして聖堂内を駆け抜け、爆発と衝撃によって巻き上がっていた埃が吹き払われる。
 たったそれだけの法術で、体の節々が悲鳴を上げた。膝ががたがたと震えている。もう腕が肩より上に上がらない。
 爛々と輝く赤い目が、いくつもシエラに突き刺さっている。埃にまみれ、所々破けた神父服には気づかぬうちに血が滲んでいた。神の後継者の流す甘美なそれに煽られ、魔物達が歓喜の声を上げる。
 今や聖堂内は荘厳さも静けさもなく、荒れ果てた空間へと姿を変えていた。床石は魔術によって砕け、部屋のあちこちで黒炎が燻る。支柱というよりは装飾の意味を持っていた柱は役目を追え、無様な姿で床に転がっていた。祭壇へ続く階段の手すりも、ほとんどが吹き飛んでしまっている。
 入り口の扉は、既に片側が粉々に砕け散っていた。



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