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「で、なんと書いてあったんだ? 上の部分は読めたんだろう?」

 覗き込めばシルディは複雑そうな顔をした。諦念とも覚悟とも取れる微笑を唇の上に乗せ、瞼を下ろす。

「――フラジーレ・フトゥーロ」

 彼は小さく、ただそれだけを紡いで口を閉ざした。
 フラジーレ・フトゥーロ。その言葉の意味を、シエラは知らない。


+ + +



 アスラナ王国の持っている情報伝達力は並ではない。各所に伝書屋が設けられ、手紙は数日のうちに各地へ届けられる。それ以外にも、世界各国の商人が出入りするこの国では、集まってくる情報の数も比例して多くなる。
 すべての道は王都クラウディオに繋がっていると言われるほどで、交通の便が発達すればするほど情報網も広がっていった。
 情報が氾濫する王都では、無論その見極めが重要視される。偽の情報を掴まされて泣きを見るのは、なにも商人だけに限った話ではない。城に腰を据える執政官ですら時には被害者となることがある。何事も情報を先に得たものが有利になる。だが、見誤った者は破滅の一途を辿る。
 それを十二分に承知しているこの青年は、いつになく慎重だった。
 裏を魔の森で固めた最強の要塞――アスラナ城の玉座に腰を据え、青海色の双眸を冷たく細めたユーリは頭(こうべ)を垂れる男に労をねぎらう。

「ご苦労さま、オリヴィエ。助かったよ。……これじゃ、文官達には調べられないわけだ」

 険しい山を二つほど越えた先にある屋敷になんぞ、体力のない文官達には到底辿りつけるはずもない。
 それも道中山賊やらなにやらが頻出するとあっては、生きて帰る保証などどこにもなかった。ユーリは手にした何枚かの報告書をじっくりと読んだあと、我が物顔で紅茶をすすっていた男に視線を投げた。
 筋骨隆々として逞しく、無精ひげが妙に似合う男の手に納まっている華奢なカップを見、似合わないと苦笑を洩らす。

「ひでーや、へーか。俺はこれでもカワイイもの好きなんスがね」
「それは失礼。それにしても、今回は君達直々に動いてもらうことになりそうだが……構わないかい?」
「お任せあれ。要するに、ちょちょいと行ってヤツをふんじばってくりゃあいいんだろう? なら話は簡単だ。なあ、オリヴィエ」
「口のきき方に気をつけろ。陛下の御前だぞ」
「へーへー、あいっ変わらず頭のかてーヤツだな。そんなんじゃオンナできねェぞー」
「いらん」

 不快さを顔に貼り付け、お前と一緒にするなとでも言いたげにオリヴィエは一蹴した。
 普段の慇懃な態度しか見たことのないユーリにすれば、このような砕けた様子は新鮮だ。そんな青年王の視線を受け、三十をとうにを超えた男はにやりと不敵に笑う。

「で、へーか。その聖人サマはどこにいらっしゃるんスかね」

 男の目が鷹のように鋭く光る。がっしりとした体躯に似合った大剣を背負い、彼は軍服の上着をだらしなく羽織って引き締まった筋肉を披露している。
 纏うそれは王都騎士団隊長格のものだったが、その品位は見る影もなかった。これが軍服でなければただの破落戸(ごろつき)だ。
 表に見える雰囲気は正反対だが、彼らの内に秘めた気性はどうやらそう離れたものでもないらしい。それを告げると、オリヴィエはあからさまに眉根を寄せた。

「今はホーリーのディルート地方――アビシュメリナ、かな」
「へーい、りょーかい。んで? お前はどうすんだ、オリヴィエ。一緒にホーリーに来るか?」
「俺まで行ってどうする。お前がいない間の野獣共の面倒、誰が見ると思っているんだ」
「野獣だァ? おっまえ、自分トコが『白炎の獅子』なんつーカッケェ呼び方されてるからって、人ン隊を野獣呼ばわりたァ何事だ! こちとら『剛腕の大蛇』だぞ!」
「蛇に腕があってたまるか。お前の隊なぞ野獣で十分だ! 躾のなってないサルばかりが寄ってたかって総隊長殿に押しかけやがって! 総隊長殿にオヤジ臭が感染(うつ)ったらどうしてくれる!?」

 なんだか話が変な方向に進んでいるような気がする。気はするが、なかなか見ることができないオリヴィエの素の表情をユーリは堪能することにした。
 つい先ほどまで陛下の御前がどうのと言っていた生真面目な彼は、年も背も一回りほど上の男にぎゃんぎゃんと吠えたてている。
 確かにむんと漂う男くささはある。しかし武人であればこの程度許容範囲ではないだろうか。そもそもエルクディアが異様なのだ。
 そうは思ってもやはり美しく繊細なものに心惹かれるユーリとしては、オリヴィエの言うようにエルクディアが――ああいや、考えたくもない。
 青年王は想像しかけた親友かつ有能な部下の十年後像にさっと青ざめ、言いようのない悲しさを覚えて首を振った。
 駄目だ。さすがに我慢ならない。



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