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 引き寄せられるようにしてシエラは壁に近寄り、肩に乗ったテュールの尾をそっと掬って壁を照らす。
 浮かび上がってきた極彩色の壁画に、息を呑む。恐る恐る指でなぞれば、細かな凹凸が感じられた。直接壁に彫り込まれているのは、美しい白亜の宮殿だった。
 同じ白亜の宮殿でも、白露宮ではない。尖塔がいくつも立ち並び、あちこちに水場を設けたその宮殿は見たことのないものだ。
 一体どこの宮殿だろうか。
 探るように壁をなぞっていると、シルディが掠れた声で言った。

「それはここだよ。海に沈む前の、アビシュメリナ。中央の奥に、一番高い尖塔があるでしょ? そこが僕達が入ってきた、星見の塔……なんだと思う」
「これがアビシュメリナ……? こんなにも広いのか……」
「改築とかされてるだろうから、完全にとは、言えないけどね。でも、ほとんどはそのままだと思うよ」

 不恰好なまでに高い尖塔を見上げると、それは確かに天を貫くほどのものだった。他の尖塔と比べると、その高さは異常だ。
 座り込んでいたシルディが壁に背を預けながらシエラの隣までやってくると、彼は壁画を見上げて「ここがどこだか、さっぱり分からなくなっちゃった」と苦笑した。

「前と違って、今回は流されてからそんなに時間経ってないよ。絶対とは言えないけど、ここは安全だから眠った方がいい。疲れたままじゃ、この先大変だから。……リースくんもだよ」
「余計なお世話だ」
「丸一日……ううん、もしかしたらそれ以上起きてるかもしれないんだ。ここではリースくんが一番の頼りなんだから、しっかり休んでくれないと困るよ。時間はまだ、残されているんだから」

 リースは案の定不快そうな顔をしていたが、片胡坐をかいて壁にもたれると静かに瞼を落とした。
 それはシルディの助言を受けてというよりもむしろ、これ以上言葉を聞かないための手段のように見える。
 シルディに「見張りは僕がしてるから」と言われてシエラも手身近なところに腰を下ろし、小さな竜を胸に抱いたまま目を閉じた。
 気を失っているのと眠るのとでは、全然違うのだろう。休息に意識は眠りの世界に沈んでいき、休息を求めていた体はぴくりともしなくなる。



 しばらくして目が覚めると、既にリースは起きていて、短剣の刃を乾いた布で丹念に磨いていた。実際眠っていたのは一時間ほどの短い時間だったが、頭はすっきりとし、体も随分と軽くなっている。
 もういいの? そんな声が聞こえたような気がして顔を上げる。口調は穏やかだったが、シルディのものではない。それどころか、彼の姿は見当たらなかった。
 優しい花のような甘い声は、以前耳にした精霊達のそれによく似ている。彼らかと思ってそっと呼びかけてみても、応え(いらえ)が返ってくることはない。
 訝っている様子をじいと見つめてくるテュールが、うー、と小さく鳴いたのをきっかけにシエラは思考を止めた。
 黙々と短剣の手入れを続けるリースにシルディの所在を尋ねると、彼は黙って顎をしゃくった。暗闇の向こうに、ぼんやりと重厚そうな扉が見える。
 あの奥にいる、ということなのだろうか。海水のせいでべとつく神父服の裾を払い、シエラは慎重に扉まで歩を進めた。

「シルディ……? そこにいるのか?」

 扉を開け放つ度胸はなく、扉に頬を押し付けるような形で問いかけてみる。
 わん、と声が響いただけで、それに対する返事はない。

「シルディ? ……テュール、この奥にアイツはいるか?」
「がーうー」

 くんくんと鼻をひくつかせ、テュールは呑気に首を後ろ足で掻いていた。犬か猫のような仕草に、頬が弛む。慌てた様子がないことから考えて、それは肯定だったのだろう。
 シエラは意を決し扉に手をつき、全体重をもって押し開けた。よく見れば床の塵は扇形に拭われており、すでに一度その扉が開いたことを示している。
 ふわ、と中の空気が頬を撫で、えも言われぬ緊張感が走る。
 その直後のことを、シエラはよく覚えてはいない。このそう長くはない時間の中で何度驚いたのか分からなくなるほど、彼女は驚きに足を止めていた。
 あまりにも衝撃が強すぎて、自分がなにを思ったのかさえ記憶が定かではない。
 言えることはといえば、『驚いた』ということだけだった。

「大、聖堂……いや、神殿か……?」

 青の支配。
 空虚な思考を染め上げるように浮かんできたのは、その言葉だけだった。



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