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 その瞬間、広い図書室にいるのはエルクディアとライナだけではないかと錯覚するほど、痛々しい沈黙が舞い降りた。
 ライナの双眸が映すのは確かにエルクディアの姿だったが、その奥では脳内に存在する様々な語句を探し、並び立て、いかにして会話を自分のものにするかという算段が練られているように思える。

 これは神官と言うより、軍師の目だ。先を見据え、大局を制す。年下の少女だとは、到底思えないほどの威圧感をひしひしと肌で感じ、エルクディアは口端が吊り上るのを必死で押さえなければならなかった。
 剣を交え、体を使って勝負する駆け引きはもちろん好きだ。しかし彼は、こうした知略を張り巡らせる駆け引きも好んでいた。
 ぞくりと肌が粟立ち、それに伴って心音はどくどくといつもよりも大きく聞こえ出す。すべての神経が研ぎ澄まされ、頭は休む間もなく様々な展開を考え、計算していく。
 そして己の取るべき最良の行動を実行したとき、考え通りにことが進めばこれほど嬉しいものはない。
 しかし今のライナにその高揚感はないのだろう。彼女は冷静に、ただ心を、揺れることのない氷の張った湖のように沈めている。
 だが、薄氷の張ったそれを破り、亀裂を広げるのはあまりにも容易い。

「時渡りの竜は宝石を好む。……それはどこから知った? なぜ、保護するはずだったテュールを飼うことに賛同した? この第五図書館だけでも、幻獣について記されている書物は多くあるよな。どうしてそれを読まないんだ?」
「もう読み終わったからですよ。ですからこうして、御伽噺でもと思って」

 途切れることなく続けられた質問に、ライナが答えたのは最後の一つだけだった。
 一切の焦りなどを感じさせない笑顔だが、長年彼女を見てきたエルクディアには、珍しく彼女が動揺しているのが見て取れた。
 頬杖をついたその指先で、さりげなく口の端に爪を立てる――それが彼女の、焦りを隠す際の癖だ。

「だったら普通、もっと詳しい資料を求めるだろ。第三、第四図書室になら、それくらいの書物があってもおかしくはないだろうし。……“それ”も読み終わったから、こうして御伽噺を開いてるんじゃないのか?」

 普段のライナならばころころと笑って、戦慄させるような言葉を紡ぎだしてエルクディアを退かせるだろう。けれど今回、彼女の唇が開くことはなかった。むしろぎりりと苦々しく噛み締められ、固く閉ざされてしまったのである。
 視線を落とし、エルクディアと目を合わせようとさえしなくなってしまった彼女は、悪戯を言い当てられた子供と表現するには少し鋭すぎる空気を纏っていた。

「なあ、ライナ。――お前はなにを、隠してるんだ?」

 チェック・メイト――そんな響きにも似たエルクディアの問いかけに、一度ライナは迷ったように瞼を下ろし、一拍の間を空けて小さくかぶりを振った。
 その際、彼女の唇がやや動いたように見えたのだが、声までは聞き取れない。静かに言葉を待つエルクディアの鼓膜を震わせたのは、彼女の声ではなく静寂を守ることが絶対とされる図書室ではありえないはずのざわめきだった。
 思わず振り返れば、小さな影が猛突進してくる。それが生き物だと脳が判断するよりも早く、衝撃が腹に走った。

「痛ッ――!」

 鈍痛に顔をしかめ、反射的に腹部に手をやれば、一瞬ひやりとした熱が指先に触れた。ここで反射的に腰に佩いた剣を抜かなかったことを、今のエルクディアは褒め称えてやりたかった。
 騎士としての性で伝説の竜を切り伏せました、など洒落にならない。

「……テュール、お前よくもまあ宝物庫荒らしまわった挙句、のうのうと俺に突進できるな。え?」
「がーうー」
「とぼけるな! 第一、シエラまで巻き込んでお前は――!」
「もういいだろう、エルク。避けなかったお前が悪い」

 かつり、と靴音を控え目に立てながらやってきたシエラに、テュールはぱたぱたと皮膜の翼をはためかせて飛びついた。
 恨みがましくエルクディアをじとりとねめつけるテュールの頭を撫で、あまりにも理不尽な言葉に固まっている彼の横へ腰を下ろす。
 ぐりぐりと頭を擦り付けてくるテュールをあやしながら、シエラが前方に座るライナを見た。

「……お前達、なにかあったのか?」

 エルクディアとライナを交互に見、シエラが呟く。両者の間を流れる雰囲気の違いを悟ったのだろう彼女は、不思議そうに首を傾いで唇を尖らせた。なにかあったかと尋ねても、エルクディアもライナも口を開く様子は見られない。
 言いたくないのならそれでいいし、なにもないならそれでいい。妙に探るのは気持ちのよいものではないだろうし、それになにより面倒だ――胸中でそう自己完結させたシエラは、軽く伸びをして筋肉をほぐした。
 隠れまわっていた際、身を縮こまらせていたものだからありとあらゆる関節がしくしくと痛んでいる。
 ふぅ、と一息ついた彼女が感じた視線は、二人だけのものではなく、図書室内にいるほとんどの人間からのものだった。

「――なんだ、一体」
「…………さんざん城中を引っ掻き回して、大捜索されてるテュールとお前が呑気に堂々と現れたら、そりゃ皆驚くだろ」
「同感です」

 驚いたと言うよりは呆れ返ったと言うような風体で、二人はうんうんと頷きあっている。一方、探されようと見つけられようと正直なところどうでもよかったシエラからしてみれば、彼らの反応は解せぬものがあった。
 テュールはシエラという最強の守りを手に入れたせいか、余裕綽々、ぺろりと小さな爪に舌を這わせてくつろいでいる。そんな傍若無人っぷりに苦笑して、エルクディアはシエラに向かって問いかけた。

「で、なんでシエラはここに?」
「――ああ、ユーリに言われてな。ライナのところに行って来い、と」
「陛下に? オリヴィエから聞いたんですか?」
「いや、どこにいるかは聞かなかったが――」

 そこで、シエラは自分の言っていることがおかしいことに気づいた。
 確かにユーリからはライナのいる場所へ行けと言われたが、肝心のライナがどこにいるのかは聞いていなかった。
 彼女の発言から推測するに、オリヴィエは彼女の居場所を知っていたようだが彼からもなにも聞いてはいない。エルクディアには彼から伝えたのだろうが、ひそやかな会話が聞こえることはなかった。
 そしてここに来るまでの間、誰にも声をかけず、また声をかけられずに一直線にやってきた。



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