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 オリヴィエに助け舟を出され、あの場から逃げ出したエルクディアが向かったのはライナの待っているという第五図書室だ。
 何度も足を運んだことのあるその場所は、このアスラナ城の中で最も大きな図書室である。
 聖職者や貴族達の勉強室ともなっているそこの重厚な扉を開ければ、途端にざわめきが掻き消えて紙の独特の香りが鼻腔をくすぐる。

 見知らぬ聖職者も多い中、エルクディアは入り口付近できょろきょろと辺りを見回した。
 肩に届くか届かないかというくらいの銀髪と、大きな紅茶色の瞳を供えた少女を探す。定められた式服を着てはいないおかげで、彼女は比較的見つけやすいだろう。
 白いワンピースを腰紐で縛り、そのすらりとした足はズボンが隠す。いつも穏やかな表情を浮かべている彼女は、良い意味でよく目立つ存在だった。
 ゆっくりと歩を進めながらその姿を探し、そして広い図書室の一番奥、窓際付近に佇む彼女を見とがめた。

「ライナ」

 あくまでも小声で呼びかけて近寄れば、ライナは読みかけの書物をぱたんと閉じてエルクディアを見上げる。
 手で軽く前の席を促してきたのでそこに腰掛ければ、彼女は「おはようございます」と挨拶をしてくる。
 エルクディアもそれに答えながら、身の内で言いたい言葉をゆっくりと整理していた。
 若いが彼女はとても聡明な神官で、聖職者養成のための王立学院神官課程を主席で卒業した経歴を持つ。神官達の中でも有能で、同じ年頃の神官の中では抜きん出た力を備えているのだろう。

 だが、服装から見ても分かるように、ライナは最高位の神官ではない。それを補うようこうして彼女は日々努力をしているのだが、最近それが頓に激しいように思えた。
 毎日毎日、シエラの護衛を任されていない時間を見つけては神官同士で勉強会を開いたり、一人で書物を開いてさらなる知識を吸収しようとしている。
 それが悪いことだとは微塵も思わないが、エルクディアはどことなく違和感を感じていた。

 まるで彼女の起こす行動は、焦りと結びついているような気がしてならないのだ。
 けれど、それを真正面から尋ねたところで、彼女は鈴を転がすかのようにころころと笑って否定するのだろう。だからこそ、思考の整理が必要だった。
 僅かな間を訝ってか、ライナが小首を傾げる。

「エルク、どうしました?」
「いや。勉強熱心だなぁ、と思って。――それ、幻獣についての本か?」
「そうですよ。テュールについて書かれている書物を探しているんですけど、なかなか見つからなくて」
「でもこれ、御伽噺だろ? そんなものに幻獣の、それも時渡りの竜の資料なんてあるのか?」

 こつりと指先で叩いた古ぼけた表紙には、子供が喜びそうな簡略化された竜の図柄が描かれている。人を背に乗せ、口から炎を吐く様は子供なら誰もが一度は憧れる姿だった。
 鋲の打たれたそれをそっと撫でながら、ライナはなにかを思い出したように表情を僅かながらに曇らせる。そしてエルクディアを見上げて、ゆるりと口元を緩めた。

「意外とこういった民にまで浸透している書物の方が、細やかに描写されている場合もあります。それが作り話だろうと、手がかりになるのならばあった方がいいでしょう?」

 それはおそらく、些細な変化だっただろう。エルクディアでさえ、注意深く見ていなければ気づかなかったほどの変化だった。
 大きな瞳の奥に揺らいだ光は、一瞬の迷いと真実を押し隠した。それを感じ取ったエルクディアは、周りの静寂を破らないよう気を配りながら、書物を棚に返しに行こうとするライナに静止をかける。
 ぱちくりと目を丸くさせる彼女は、驚いたようにエルクディアを見つめるとそのまま元いた場所に腰を下ろし、頬杖をついて彼の言葉を待つ体勢に入った。
 ここからが本番だと、エルクディアは己に喝を入れ、ごくりと唾を嚥下して喉を潤す。真っ直ぐに彼女の瞳を射抜き、核心に触れるための第一声を紡いだ。

「――この城には、俺みたいな騎士では入れない書庫があるよな?」
「ええ。それが?」
「神官専用の書庫は第一図書室、木の間。祓魔師専用の書庫は第二図書室、火の間。この二つは、頼まれたと言って証書さえ持っていれば一兵士だろうと足を踏み入れることくらいは可能だ。この城に入ることを許されている者だったら、その存在くらいは知ってるだろうな」

 きらり、とライナの瞳が険を帯びて光る。鋭くなった空気は、彼女の隠したそれに触れようとしたためだろう。

「なにが言いたいんですか、エルク?」
「聖職者や貴族――それも高位の者しか足を踏み入れることができない、第三、第四の図書室。お前だったら入れるんじゃないのか?」
「……ですから、それが?」
「高価な古文書や禁書しか置いてないその書庫に、時渡りの竜に関する資料が一冊も置いていなかったとでも?」



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