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 なんの感情も宿していないような眼差しは静かに冷えており、それが呆れと怒りをない交ぜにしたものであると、そのときのシエラには分からなかった。
 テュールと共にばつが悪そうに目を逸らし、さりげなく辺りを探る。

 逃げるためではなく、この様子を見ている人間がいないかどうかの確認のためだった。
 それは、彼女の持つ矜持が原因だ。そんな彼女の思考を読み取ったように、オリヴィエは「誰もおりません」と呟いた。
 壁に片手をつき、服についた汚れを払いながら立ち上がったシエラは片手にテュールを抱いたまま琥珀色の瞳を見上げ、ほんの少し高圧的とも取れる態度を見せる。片眉をやや上げ、ふんと鼻を鳴らして彼女はそのままオリヴィエの脇を通り抜けようと試みた。
 しかしオリヴィエはそれを許そうとはせず、シエラの行く手を阻むような形で前に立ちはだかる。さすがに腕を掴んで引き止めるのは無礼だと配慮したのだろうが、彼女からしてみればそんなことはどうでもよかった。
 どんな方法をとられようと、邪魔されたことには違いないのだから。

 むっとした表情で露骨に舌打ちして、今度は顔ごとオリヴィエから背けた。そのただならぬ二人の雰囲気に、困惑し始めたのは元凶であるテュールだ。
 せわしなく二人を見比べては、甘えるように高く鳴いて気をそらせようと努力してみるのだが、冷たい空気が流れ出す二人の間には無意味だった。
 
「シエラ様。どうか、エルクディア様の元へ」
「嫌だ」
「でしたら、陛下の元へ」
「断る」
「……シエラ様」
「拒否する」

 もしかしてこの二人、仲が悪いのだろうか――そのようにテュールが思ったのかは知らないが、困ったように目を伏せてぶらりと尾を揺らす。
 まるで火花を散らしているかのような二人の間に、なんとも筆舌に尽くしがたい沈黙が訪れる。
 しかしそれも、かつりかつりという一定の歩調で近づいてくる靴音によって破られた。あくまで警戒態勢は崩さずオリヴィエが視線だけをそちらに滑らせると、法衣の裾を揺らしながらユーリが優雅な笑みを浮かべてやってくるのが確認できる。
 反射的に向き直り深く礼をとった彼に反し、シエラは不遜な態度で青年王を迎えた。

「まったく、こんなところにいたとはね。最近の姫君は神気を隠すのがうまくなったから、探すのも一苦労だよ」
「神気を隠す……?」
「おやおや、無自覚かい? 罪な娘だ」

 莞爾として笑う様は美しく、ユーリの作られたような面立ちはそれだけで場を華やかにさせた。青海色の瞳がシエラを映し、慣れた手つきで彼女の手をとるとそのまま屈んで青年王は手の甲に唇を寄せる。
 だが、その熱が届くよりも先に彼女は手を振り払ってしまったので、青年王の口付けは空振りに終わってしまった。
 それでもどこか楽しそうな彼を見てシエラは理解できないと言いたげに眉を寄せ、テュールを片手で抱いたままその場を去ろうと踵を返す。

 この王に関わっていいことがあった例など、王都にやってきてから一度もない。
 右も左も分からない状態のときに平気で戦闘に放り出すし、舞踏の場から逃げ出せば妙な賊を発見するし、つい先日のテュール騒動だってそうだ。あんな少人数で行ったおかげで、ライナが負傷した。
 青年王の笑顔は信用ならない――そう考えていた矢先、まるでシエラの心を読んだかのように彼はさらに笑みを深くし、その指先でつん、とテュールの頭を小突く。

「さすがに城の者がうるさくてね。いくら伝説の時渡りの竜とは言えど、無茶をされては困る。ライナ嬢に今後のことは説明しておいたから、行っておいで。エルクもいるだろう」
「そもそも、これはお前が――」
「行っておいで、蒼の姫君」
「…………」

 有無を言わせぬ力が言葉には秘められていた。文句を言おうと口を開いたシエラを黙らせ、ユーリはほけほけと笑う。
 悔しそうに唇を噛んで大股で歩き始めた彼女の背を見送って、それまで傍らで沈黙を守っていたオリヴィエがどこか控え目に唇を割り開いた。
 レンガ色の髪が視界の端で揺れるのを見、青年王は表情を改める。

「先日のお話ですが」
「ここじゃなんだから、部屋に行こうか。……ああそれから、女性には優しくしたまえ。それが浮気心満載のご夫人だろうと――」

 そこまで言って、一度ユーリは言葉を区切った。
 シエラがもう視界からいなくなったことを再び確認するかのように目を細めて遠くを眺め、邪魔な銀髪を払い除ける。


「――無知とも言うべき、強情な姫君だろうとね」




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