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 清廉潔白、不正と嘘をなによりも嫌うあのオリヴィエが、まさかこのような嘘をつくとは思わなかったのだ。
 ぱちくりと目をしばたたかせるエルクディアを尻目に、オリヴィエはすっと長い腕を伸ばしてロジーナの手のひらに乗せられたブローチの一つを摘み上げた。
 なにをするの、と声を荒げる彼女に無言の圧力をかけつつ、低く呟く。

「アードラー夫人。我が騎士団総隊長殿は多忙の身。話相手でしたら、あちらの庭師にお頼み下さい」
「……まああああ!」

 オリヴィエのその一言に、周囲が一気にざわめいた。どっと押し寄せてきた津波のような騒ぎは、兵士や侍女を問わず広まっている。そして彼らは皆、顔を見合わせて「仕方ないか」と肩をすくめた。
 なんせロジーナは、彼の敬愛する「総隊長殿」の仕事を妨害していたのだ。騎士の見本と呼ばれえるオリヴィエと言えど、エルクディアに関する出来事ならば容赦などない。
 例え相手が女性と言えど、向こうに非があるのならばこうして冷たく切り捨てる――それが、彼の特徴だった。

 羞恥と怒りに顔を真っ赤に染め上げたロジーナは、きっと鋭くオリヴィエをねめつけて呆然と立ち尽くしている――しかし実際は今、彼は必死に笑いを堪えている――エルクディアに視線を移すと、紅が赤々と主張している唇を大きく動かして声帯を力一杯震わせた。

「アナタ、部下の教育はしっかりなさったら!? もういいわ、さっさとお行きなさいっ!」

 軽く一礼して駆け出せば、オリヴィエの小さな小さな舌打ちが聞こえてきてエルクディアは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
 元来オリヴィエとロジーナの気性は相反するもので、相性も決していいとは言えなかったが、今まではオリヴィエが大分譲歩してきたのでなんとか関係を保っていた。だが、それもどうやら今日限りのものらしい。
 新たな抗争の勃発に心なしかきりきりと痛み始めた胃の辺りを押さえ、徐々に歩幅を大きくしていった。早足から駆け足になるのにはそう時間はかからず、すれ違う兵士達に挨拶しながら彼はライナが待っているという第五図書室へ向かう。
 大きな窓から見える空は清々しい青さで雲を流しており、それを綺麗だと感じるよりも恨めしく思ってしまった。この身が担う事柄が、あの空のように平和ならばいいのに――と。
 そんな彼らのやり取りを一部始終聞いていた影が、廊下の隅のさらに奥、大きな大きな花瓶台の裏でもぞりと動いた。
 遠ざかっていく足音と忍び笑いを漏らす人々、そして火花を散らす温度差のある二人を一通り確認したのち、二つある影の大きな方が小さくため息をついた。
 見上げてくる小さな影の頭を撫でて、大きな影は呆れたように眉尻を下げる。

「まったく……アイツはなにをやっているんだ」

 潜められた声に賛同するように小さな影が頷くと、大きな影の美しい髪がさらりと肩から零れ落ちた。空の色とも海の色とも言えない鮮やかな蒼い髪が、床につく。
 そう、彼らこそエルクディア達が必死になって探している、神の後継者と時渡りの竜だったのだ。
 騒ぎを聞きつけたシエラがエルクディアの元へと向かう途中、口に大きな青玉(サファイア)のついた首飾りを入れてテュールが胸に飛び込んできた。
 それがおよそ今から二時間前の話なので、かれこれ三時間ほどアスラナ城でのテュール捜索が行われている。
 図らずも共犯になってしまったシエラは大してそれを気に留めた風もなく、この場からどうやって逃げ出そうかと思案していた。

 シエラとしては別にここでオリヴィエらの前に出て行って、何食わぬ顔で「どうした」と尋ねても構わないのだが、それをしようとすると胸元にしがみついたテュールが、左右異色の宝石のような瞳を涙で潤ませて懇願してくるのである。
 どうやら、悪いことをしているという自覚はあるらしい。
 右目は紫水晶をさらに濃くさせた赤紫、左目は翡翠に似た青緑の輝きを放ち、小さな体にびっしりと敷き詰められた鱗は頭部から尾部にかけて緑のグラデーションが施され、体長と引けをとらぬ長さの尻尾の先には水晶のクラスターと思しきものがついており、外から取り込んだ光を内部できらきらと乱反射させては人の目を引き付けた。

 全身が宝石のような愛らしい竜にこうして泣きつかれてしまえばシエラとて無碍になどできるはずもなく、結局情にほだされる形となってしまった。
 忙しなく廊下を駆けていく姿を見るたび、身を隠さなければいけないのは鬱陶しいが、これも自分が蒔いた種だと諦めるより他にない。
 ちらと視線を滑らせれば、ロジーナのドレスの裾が翻ったのが見えた。同時にオリヴィエの革靴がかつりと音を立て、反対方向へと向けられる。
 しばらくその様子を眺めていたのだが、ロジーナの赤い靴がこちらへ向かってきているのを悟り、シエラは慌てて身を縮めた。

「――なんなの、信じられないわ! 竜などと言っても、所詮はトカゲじゃない。それをこの城に置くだなんて、汚らわしい!」

 ヒステリックなロジーナの叫びに、シエラが不機嫌さも露わに眉根を寄せて唇を尖らせた。抱いたテュールをきゅうとより強く抱き締めて、小さな頭部に頬を寄せる。
 そしてふと、テュールに名前を付けていいかと尋ねたときに見せた、エルクディアの困惑した表情を思い出した。
 彼は竜の存在を嫌悪していたわけではない。ただ、いずれは自然に還さなければいけない存在で、下手に情を許せば別れがつらくなる――そう判断したのだろう。
 新緑の瞳がどこか悲しげにシエラとテュールを見つめたところから、それは察することができた。

「……それくらい、私も分かっている」

 見上げてくるテュールを抱き締め、彼女は小さく呟いた。

「別れがつらいと言って出会うことを拒否できるなら――アイツらに会いたくなかったな」
「……がう?」
「今更数が増えたところで、後戻りなど……」

 できるわけが、ない。
 ため息混じりに唇を笑みに形作り、シエラはどうしたものかと考えた。そろそろひと気もなくなってきたので、場所を移した方がいいだろうか。
 そう思っていた矢先、ふいに影が彼女の頭上を覆い隠し、呆れたような声音が降ってくる。顔を上げたのは、彼女もテュールも同時だった。

「――シエラ様、お戯れもほどほどに」



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