9 [ 147/682 ]


 くあ。
 大きな欠伸と共に青い炎を口から吐いた小さな竜は、シエラを見るなりぱちくりと大きな瞳を瞬かせた。小さな頭だ。シエラの握りこぶしよりも小さな頭を左右に揺らし、エルクディアとシエラを代わる代わる見やり、どこか嬉しそうに尾を振った。
 あれだけ敵意を剥き出しにしていたのが嘘のようだ。ふよふよと被膜の翼を羽ばたかせ、時渡りの竜はシエラの元へと飛んで行った。恐る恐る手で受ければ、小さな竜が満足そうに両手のひらの上で丸くなる。

「さ、シエラ。魔物の祓魔をお願いします。もう捕らえてありますから、あとは浄化するだけですよ」

 そう簡単に言ってのけ、ライナは荷車の上に被せてあった布を取り払った。中から凍りついた目玉の化け物が姿を現す。
 シエラに「それを預かっておこうか?」と訊ねたところ、物扱いされたことに不満を持ったのか、時渡りの竜はがちりと歯を鳴らして威嚇してきた。どうやらある程度の言葉は理解できるらしい。
 聖職者との付き合いが長いエルクディアも、ここまでカチカチに凍りついた魔物を見るのは初めてだった。

「普通に払えばいいのか……?」
「ええ。落ち着いてやれば大丈夫ですよ」

 シエラが一度大きく深呼吸をし、山間の冷えた空気を肺に取り込む。辺りを清廉な風が吹き抜けていく。握り締められたロザリオが、きらりと蒼い光を放った。
 十分な鎖の長さのあるそれをまっすぐに前に突き出し、シエラはしかと魔物を見据える。エルクディアにできるのは見守ることだけだ。静かに、ただ、静かに。彼女の神言が唇を割る様を見つめていた。

「<――闇は光に、魔は聖に>」

 ふわり。
 ゲイザーの周囲に、穏やかな風が巻き起こる。 
 通常、聖職者が王立学院等で学ぶ退魔の神言はさらに複雑な構成で、聖職者の持つ神気を高めるためのものなのだという。だが、シエラが扱う神言は、強すぎる力を抑制するための役割を持つのだと聞いた。
 鍵となる言葉を独自の神言とし、使用する。ゆえに、彼女の祓魔は他の聖職者とは違うのだと。
 確か、ユーリもそんなことを言っていた覚えがある。彼もまた、他の聖職者と比べて力が強い。そのため、正規の神言を用いることはほとんどない――そう微笑んでいた。
 シエラさえ上手く力を使うことができれば、たった一言の言葉でも魔物を祓うことができるそうだ。心中でしっかりと精霊との誓約を交わせば、ただ一言で数多くの魂を浄化することができるのだと。
 その世界は、エルクディアにとっては想像もつかない。

「<浄化の裁きを汝に下す>」

 エルクディアには神気も魔気も、どちらも感じ取ることはできない。精霊の気配もさっぱりだ。
 だが、聖職者が術を行使するときに放つ独特の空気は、はっきりと肌に感じ取ることができた。肌を撫でる風の冷たさや、水の音。あるいは、炎の熱。自分と変わらぬ人の身から、突然不思議な力が湧いて出る。それは、いつ見ても圧巻だった。
 シエラの周りを囲む空気は、今まで見たどれよりも蒼く、透き通っていた。そこに色などついていないのに、なぜかはっきりと蒼い色がこの目に見える。それは彼女の美しい髪が、そう思わせているのかもしれないけれど。
 大気が揺れ、氷漬けにされていたゲイザーの翼が僅かに動いた。どうやら本能で危険を察知しているらしく、逃げられる状況であるはずもないのに筋繊維が反応しているようだ。
 ライナの肩に乗った時渡りの竜が、強くなる風の音に合わせて機嫌よく尾を振っている。

「<燃えよ、その業を抱きて。昇れ、清らかな御魂となるために>」

 青みがかった白い炎が、円を描くように静かに地を舐めていく。荷車ごとゲイザーを取り囲んだそれは、木製の荷車には一切の焦げ目すらつけずに、じわりじわりと氷を溶かしていった。滴り落ちる雫が荷車の下に染みを作っていく。
 すべての氷が溶けた瞬間、青白い炎はゴォッと勢いよく音を立てて猛火となり、ゲイザーを一瞬で呑み込んだ。断末魔さえ掻き消すそれは、瞬く間に魔物の体を焼き尽くし、その場に輝く灰を巻き上げて消えていった。風に煽られ、聖灰と煙が天へと昇っていく。
 綺麗だと、そう思った。
 シエラの手がゆっくりと降ろされる。一度大きくきらめいたロザリオのブルーダイヤが、仕事を終えたことを告げているようだった。
 炎が姿を消し、煙も灰もすべてが流れて視界から掻き消えたのを確認し、山賊達がわっと歓声を上げた。
 ライナが嬉しそうに笑ってシエラに駆け寄る。

「ありがとうございます、シエラ! 上達しましたね。綺麗な祓魔でした」
「……そうか。ユーリが教えてくれた神言のおかげかもしれないな」
「陛下が?」
「ああ。……この間、お前達がいないときにあれに聞いた」

 一国の王を「あれ」と呼べるシエラには苦笑しか零れてこないが、エルクディアとて人のことを言える立場ではないので笑うだけに留めておいた。もっとも、ユーリ自身、それを聞いたところで笑って許すだろうけれど。

「そうだったんですか……。陛下もきちんと考えてくれているんですね」

 確かにユーリは現最高祓魔師の肩書きに相応しい力を持っているが、彼自身が討伐に出向くことはほとんどない。他の聖職者でも十分に事足りるため、青年王自らが足を運ぶような事態はなかなか遭遇しなかった。
 ゆえに、エルクディアやライナですら、彼が神言を使っている様を見たことは片手で足りる程度しかない。祓魔師と神官は最低でも二人一組での行動が求められるが、そもそもライナではユーリの相方となるには力が釣り合わないのだから、その機会も存在しえなかった。
 神の後継者であるシエラの傍にライナがついたのは、同年代であることが重視されたと聞いている。その中でも最も力が安定しており、性格にも問題のない彼女が選ばれたのだと。これはすべて、青年王の決定であったとも聞いていた。


[*prev] [next#]
しおりを挟む


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -