1.セイランとナグモ [ 18/22 ]

*腰にキス


 触れる唇の熱は、いつだって愛おしい。



「いっ……!」

 針が突き抜けるように走った痛みに、ナグモは前屈みになった体勢のまま息を詰めた。動けなくなるようなほど酷いものではないが、ふとしたときに痛みが襲ってくる。自分にしては珍しいミスをしたという自覚は十分すぎるほどにあったし、そうなる原因についてもはっきりと分かっている。
 止めていた呼吸を再開させると同時、背後に感じた気配を思い出して頭を抱えたくなった。ぎこちなく振り返ってみると、そこには案の定、胡乱げな顔つきのセイランがナグモを凝視していた。
 言葉もなく手招きもなく、ただ視線だけで「こちらへ来なさい」と誘導される。痛みを押し殺しながら隣に座ろうとしたら、セイランはなにも言わずにナグモを阻んだ。真正面に立たされたまま、下からじっと見上げられる。

「腰ですか?」
「あー……、ハイ」

 シャツの上から腰に触れられて、じんわりと熱が伝わってきた。
 なにも言われていないのに洗いざらい報告しなければいけない気がしてくるのは、長い間彼の部下として働いてきたからだろうか。ナグモの意思に反して勝手に動く口が、腰を痛める原因となった出来事を語っていた。

「今日、訓練でベイルアウトしたあとに組手頼まれちゃってさー。それでヘマして、つい」
「……組手」
「男女混合! 女の子もいた!」

 パイロットは緊急時に座席ごと脱出する必要があるため、射出座席訓練装置を用いて脱出訓練を行うことが必須とされている。戦闘機パイロットとして活躍するナグモも、当然この訓練に臨んでいた。実際の半分の加速度とはいえ、その衝撃はなかなかのものだ。
 ただでさえ腰に負荷をかけたあとに、予定になかった取っ組み合いの乱闘を一時間近く続けていたとは口が裂けても言えそうにない。セイランには組手と言ったが、あれは乱闘でしかなかった。ルール無用の無差別格闘技だ。
 休憩時間だから許されたことだが、なんにせよ悪ふざけが過ぎたとしか言いようがない。体格のいい男性隊員に思い切り投げ飛ばされ、落下位置に転がっていた女性隊員を無理に避けた拍子に受け身を失敗して腰を痛めた。挙句、大したことないと思い込んで寝技の掛け合いにまで持ち込んでとどめを刺したのだから、自業自得としか言いようがない。
 こんなことまで言えるはずがなかった。適当に言葉を濁すナグモを、探るような目が射抜く。

「それで、医務室へは?」
「行った。ちゃんと行きました。湿布貼ってもらった。この歳で腰に湿布とかもう……」
「とはいえ君ももう三十、」
「まだ二十代!」

 いくらセイラン相手でもそこは譲れない。噛みつくように言うと、彼はくすりと笑って大きな手を腰に回してきた。あくまでも優しく、添えるような手つきだ。優しい体温がナグモを溶かす。
 ――ねえ、知ってる? こういうとき、温めちゃダメなんだって。冷やせって言われたんだよ。
 そう言ってやれば、セイランはこの手をどけるだろうか。好奇心が尻尾を振って飛びかかってくるが、子犬同様あしらわなければ痛い目を見るのは明らかだ。第一、この手が離れていくのは、自分にとってもそう望ましいものではない。
 ゆるくナグモを引き寄せたセイランが、シャツ越しに鼻先を寄せてきた。

「――ああ、本当ですね」
「ちょっと! 女が湿布臭いって結構致命的なんだからやめてよ」
「僕は気にしませんよ」
「私が気にするの」

 引き剥がそうと頭に手をやったが、柔らかな黒髪が指の間を擦り抜けるだけで効果はない。それどころか、セイランはなぜかますます笑みを濃くしてシャツを歯で咥えてきた。そのまま上に軽く引っ張られ、ズボンから裾が引き出されていく。
 当然抵抗は試みたが、痛む腰ではそう上手く動けない。なによりも、セイランの腕がもたらす優しい拘束がナグモの自由を奪っている。
 この腕が与える拘束は、蜘蛛の糸そのものだ。細くて綺麗で、見るからに柔らかそうなのに触れるともう逃げられない。全身を絡め取られ、四肢はおろか心までもを捕らえられる。
 見下ろせば、白い歯が薄青のシャツを咥えていた。そのまま布越しに、腹に唇が押し当てられる。じわりと滲む吐息が肌をくすぐり、得も言われぬ感覚を甘く宿していく。

「なにしてるの、セイラン」

 答えは行動で返される。
 いつの間にか裾のボタンが三つほど外され、ついでにズボンのボタンまで開いていた。一体どういう早業を使えばこうできるのかと呆れたが、言ったところですべてを丸呑みする微笑みしか返ってこないことは目に見えている。
 直接肌に触れる唇が、存在を主張する腰骨を窘めるように食んだ。最初は柔く、唇で。耐え切れず身じろげば、次は軽く歯を立てられる。歯形など付きようはずもない弱さで、焦らすようにくすぐられるのだからたまらない。
 いっそのこと強い痛みを与えてくれたら、遠慮なくその身を押しのけて逃げ出すことができるのに。

「相変わらず細いですね。ちゃんと食べていますか?」
「私が大食いなの知ってるでしょ。今でもセイランの倍は食べてる」
「それでこれなんですから、本当に不思議ですね」
「ねえ、っ、そこで喋るのやめてくれない? くすぐったい!」

 ソファに座ったままのセイランは、一度ナグモを見上げて小さく笑った。柔和な顔立ちに浮かぶ微笑みはどこまでも優しげなものだというのに、目にした途端身動き一つ取れなくなる。
 腰に押し当てられた唇が、触れたままゆっくりと言葉を紡いでいく。熱の籠もった吐息が何度となく過ごした夜を思い起こさせ、ナグモの指先を震わせた。

「セイランってば、」
「残念。今日はなにもできませんね」

 気遣うように引き寄せられ、気がつけばセイランの膝の上に座っていた。真正面から向き合った男は、その目元に年相応の小皺と意地悪さを刻んでいる。
 いつだってこの目に惑わされる。目だけではない。甘い声に、とろけるような指先に、熱を与える唇に。
 一度囚われたが最後、逃げ出すことなど叶わない。
 いたわるように湿布の上から腰を撫でられ、痛みとはまったく別の感覚が背筋を駆け昇る。押し出されるように零れた吐息の意味に、彼はもうとっくに気がついているのだろう。背骨を這う指先が下着のホックをからかうように弾き、結局外すことなく下降した。
 意地悪な熱は、あくまでも腰にある。

「……ほんっと意地悪」
「おや、心外ですね」

 耳の付け根に触れた唇が、抗いようのない熱を生む。
 ――どうかこの甘やかな拘束からベイルアウト(脱出)する術を、誰か教えて。



(腰へのキスは、束縛のキス)
(2014.0922)


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