1.ソウヤとマミヤ [ 16/22 ]

*指先にキス

※「亡国の欠片」本編終了後のお話です。
※本編のネタバレを含みますので、閲覧の際はご注意ください。







 飲み会でマミヤが使い物にならなくなったと聞き、呼び出されたのはなぜかソウヤだった。聞くところによると、彼女はどういうわけかナグモと飲み比べをしていたらしい。
 潰れる直前でハルナが庇おうとしたが、案の定彼はグラス一杯で色気を振りまいて酔い潰れ、ソウヤが店に着く頃には皆のオモチャになっていた。
 チトセはカガに飲まされて酔ったキッカの面倒を見るのに必死で、マミヤを見る余裕はないらしい。確かに言葉通り見事に絡みつかれていて、携帯端末を押しつけるように見せられながらなにかを語られていた。そんなチトセが言うに、イセもその飲み会には不在で、他に安心してマミヤを預けられる相手がいないとのことだった。
 ソウヤが顔を出した途端、ナグモはけろりとした顔で手を振り、「やっほ〜」と呑気に笑ってみせた。その傍らで、首まで真っ赤にさせたマミヤがテーブルに突っ伏して寝息を立てている。

「ソウヤ一尉、すみません。他に頼める人思いつかなくて」
「あー……、まあ構わねぇが」

 背中にスズヤの爆笑を聞きながら、喧騒をものともせずに眠り続けるマミヤを見下ろした。ナグモと相性が悪いのは知っているが、簡単に煽られて馬鹿をやらかすような人間ではなかったはずだが。
 深緑の髪に絡まる埃を取ってやれば、ふいに腰に重みが乗った。

「そーやいちー」
「おー、ハルナ。酔ってんなぁ。もう飲むなよ、ゲロシャワーするのがオチだからな」
「あいー」
「よしよし、イイコだな。イイコだから言うこと聞けるな? その状態でタイヨウには近づくんじゃねぇぞ」
「あいー」

 腰に抱き着いてきたハルナの頭を掻き回してやれば、途端に子どものような笑みが向けられる。同じようにキッカに抱き着かれているチトセが、その笑顔を見て目を丸くさせていた。羨ましいとでも言いたげな表情だ。
 あやすように軽く側頭部を叩くと、しがみついていた腕から力が抜けていく。そのまま床に転がしてしばらくすると、ハルナは穏やかな表情で寝息を立て始めた。さながら大きな子どもか、遊び疲れて眠る大型犬のようだ。

「で、俺はこのお姫さんを連れて帰りゃいいのか?」
「みんな公認でお持ち帰りできるっていいよねー。ね、ね、今度詳しく聞かせてね?」
「アホ。こんなえれぇもん持って帰っていいことなんざあるか。それならお前かハルナ持って帰る方がまだマシだ」
「ええー? 選択肢に男が入ってるのちょっと悔しいんだけど」
「今のこいつはただの犬っころだろ」

 眠るハルナの頬をからかうように引っ掻けば、彼はくすぐったそうに身を捩る。空軍のエースパイロットとして名高い男とは思えぬ仕草は、何度見ても苦笑を禁じ得ない。出会った頃は礼儀正しくもどこか警戒心を露わにしていたが、今となってはそんなものは微塵も見られなかった。
 比較的酔いの回っていないアカギにハルナを預け、ソウヤは寝落ちるマミヤの肩を揺さぶった。手のひらにすっぽりと収まる薄い肩は、ハルナのものとはあまりにも違う。

「起きろ、お姫さん。帰るぞ」
「んー……」
「コラ、寝るなって。イイコだから目ぇ覚ませ」
「お姫様は王子様のキスで起きるもんだけどー?」
「そんじゃあ今すぐ王子様とやらを連れてこい」

 にやにやと頬を緩めるナグモにそう言ってやれば、彼女は綺麗に整えた爪の先をまっすぐに向けてきた。
 グラスの水滴で濡れた指先は、くるりと円を描いてまたぴたりとソウヤを捉える。

「ここにいるじゃない。青い瞳の王子様?」
「ぬかせ。王子様にしちゃ年食いすぎだ。んなむず痒い称号は、ナガトくれぇがちょうどいいんだよ」
「そ? 悪くないと思うけど」

 からかうナグモには無視を決め込み、ソウヤはマミヤの腕を引いて持ち上げた。ふにゃふにゃとした柔らかいそれは、驚くほどあっさりと身を委ねてくる。
 これは確かに、このまま放置しておくには不安だろう。申し訳なさそうに頭を下げるチトセに軽く手を振り、どうしたものかと考えてからマミヤの身体を横抱きに抱え上げた。
 アルコールに混ざって、甘い香りが鼻先をくすぐる。小さく唸っただけで起きそうにもないマミヤは、だらりと腕を垂らして寝息を立てたままだ。これでは、本当に「お持ち帰り」など容易いだろう。
 それにしても、仮にも男の自分がこれを任されるというのも不思議な話だ。信頼されていると言えばそれまでだが、無防備な女を前に男の理性がどこまで強固なものだと思っているのか、一度チトセにも訪ねてみた方がいいかもしれない。
 腕の中で穏やかな寝息を立てる本物の「お姫様」を見下ろしながら、ソウヤは店を後にした。


* * *



「んうー」

 いくら王族らしく気高く振る舞おうと、いくら軍人らしく気丈に振る舞おうと、彼女はただの女でしかない。
 戦闘機に乗れなければ、銃も満足に扱えないし、痴漢一人捕まえるのすら困難だ。
 どこもかしこも細く頼りないこの身体の中に流れる血が、彼女の運命とやらを決めているのだという。酒で赤らんだ顔は他の者であれば間抜けに見えるだろうに、どこか扇情的で美しい。半開きの唇も、時折苦しげに寄せられる眉間のしわも、零れる吐息一つとっても他とは違う。
 その美しさを本人が望んでいないだろうことは、もうすでに知っている。生まれながらに人とは違うと定められ、決められた道を歩むことしかできない籠の鳥。
 誰もが彼女に賛辞を送る。綺麗、かわいい、――優遇されていて羨ましい。これだけ「人と違う」のだから、苦労したって構わない。これだけ「恵まれている」のだから、傷つけたって構わない。
 そんな棘だらけの賞賛の中、彼女は笑って前を向く。
 気高く、美しく。そうあらねばならないのだと、伸びた背筋がそう語る。胸によぎる感情は同情だが、それを言えば彼女は怒り狂うだろう。
 ふいに小さく呻き、長い睫毛が震えた。薄い瞼の奥から、暗い緑の双眸がゆっくりと顔を覗かせる。

「目ぇ覚めたか?」
「……そーや、ちぃ?」 
「おー、相当酔ってんな。このまま風当たって帰んぞ。寒くねぇか?」
「へーき、あつーい」

 ふう、と溜息を吐いたマミヤは、大人しく抱かれたまま何度か瞬きを繰り返した。彼女だけ時間の流れが遅くなったかのように、ゆっくりと。
 どういう状況にあるのか、いまいち理解していないのだろう。その身体を軽く跳ねさせて抱き直せば、子どものようにきゃっきゃと声を上げて笑った。自然と腕がソウヤの首に回される。
 一年の空白を経て再会してからというもの、どうにも嫌われているような気がしていたのだが、どうやらそれすら忘れるほどに酔っているらしい。上機嫌に鼻歌を歌うマミヤは、目が合うなり口元を緩めた。

「次からは飲み比べなんざやめとけ。ナグモは下手すりゃ俺すら潰すからな。お姫さんが敵う相手じゃねぇよ」
「ずーいぶんかばいますねーえ?」
「今の発言の、どこが庇ってるように聞こえる?」
「ぜーんぶ」

 ナグモはあの体型でありながら、大酒飲みの大食らいだ。付き合っているとき、目の前で消費されていく酒と肴の尋常ではない量に驚かされたことは一度や二度ではない。そんな経験則を踏まえて忠告してやったというのに、マミヤは幼子よろしく唇を尖らせて目に見えて拗ね始めた。
 これだから酔っぱらいは厄介だ。男相手なら自己責任だとそこらに転がして放置していくが、女で、それも王族ともなればそうはいかない。

「そもそも、なんだってそんなことになったんだ」
「きーてくださいよ、そーやちぃ、あのね、マミヤの手ね、まほーの手なんですってぇ」
「あ?」
「ほら、ほら! いーにおいするんですって!」

 酔っ払いと会話が成り立たないのはそう珍しいことでもない。こちらの質問は華麗に流し、マミヤは手のひらをぐいぐいと顔に押し付けてきた。鼻が潰され、いい匂いとやらを嗅ぐ余裕もない。
 両手が塞がっているので顔を背けてなんとか振り払ったが、小さな手は何度も何度も追ってくる。「落とすぞてめぇ」脅しつければ、マミヤは怯えた風もなく笑いながら小鳥が口を開閉させるような仕草で指を動かした。
 なにが楽しいのか、ソウヤの目と鼻の先で手を握ったり閉じたりを何度も繰り返す。

「なぁんにもしなくてもいいの。なにしたって荒れないの。すごいでしょお、みーんなうらやましいって言うわぁ」

 水仕事をしても、たくさんの書類を捌いても。ろくにケアなどしなくても、手荒れなどとは無縁らしい。薬局に行けばハンドクリームの類は溢れているし、世の中には手荒れで悩む女性も少なくはないと聞く。確かにそういった人々からすれば、なにもしなくても綺麗なままの手は羨ましいものだろう。
 「高いクリーム買わなくて済むから、けーざいてきよねぇ」けらけらと笑って、マミヤは己の指先に唇を押し当てた。

「甘やかされてる手だって、よく言われるわぁ」

 ナグモの性格上、そんなことは言わないはずだ。マミヤからケンカを売ったのなら別だが、チトセの話によるとそんなトラブルはなさそうだった。
 だが、手の話にはなったのだろう。嫌味もなにもなく、「綺麗な手ね」とでも言ったのかもしれない。ナグモの手のひらは硬くなっており、ささくれも目立って一般的な「綺麗」とは少し遠のいていた。だから、単純に羨んだのだろう。あるいは、ただの感想だったのかもしれない。
 だがそれは、このお姫様には地雷だったらしい。相手がナグモだからかもしれないが、どうして相性が悪いのかは謎のままだ。

「ねー、ほんとにいーにおいします?」
「いんや、酒くせぇ」
「あ、ひっどーい! マミヤショック、泣いちゃう」
「おう、泣け。喜ぶだけだけどな」
「へんたい」
「どーも」

 すぐそこで揺らめく指先は、酒臭さに混じって甘い香りを放っている。特になにもつけずにこれだと言うのなら、確かに不思議だ。
 ソウヤは指の腹に軽く鼻先を擦り合わせ、顎を上げて唇を寄せた。途端にびくりと引っ込んだ手が、マミヤの胸元に逃げていく。触れたというほどのものでもなく、ただ掠めただけに近い。ついさっきまで自分から押し当ててきたくせに、こちらから近づくと逃げるのか。
 半ば呆れつつ見下ろせば、とろりとしていたはずの双眸が零れ落ちそうなほどに見開かれていた。どこか宙を泳ぐようだった瞳が、はっきりとソウヤを見上げてくる。

「お、酔いが冷めたみてぇだな」
「――き、」
「き?」
「きゃああああああああああああああああああああああっ!!」
「は!? オイ馬鹿っ、叫ぶな! 勘違いされんだろうが!」

 じたばたと暴れ始めたマミヤを慌てて地面に降ろし、ソウヤは軍人の反射神経をフルに生かして悲鳴を上げる口を手で覆った。それが余計に誤解を与えかねない構図だと思い至り、建物の陰に隠れるようにして華奢な身体を抱き寄せ、顔を胸に押し付ける。
 脇を抜けていった人影が訝しむようにこちらを見たが、面倒事には巻き込まれたくないと思ったのか、結局素通りしていった。

「たくっ……、強姦魔かなにかと間違われたらどうしてくれんだ。――お姫さん? オイ、マミヤ! ……寝てやがる」

 なにが「お姫様は王子様のキスで目が覚める」だ。
 にやつくナグモを思い出して舌打ちし、首まで赤くして寝息を立てるマミヤを再び抱え直す。今度は真正面から抱き上げ、軽く肩に担ぐようにした。腹が圧迫される体勢ゆえに、背中で吐かれる危険性はあるがそのときはそのときだ。
 人騒がせなお姫様を荷物のように運びながら、ヴェルデ基地までの道程を歩む。
 逆剥け一つない綺麗な指先がどれほど人のために動いているか、知っている。
 甘やかされていると評されるその手はあの日、たくさんの翼を救った。
 ソウヤもまた、彼女の手に救われたのだ。もう飛ぶことはできないと思っていた。それでいいと思っていた。選んだのは確かに自分自身で、後悔などなかった。彼女を恨む気持ちは微塵もない。
 もう二度と上がれないと思っていたあの空に、今の自分はまだ溶けることができる。
 ――マミヤは、無理やりに翼を奪ったと思い込んでいるようだったけれど。

「お疲れさん。吐くんじゃねぇぞ」

 強く、脆い手にくちづけを。
 魔法と呼ばれる努力を絶やさぬ指先に、称賛を。



(指先へのキスは、称賛のキス)
(2014.0501)

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