1.ヘルとゼロ [ 13/22 ]

 空学生同士の交流なんて、いっそなくなってしまえばいいのに。
 ゼロは心の底からそんなことを思いながら、目の前のにやついた顔を湯気の立つマグカップ越しに睨んだ。どうしてせっかくの休日にまでこの顔を見なければならないのだろうかと不満を零してみたが、昨夜教官から言い渡された命令のせいに他ならないため、どうしようもなくてテーブルに突っ伏した。
 理不尽だ。非常に理不尽だ。いつも飲むインスタントより上等なコーヒーの香りが、鼻先をからかうようにくすぐっていく。

「ねえ、ダーリン。次は服を見に行きたいんだけど」
「一人で行けよ。すぐ目の前にファッションビルあるの見えるだろ。あそこに山ほど店入ってる」
「『三国の友好を深めるためにも、テールベルトの学生と一日観光を、』」
「ああもう分かった、分かったよ! 案内すればいいんだろ!? それもう聞き飽きた!!」

 上の連中は「日頃過酷な訓練に勤しむ学生達に、年相応の息抜きをなど」と気を遣ってくれたらしいが、ゼロにとってはただの嫌がらせだ。余計なことをしてくれたとしか言いようがない。
 これがせめて別の相手なら、ゼロとて休日を楽しめたかもしれない。だがしかし、どうしてよりにもよってカクタスのこの男なのか。誰かの陰謀ではないかとすら思い始めた折に、ヘルは猫のようににんまりと笑って携帯端末のカメラをこちらに向けてきた。
 眉間にしわを寄せると同時、シャッターが切られる音がする。

「……なに」
「初デートの記念かな。兄貴達に自慢しようと思って」
「死ねば?」
「相変わらずつれないね。そういうところもたまんなく愛しいよ、ダーリン」

 ひどく甘ったるい台詞に、身体の芯から冷えていく。愛しいだのダーリンだの、到底男が男に言う台詞ではない。最初は同期達のからかいも影響して、「もしかして」という疑惑が胸を満たして恐怖すら感じたが、それがまったくの勘違いであることはすぐに分かった。
 甘ったるいのは言葉だけだ。そこに込められた感情は、むしろ冷たくて鋭い。殺意と言うと大げさだが、とにかくゼロが心配したような感情は微塵も含まれていなかった。
 単純にこちらが嫌がってるのを見て楽しんでる口振りに、喜ばせるだけだとは分かっていても怒鳴り散らしてしまう。根本的に合わないのだからどうしようもない。
 いつも以上に苦く感じるコーヒーを飲み終え、ゼロはヘルの肩越しに窓の外に広がる青空を見た。
 ――うわ、気持ちよさそう。
 流れる雲の具合から、風も穏やかだと知る。どうやら今日は絶好のフライト日和らしい。こんなところで嫌いな相手とお茶している暇があるのなら、あの大空を飛んでいたい。
 あまりに熱心に空を見つめていたせいか、それとも盛大な溜息のせいか、ヘルはゼロの視線を追って後ろを振り返り、空の具合を見て「ああ、」としたり顔で頷いた。

「飛びたい?」

 なにもかも見透かしたような顔が、より一層苛立ちを募らせる。
 年下のくせにゼロより遥かに大人びて見える顔立ちも、きらきらと星のように輝く髪も、――ここから見える青空によく似た綺麗な色の瞳も、全部が気に障る。

「あんたには関係ない」
「そう言わないで、仲良くしようよ。なんなら今度はうちでパーティでもするかい? ダーリンの好みを教えてよ。食べ物でもオンナノコでも、なんでも」
「あんたがいなけりゃそれだけで十分だからほっといて」

 テーブルに頬杖をつき、にやにやと猫のような笑みを浮かべているのが見えた。ああもう、どうせならビリジアンのあの双子と一緒に出かけたかった。彼ら相手なら、きっと楽しい一日になっていただろうに。
 それからしばらくヘルが一方的に他愛のない話をしていたが、彼は急に話を畳み、笑顔で「そろそろ出る?」と聞いてきた。異論はない。ゼロとて一刻も早く出たかった。
 頷き、席を立ってテーブルの上を見回したが、伝票が見つからない。

「なあ、伝票は?」
「俺が持ってるよ。心配しないで」
「あっそう。ならいいけど」

 それにしてもいつの間に。つい先ほどまでテーブルの端に置かれていた伝票は、ヘルの手の中に行儀よく収まっている。
 立ち上がれば、身長の差が露わになった。どう足掻いても見上げなければいけない差に、心の底から気に食わない。レジに向かう間、ヘルの背を睨むように見つめながら「縮め」と小さく呪いを吐いた。
 別々に会計してもらおうと思っていたのに、ヘルはぽんっと紙幣を一枚出して纏めて会計を済ませてしまった。若い女性店員がヘルの微笑み一つで舞い上がり、お決まりの「お会計はご一緒ですか?」という質問を忘れてしまったからだ。
 店を出て、ゼロはすぐさまヘルの前に拳を突き出した。別に殴るためではなく、小銭を支払うためだ。突きつけられた拳に、ヘルはなにを勘違いしたのか笑顔で自分の拳を軽くぶつけてきた。

「違うっての! お金! これ、ほら」
「――ああ、そっちか」
「それ以外になにがあるんだよ。あんたバカじゃねぇの」
「ダーリンからの親睦を深める合図(フィストバンプ)かと思ったのに、残念だな」
「あんたとはなに一つ深めたくない。いいからこれ。早く」

 さらにぐっと突き出せば、ヘルはなんでもないように笑った。

「いらないよ。それより、さっき言ってたファッションビルってあそこかい? 俺でも入る服はあるかな。テールベルト人はコンパクトだから」
「あんたより大きいセンパイでも服には困ってないんだから、あるに決まってるだろ。つか、いらないってなに。早く受け取れよ。ほら!」

 ぐいぐいと胸に押しつけた拳は、胸板の厚さを感じ取った。身長の低さは言うまでもなく、筋肉の付き具合にも恵まれなかったゼロにとってはただの嫌みでしかない。
 こんな奴に奢ってもらうなんてごめんだ。それも、年下に。
 だからさっさと支払ってしまいたいのに、ヘルはいらないと言って笑う。

「分かってないな、ダーリン。初めてのデートで相手に支払わせる男がいるかい? ――もしかしてデートしたことなかったりする? 覚えておきなよ、そんなことしようものなら大抵のオンナノコは帰っちゃうから」
「分かってないのはあんただろ! 俺は女じゃないっての! つかデートでもねぇし! あとデートくらいしたことあるし!!」
「うっそ! 神様は誰にでも平等に機会を与えてくださるんだね。きちんと感謝しておかないと」
「あったまきた、ぶっ飛ばす!」

 カフェを出てすぐの路上で迷惑な話だとは思ったが、沸き上がる怒りはどうしようもない。小銭を握り込んだまま殴りかかれば、いとも簡単に手のひらで受け止められた。
 にんまりと弧を描く唇に、意地の悪い言葉が乗る。

「大声出してはしたないよ、ダーリン」

 ぐっと腕が引き寄せられたかと思ったら、掴まれた手首に温かいものが触れた。身長差から天高く拳を突き上げるような不格好な状態で、ゼロは驚愕に目を瞠る。
 ヘルと比べれば一回り細い手首のどくどくと脈打つその場所に、余計なことしか吐き出さない唇が触れている。からかうように見下ろしてきたスカイブルーの瞳と目が合った瞬間、彼はあろうことか見せつけるように血管を舌でなぞった。
 悪寒が走る。あまりのことに言葉が渋滞を起こし、喉から滑り出てこない。テラス席を片づけにきた女性店員が「きゃっ」と黄色い声を上げたのを聞いて、ようやっとゼロの硬直が解けた。

「こんっの……!」

 振り払おうとした腕は、悔しいことにびくともしなかった。軽く歯を立てられ、手首を吸われる。
 小さな痛みを感じると同時に、頭のどこかがぶちりと切れた。

「ふざっけんな、クソ猫ぉおおおおお!!」

 掴まれているのとは反対の手でヘルの腕を掴み、それを支えに己の身体を持ち上げるようにして蹴りを繰り出した。掴んだのは逃がさないためだ。容赦など微塵もない。誰がしてやるか。
 さすがに腕を掴まれることは予期していなかったのか、ヘルの身体は危険を察知して僅かに身じろいだものの、ゼロの蹴りをまともに受けた。
 ショートブーツを履いた足が、ヘルの嫌みなまでに長い足の付け根――すなわち股間を一切の遠慮も見せずに蹴り上げる。

「ッ――!」
「死ねクソ猫! 滅べ禿げろ縮め変態!」

 ゼロの腕を捕まえておくだけの余裕も削がれてその場に崩れ落ちたヘルに向かって、腹の底から怒鳴って罵倒する。通行人やカフェの客から視線が突き刺さるが、今のゼロには気にする繊細さなどない。
 思いつく限りの暴言を吐き出したあと、肩で息をしながら踵を返した。もういい、知るか。怒られるのは慣れている。ここで置いて帰ったところで、子供じゃないのだから一人で帰ってこられるだろう。
 尻ポケットに突っ込んでいた携帯端末を取り出し、運よくビリジアンの双子の一人を案内することに決まっていたキリシマにコールした。数コール後、開口一番「なにかあった?」と問われ、察しのよさに感動する。

「あった! もうありまくった! 俺もそっち行っていい? センパイの相手ってスピットでしょ? え、ファイア? どっちでもいいよ、どっちもそう変わんないし。とにかく行くから、ねえ今どこにいんの!?」

 困ったようなキリシマの声が居場所を告げる。ここからはそう離れていない。
 ああよかったと安堵したゼロは、背後に迫る気配に気がついていなかった。


「――ダーリン知ってる? ケンカのあとは“仲直り”ってイベントがあるんだよ」


 平和な休日は、どこに。


(手首へのキスは、欲望のキス)

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