1.双子狐 [ 9/22 ]


「晴明、これでしまいか」
「ああ、助かったよツキシロ。さすが月乃女の息子だな」

 晴明の頼みを受けたのは、今朝のことだった。中級程度のあやかしを捕縛するのは、ツキシロにとってはあまりにも容易い。ギィギィと恨みがましげに呻くあやかしを晴明の足元に転がして、艶めく白髪を背に払った。成長に伴って、この髪も次第に銀に近づいていくのだろう。
 外見だけならば幼い子供とそう変わらないツキシロの頭を、晴明の手が撫でかけて直前でとどまる。月乃女や、あるいはユキシロであれば、無礼だと機嫌を損ねそうな仕草には間違いがない。恐る恐るといった風体でこちらを見やる晴明に、ツキシロはほんの僅かに伸びをして自ら頭を擦りつけてみせた。
 途端に嬉しそうに手のひらが頭を滑っていく。くしゃくしゃと掻き回され、耳の付け根をくすぐられた。

「ツキシロは、天狐のわりには友好的だよなあ」
「噛みついてほしかったのか?」
「まさか!」
「冗談だ。真に受けるな」

 笑いもせずにそう言えば、晴明は困ったように頬を掻いて足元のあやかしに目を落とした。調伏を優先するらしい。お手並み拝見とばかりに眺めていれば、晴明を取り巻く空気が変わったのを肌で感じる。僅かに共鳴する血に、笑みが零れた。
 人の子であり、狐の子でもあり、どちらでもない男。
 風もないのに衣がはためく。紡ぎだされる神言により、あやかしが声にならない悲鳴を上げる。印が切られ、呪符が放たれると同時、そこにあった気配が消え去った。
 捕縛してしまえば、晴明の力をもってすれば簡単に祓える相手だったらしい。速さが速さなだけに、ツキシロに頼むのが好都合だと判断したようだが、天狐を利用する人間というのも奇妙な話だ。月乃女でもユキシロでもなく、自分を選んだあたり賢いと言わざるを得ない。

「よっし、終わり。今夜はおかげで早く帰れそうだ。つきのとも、もしかしたら起きてるかもしれない」
「野兎は息災か?」
「元気も元気。お前達に会いたいって言ってたぞ。それにしても」

 髪をほどいた晴明が、ぐっと伸びをしながらツキシロを振り返って満面の笑みで言った。

「このままずっと、ツキシロが俺に協力してくれたら助かるんだけどなあ」




「ツキ」
「うん?」
「どこへ行っていた」
「朱雀大路の近くさな」
「なにゆえに」
「所用で」

 住処にしている伏見に戻るなり、ユキシロはぴたりと背にくっついて離れない。どうしたと訊ねようにも、誰が見ても分かる不機嫌さで顎にしわを刻んでいるのだから、どうしたもこうしたもない。
 こうしてツキシロが一匹で出かけることはそう珍しくないのだが、今日はえらく気になる様子だ。左腕を掴まれたと思えば、肩口に鼻先を寄せられた。

「晴明のにおいがする」
「共におったからな」
「なにゆえに」
「所用で」
「しょようとはなにかと聞いておる!」
「いたちのあやかしを追っておった。晴明が調伏すると言うのでな。暇ゆえ、手を貸してやったまでのこと」
「なにゆえツキが手を貸すひつようがある!」

 突然訳の分からない癇癪を起こすことは稀ではないが、どうにも今日のユキシロは様子がおかしい。今度こそ「どうした」と訊ねてみたが、頬を膨らませて答えやしない。
 ユキシロは晴明を嫌っていたかと一瞬考えて、すぐに否と首を振る。むしろ好いている方だ。
 ならばどうして。
 鼻先をぐいぐいと肩や首筋に押し付けてくる片割れに押されているうちに、ツキシロは杉の大木に背が当たるのを感じた。犬のように匂いを嗅がれ、しばらく好きにさせていたがいい加減に煩わしい。
 その気になればいくらでも跳ねのけてしまえるが、そうすればより一層機嫌を損ねることになるのは目に見えていた。
 ぎゅうと強くしがみつかれ、ツキシロはそのままされるがままにしておいた。不満そうにさらに腕に力が込められたので、宥める気持ちを込めて片割れの背に腕を回す。そのまま後ろ頭を撫でてやれば、やがてユキシロはぽつりとなにかを零した。

「……くのか」
「うん?」
「ゆくのか」
「いずこへ」
「晴明のもとへ!」

 勢いよく体を離されたせいで、頭を思い切り後ろの樹にぶつけた。痛みに顔を歪めるツキシロにお構いなしでユキシロが吠える。

「ユキを置いて、晴明とともにゆくのか!」
「……なにゆえそうなる」
「ツキが言うたのであろう! ユキは聞いたぞ!」
「なにを馬鹿な」

 馬鹿なことを、言いかけて口を噤んだ。「聞いた」とはどういうことだろう。あの場にユキシロの気配はなかった。ツキシロがユキシロの気配に気づかないはずはない。どれだけ巧妙に隠していたとしても、そういった力はツキシロの方が上だ。分からないはずがない。
 晴明と別れ、すぐに伏見へと戻ってきたのだから、晴明から聞いたわけでもないだろう。空を駆けてきたツキシロよりも速くここへ来ることなど、人の子には到底敵わない。
 だとすれば、考えられるのは一つだ。

「……母上か」
「そうだ! ははうえが水鏡を使っておったから、なにかとたずねたら! ツキが晴明のもとへゆくと言うておった!」
「われは別に」
「聞かぬ、聞かぬ! ゆるさぬぞ! ツキは、人の子なんぞにしえきされてはならぬ!」
「ユキシロ、聞け。われは行くとは言うておら、――ッ」

 突如走った首筋の痛みに、ツキシロの喉が震えた。ずぶり。鋭い牙が突き立てられているのを感じる。流れ出ていく天狐の血に、尾が広がるのを自覚した。本能が鋭い爪をユキシロに伸ばしかけ、慌てて自制する。
 こうして片割れに牙を立てられるのは、いったい何度目だろうか。
 金臭いにおいが辺りに漂う。神気に満ちた天狐の血だ。うまかろうて。
 縋るようにしがみつく片割れの背を、あやすように叩いてやった。どくどくと脈打つ血管の速さよりも遅く、ゆっくりと。自分よりも遥かに劣る片割れは、なにも言わずに血を飲み下す。
 牙が抜かれる感触に肌が粟立った。妖気を高めて妖しくぎらついた双眸が、すぐ上から見下ろしてくる。赤く染まった口元に、くらりとした。

「ゆるさぬ。ツキは、人の子なんぞには、渡さぬ」

 ああまったく、どうして片割れは治癒も施さずに牙を抜くのか。
 血を欲するのは別にいい。多少ならばくれてやる。月落としの片割れが力を高めるのには、月を継いだ自分の血がちょうどいいのだから、それ自体は気にならない。しかし、いくら傷の治りが速いとはいえ、あれだけ深く噛まれたのだから、少しは気を遣ってくれてもいいとも思う。
 どんどんと流れていく神気と妖気に、生存本能が牙を剥きそうになるのだ。自らを傷つけた目の前の片割れを、獲物として屠ってしまいたくなる。鋭い爪で抉って。この顎で骨ごと噛み砕いて。すべてを壊して、腹の中に収めてしまえたらどれほど気持ちのいいことか。
 そんな衝動を、片割れは知らない。

「いいか、ツキとユキは、ともにあらねばならぬのだ。とわに」

 本来ならば、月落としのユキシロは天狐族の長たる母の傍にあれる立場にない。
 けれど魂を分けたツキシロと共にいるのなら、話はまた別だ。
 だから離れられないのだろう。

「ユキシロ、聞け」
「聞かぬ」
「聞け!」

 一喝すれば、ユキシロは分かりやすく怯えた様子を見せた。
 大きく息を吐いて高まる気を落ち着け、穴の空いた首筋を晒す。流れる血にユキシロが息を呑むのが分かったが、それを視線だけで窘めた。

「ふさげ」

 逆らうことは許さない。強さを持たせた声音に導かれるように、傾けた首筋にこわごわ唇が押し付けられた。
 傷口を舐める舌の先には、治癒の呪が乗っている。ツキシロ自身の自己治癒力も相まって、もうほとんど傷がふさがりかけた頃合いだというのに、ユキシロは首筋に流れる血を舐め取る舌を休めない。

「ユキシロ、もうよい。離せ」

 背を叩いて促せば、渋々といった風体で体が離れていった。
 体はツキシロよりも大きいくせに、身を縮めているせいかとても小さく見える。怒られたときのユキシロは、いつだってこうだ。別に怒っているわけではないが、ユキシロにとってはそんな心境なのだろう。

「われは、ゆくゆくは天狐族を率いる者。誇り高き天狐族の長として世に君臨すべき者。なにゆえ人の子に従おうか」
「し、しかし」
「われを式に下さんとしたのであらば、晴明であろうと屠ってくれる。われがかような無礼を許すと思うておるのか」
「なっ、なれど、言うておったではないか!」
「なにを」
「『それもよいかもしれぬ』と!」

 一瞬眉を寄せ、ああ、と納得する。確かに言った。

「言うたな」
「そら見ろ! それすなわち、晴明とともにあるということではないか!?」

 晴明はツキシロの頭を撫でて笑った。「これからもずっと、お前達と一緒にいれたらいいなあ」この晴明の寿命が尽きるまで。そのあと、愛しいあの子が泣かないように。寂しくないように。お前達がずっと、一緒にいてくれたら。
 晴明は、もうすべてを決めているのだろう。最期のときがいつになるのか、ツキシロには分からない。けれど彼は人ではない道を歩むこともできるのだということを、知っている。彼は、それを選ぶ気はないらしい。
 母が興味を示した人の子は、拾った子供を思って目元を和らげる。「あの子が大人になるまでは、生きてられるかな」世知辛い世の中だ。晴明ほどともなれば、恨みはあやかしから人に至るまで、幅広く買っている。今この瞬間に殺されてもおかしくない男は、心配だと言いつつも、野兎のために道を外して生きながらえようとはしないらしい。
 ――これからもずっと、お前達と一緒に。
 そう言われたから、応えた。「それもよいかもしれぬ」と。

「なにゆえ黙る、ツキ!」

 いきり立つユキシロの首筋に、ツキシロは勢いよく牙を突き立てた。抑え込むことなど簡単だ。口内に流れ込んでくる血はうまいとは言い難かったが、僅かな神気と妖気を含んだ血は確かにツキシロの血を興奮させる。
 呻くユキシロに満足して、ツキシロは牙を抜いた。離れ際に傷口をふさぐことも忘れない。
 怯えた獣の瞳を覗き込んで、一つ、吠えるように笑った。

「分かれたのは血肉だけで十分だ。あまり吠えるな、ユキ」

 ――でないと頭から食ろうてしまいたくなる。
 そうすれば、母は自分を最も愛してくれるだろうから。

「……な、なれば、ツキはどこにもゆかぬのか」
「ゆかぬ。母上と、ユキシロと。ここがわれのおる場所ゆえに」

 片割れが抱く執着心と、自分が抱く執着心はきっと違う。
 それでもお互いにお互いを求め合うのだから、不思議なものだ。


 ずっと一緒に。
 求めるものが、違ったとしても。



(首筋へのキスは、執着のキス)

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