1.ラヴァリルとリース [ 8/22 ]



「ハーネット、頼む。……助けてくれ」

 抜けるような青空の下、未だかつて聞いたことのないような懇願に、ラヴァリルは雷で打たれたような衝撃を受けた。
 助けてくれ。その言葉の通り、リースは力なく仰向けに横たわり、乱された服装のままに息を詰めている。鋭い牙がちらと覗き、彼の喉元を掠めていった。
 どうすればいいのか分からず、ラヴァリルはその場に膝を折った。助けてくれと言われても、どうすれば。

「……リース、なにやってるの?」

 ラヴァリルの問いかけに、愛らしい声がみゃあと答えた。



「やだやだやだやだかーわーいーいー! リースったらなにこれ、猫まみれ! かっわいーい!」
「騒いでいる暇があったら引き剥がせ、今すぐに!」
「え、やだやだもったいないもん! いいな〜、なんでこんなに好かれてるの? リース、またたび仕込んでるの?」
「そんなわけがあるか!」

 計六匹の野良猫に群がられ、リースは中庭に横たわったまま身動き一つ取れずにいたらしい。アスラナ城の中庭で昼下がりを過ごしていたらしいが、気づけばこういて猫の襲撃に遭っていたと彼は語った。
 ラヴァリルからすれば羨ましい話だ。ごろごろと喉を鳴らしながらすり寄る猫達はすっかりなついている様子で、まったく警戒心を抱いていない。リースの腹や胸の上で丸くなった猫の愛らしい姿といい、困惑しきりのリースの表情といい、いいものが見れたと喜ばずにはいられない光景だ。
 頬に額をこすりつけられ、リースがひっと声を上げた。

「え、もしかしてリース、猫ちゃんきらいなの?」
「今すぐ八つ裂きにしたいほどにな」
「えー、こんなにかわいいのにー。……あれ、でも一人じゃ追い払えないんだよね? それってつまり……」

 ――怖いの?
 意地悪するつもりなど微塵もない。ただ純粋にそう訊ねた瞬間、リースの殺気が膨れ上がった。肌を刺すそれにしまったと後悔するが、猫はそんなものにはお構いなしでリースの手や頬を舐めている。
 それにしても、まさかあのリース・シャイリーの怖いものが猫だとは。リヴァース学園内でも、彼に怖いものはないという認識で、誰もそれを疑わない。
 膝の上に乗ってきた太り気味の白猫を抱き上げて、ラヴァリルはその鼻先に口づけた。

「この子達、どこから来たんだろうね〜」
「知るか、今すぐ追い払え」
「誰かの飼い猫なのかな〜?」
「ハーネット!!」

 力強く自分を呼ぶリースの声に、ぞくぞくと喜びが駆け抜ける。日頃聞けない切羽詰まった声がなんともいえない。リースの腹の上に一匹、胸の上に一匹、両腕の近くに一匹ずつ、そして顔の真横にまた一匹と、今のリースは完全に包囲されていて動けない。
 起き上がってしまえばいいものを、すうすうと寝息を立てる猫に気を遣っているのかそれとも恐れているのか、地面に張り付けにでもされているかのようだった。
 猫が鳴くたびに息を呑む姿が、そのまま地面を転がりたくなるほどかわいらしい。リースを相手にかわいいなどと思えるのはラヴァリルだけだとよく言われるが、どうしてこのかわいさが分からないのだろうと逆に思う。
 眼鏡を外せば驚くほど童顔なところも、私服のセンスが皆無なところも、――猫を怖がるところも、とってもかわいいのに。

「……ハーネット」
「なーにー?」
「頼むから、コイツらを引き剥がせ。…………なんでも言うこと聞いてやる」
「えっ、なんでも!?」
「一つだけ。だから早くしろ」

 思わず腕に力が入ったのか、抱き締めていた白猫がふぎゃっと鳴いて逃げ出していった。ああもったいない。ラヴァリルはそう思うのだが、リースは少しほっとしたように息をつく。
 あと五匹。甘えたがりの猫達は、そうそう簡単にリースから離れる気配はない。
 胸の上にいた黒猫が、大きな欠伸とともに伸びをした。このまま立ち去るかと思ったが、そのまま顔の方へ近寄り、リースの喉をぺろりと舐めた。小さくざらついた舌の感触はラヴァリルにも分かる。「いいなあ」どちらに向けたのか分からない感想が飛び出したのと同時に、リースの唇から掠れた呻き声が漏れた。
 昼下がりの芝生の上に零れるにはあまりにも色気のあるそれに、ラヴァリルの体が硬直する。そんな声を出した当の本人は、迫り来る猫にびくつきながら必死でラヴァリルを呼んでいる。

「ハーネっ、ハーネット!」
「リース、なんかやらしい……」
「はっ!?」

 落ち着きをなくした様子も、びくびくと震える体も、粟立った首筋も。
 「ごめんね」と声をかけて腹の上で寝ていた猫を下ろし、喉を舐め続けている黒猫も同様に脇に追いやった。不満そうに鳴かれたが、その場を立ち去る様子はない。
 それでも体の上の重みが消えたことに、リースはかなり安堵しているようだった。潤んだ瞳がこちらを向く。

「……おい」
「なーにー?」
「どけ」
「やだ。だってリース、なんでも言うこと聞いてくれるって言ったもーん」

 腹の上に馬乗りになって見下ろせば、余裕を取り戻して冷たくなった瞳が呆れたように見上げてきた。リースの胸の上についた手を、猫がぺろりと舐めに来る。びくりと跳ねる体が直に伝わってきて、ラヴァリルは満面の笑みを浮かべた。
 ――そういう趣味はないけれど、弱っているリースはイイかもしれない。

「ねえ、リース」

 そのまま肩まで手を滑らせ、上体を倒す。自慢の胸が彼の胸の上で潰れたのが分かったが、悲しいことに彼の体はぴくりともしなかった。
 晒けだされた白い喉元が、呼吸のたびに上下する。盛り上がった喉仏が男らしく、それだけで心臓が速さを増しそうになる。
 誘われるがままにそこに唇を寄せて、ラヴァリルはにんまりと笑った。

「あたしのこと、名前で呼んで。そしたら、助けてあげる」

 怪訝そうな顔をしたのは、見えずとも分かった。
 もっととんでもない「お願い」をされるとでも思っていたのか、「それでいいのか?」と訊ねてくるリースが愛おしい。そうだよ。それでいいから、早く。喉仏に軽く歯を立てて急かせば、くすぐったいのか、リースが僅かに身を捩った。

「――ラヴァリル」

 唇に触れたその場所が、ラヴァリルの名を呼ぶためだけに震えた。
 今の振動は、自分のためだけのものなのだ。
 指先からじんわりとした熱が広がり、全身を一気に喜びが駆け巡る。あまりにも幸せすぎて、このまま喉元を食いちぎってしまいたいくらいだ。

「ラヴァリル、早くしろ」
「……この状態で、その台詞はちょっとアレなんじゃないかなあ」
「いいから早くしろ、ハーネット」
「あ、つまんなーい」
「……ラヴァリル」

 名残惜しいが、これ以上は機嫌を損ねてしまいかねない。仕方なく起き上がると、ラヴァリルはリースにまとわりつく猫達を一匹ずつ引き剥がして遠くまで運んでやった。
 最後の一匹を遠ざけて戻ってくると、リースはもうすでにいつもの調子でそこに立っていた。涼しい顔で服についた猫の毛を払う姿は、先ほどまでの必死さが嘘のようだ。

「……さっきまでのリース、すっごくかわいかったのにな〜」
「……」
「もー、無視しないでよ! まあでも? そんなリースも大好きだけどっ!!」

 抱きつこうとした腕はたやすくかわされる。むうっと唇を尖らせたが、リースの喉元を見て、その気持ちも少し和らいだ。
 訝る彼にはあえて言わないでおこう。いつ気がつくだろうか。さほど力を込めたつもりはなかったが、思ったよりも綺麗についている。
 ほんのり赤くなった喉元は、ラヴァリルの欲求が叶った証に他ならない。



(喉へのキスは、欲求のキス)

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