1.蓼巫女とシエラ [ 6/22 ]



 その日、シエラはひどく不機嫌だった。
 というのも、「ディルートで大事な行事があるから、ぜひとも参加してほしい」とシルディに頼み込まれたからだ。頼み自体は、別にいい。式典だのなんだのと肩がこる行事は正直嫌いだったが、もはや避けられないことはさすがのシエラも理解してきている。
 ただ、それに伴ってやたらと飾り立てられるのは、どうしても不快だった。
 髪を弄られるだけならいい。すうすうとして落ち着かないドレスも妥協する。だが、化粧の感覚はいかがなものか。顔の上にいろいろと塗りたくられて、突っ張った感じがするのはどうにも落ち着かない。あげく、「これもいいけどあれもいい」などと着せ替え人形のように、一から十まで何度も同じようなことをやり直しさせられるのだ。
 髪は三回、ドレスは六着も着替え直しをさせられた。化粧こそ一度で終わったが、全部仕上がる頃にはシエラはもうくたくただった。まるで祓魔を終えたあとのような疲労感だ。
 結局選ばれたドレスは白を基調としていて、裾が徐々に大きく広がるデザインのものだった。それは花を逆さまにしたようにも見える。腰から斜めにフリルが何段も重ねられていて、その下から覗く幾重ものレースの重なりが床へと直線的に伸びている。異素材のレースは軽やかに見えるが、その実結構な重みがあった。腰につけられた花の飾りが、きらきらと光を弾いている。
 花を編み込まれた髪は片側に纏めて垂らされ、露わになった首元にはロザリオと細身のネックレスで飾り立てられた。
 礼服に身を包んだシルディに手を引かれて踏み入れた会場で、一言二言喋ったあと、あとは好きなようにしていいと耳打ちされる。これ幸いとばかりに会場の隅で果汁入りの炭酸水を飲んでいたが、声をかけてくる者が絶えなくて辟易としていた。

「お疲れなんですー?」

 ふいにそんな声がかけられて、シエラはまたかと眉を寄せかけたが、今のはどう聞いても女性の声だ。驚いたのは隣にいるエルクディアも同じだったらしい。視線を上げた先には、足先までをしっかりと覆う人魚のようなデザインのドレスを身に着けた女性がいた。誰か分からずに首を傾げたが、見覚えのある顔にはっとする。
 桃色の髪に、青みがかった灰色の細い瞳。独特の口調の彼女は、ルタンシーン神殿に仕える蓼の巫女だ。

「おこんばんはー。シエラさま、かいらしですねー」
「蓼巫女か?」
「はいですー。いつもの巫女服からちょこーっし雰囲気変えてみましたんですー。どないですかー? 似合いますやろかー?」

 くるりとその場で回ってみせた蓼の巫女は、悪戯っぽい笑みを浮かべてドレスの裾をつまみ上げた。深い紫のレースがひらりと揺れる。ゆったりとした巫女服では分からなかった体の曲線が、綺麗に浮かび上がっている。上げられた前髪は下ろされて横に流され、彼女の雰囲気をがらりと変えていた。
 仕草は彼女らしいひょうきんなものなのに、なだらかな曲線美が色気を放っている。ぱちくりと目をしばたたかせていたシエラに変わり、エルクディアが言った。

「よくお似合いですよ、蓼巫女殿」
「あいや! ありがとうございますですー。エルクディアさまも、燕尾服がよぉお似合いで。シエラさまとお並びになると、まるで結婚式みたいですねー」
「蓼巫女は! ……蓼巫女は、どうしてここに」

 エルクディアがなにか言う前にと、シエラは無意識に慌てて声を張り上げていた。音楽と人々の歓談が満たす会場内ではさほど目立たなかったが、近くにいた何人かは驚いたようにこちらを見ていた。
 軽く目を丸くさせた蓼の巫女が、すぐにふわりと笑って、シルディの隣に控えるレンツォを指さした。シルディそのものは人混みにすぐに紛れてしまうというのに、あの男の存在感は凄まじい。探さずともすぐに目に飛び込んでくる。

「秘書官さんに呼んでもろたんですー。せっかくやから、て」
「レンツォに?」
「はいな。シエラさまがおられるから、と」

 ディルートにいる限りはいつでも会えるというのに、どういうことだろう。
 近くを通りかかった給仕からワインのグラスを受け取り、蓼の巫女はころころと笑った。

「おもろいもんが見られるからて、言うてはりましたですー。確かに、お綺麗なシエラさまとエルクディアさまのお姿は、見な損って感じですますねー」
「……そう面白いものでもないだろう」
「そんなら、おもろくしてみます?」
「は?」
「わしと踊りましょう、シエラさま。ほら、はよ!」
「おいっ、ちょっと待て! 私は、別にっ」

 ぐいっと腕を引かれてたたらを踏む。素早くエルクディアにグラスを渡した蓼の巫女は、強引にシエラを会場の中央へと引っ張っていった。エルクディアも彼女なら安心だと判断したのか、それとも呆れているのか、引き止めようとはしない。
 手を取られて肩に誘導され、シエラは自分よりも背の低い蓼の巫女を見下ろして眉を下げた。踊りは苦手だ。それはエルクディアとの経験でも実感している。

「わしが男役しますんで、シエラさまは合わせてくださいですー」
「蓼巫女、私は」
「ほらほら、いきますですよー」

 話など聞いてくれない。
 繋がれた手は持ち上げられ、蓼の巫女の動きに合わせて勝手に体が右へ左へと動き始める。拙い足取りに構うことなく、彼女は楽しそうにステップを踏んだ。手を離されたかと思えば、くるりと回されてまた腕の中に納められる。彼女の足を踏まないように、転ばないようにと意識することに必死だったのは最初の方だけだ。気がつけば、自然と足が動いていた。
 目の前の蓼の巫女の顔が、あまりにも楽しそうだったからだ。
 揺れる二つの花に視線が集中していることなど、シエラは気づかなかった。それどころではなかったのだ。

「ねえ、シエラさま」
「なんだ」
「人の世は、たのしゅうございますですねー」
「わっ!」

 腰を支えられ、一瞬で上体を反らされていた。転びかけられたところを助けられたのが事実だが、周りにはダンスの一部とみなされたらしい。そこで初めて注目を集めていたことに気がついたシエラは、上気した頬を隠すように俯いた。

「蓼巫女殿、そろそろ返していただいてもよろしいですか?」
「あいや、失礼しましたですー。そんではシエラさま、また遊んでくださいましー。ご厚意感謝いたしますですー」

 去り際に頬に口づけられ、シエラはますます顔を赤くさせた。まったく、この国の人間はどうしてこうもキスが好きなのだろう。別に蓼の巫女以外にされたわけではないが、レンツォがよくシルディや侍女の頬や鼻先にしているのを見かけたので、そう思う。
 シエラの肩を抱いたエルクディアが、「まったくあの人は」と苦笑を漏らした。

「大丈夫か?」
「あ、ああ……。少し驚いただけだ。行くぞ、エルク。……エルク?」

 返答がない。

「あー……、なんていうか、その。……俺と一曲、踊っていただけませんか?」

 見上げた視線の先から、エルクディアが一瞬消える。
 視線を下げれば、そこに鮮やかな金髪が見えた。跪いて差し伸べられた手。少しだけ揺れた新緑の瞳に見つめられて、シエラは唇を引き結んだ。視線を感じて顔を上げれば、向こう側の壁にもたれたレンツォがにやにやと笑いながらこちらを見ている。
 かっと頬が熱くなるのを感じたが、それと同時に気づきたくもない視線の集中に気づき、頭を抱えたくなった。
 少し逡巡した指先が、エルクディアの手に触れる。ほっとしたように緩んだ頬に、なんとも言えない気持ちになった。立ち上がった彼の肩に手を添える。視界の端で、シルディとライナが躍っているのが見えた。
 近づいた体温と香りに、頭がくらりとする。

「シエラ、知ってるか?」

 音楽に掻き消されないようにと気遣ったのか、耳元でエルクディアが囁いた。

「頬へのキスは、親愛のキスなんだってさ」
「……だからどうした」
「いや、なんとなく。好かれてるんだなーって。まあ、この国じゃ挨拶みたいなものなんだろうけど」

 耳元で動いていた熱が、一瞬頬に滑りかけ、触れることなく離れた。
 遠くに見えた薔薇色の髪の男が、こちらを向いてなにかを言っている。口だけを大きく動かして、明らかにシエラになにかを伝えているように見える。
 くるくると回りながら注意してみていると、徐々にその唇の動きが読めてきた。

 ――ざんねんでしたね。

 シエラが言葉を読み取った瞬間、人差し指で己の頬を指さして、レンツォは意地悪く口の端を吊り上げた。
 触れることなく離れた唇のことを指しているのだと気づいて、全身に熱が籠もる。
 睨んだ瞬間腹を抱えて笑われて、思わず舌打ちが零れた。

「シエラ?」
「なんでもないっ!」

 レンツォのすぐ隣にいた蓼の巫女が、「ほんまにおもろいもんが見れましたですー」と笑っていたことなど、今のシエラには気づくはずもなかった。



(頬へのキスは、親愛と厚意のキス)

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