1.レンツォとシルディ [ 5/22 ]

 私達の王子はとってもかわいい。
 笑顔でそう語る侍女達は、紅茶やら花やらを片手に「ですよねえ」と同意を求めてきた。役人達の間では、第三王子の株は低い。政治手腕もなにもかも、第一王子、第二王子に劣っている。
 とはいえ、城仕えをしている侍女や庭師からの人気は絶大で、そういった意味では、彼は最も愛されているように思えた。特にロルケイト城の人間は、誰もが彼を弟や息子のようにかわいがっていた。ほえほえぽえぽえとした空気が気に入られているのか、それとも同種の人間ばかりが集まるのか。和やかな雰囲気を壊さぬよう、「そうですね」とだけ答えたレンツォは、足早にその場を立ち去った。



「ねえレンツォ、クレメンティアになに意地悪したの? さっき、すっごく怒ってたよ」

 一瞬なんのことか分からなかったが、すぐに書庫でのちょっとした悪戯を思い出す。内容までは告げ口していないのか、シルディは執拗に「ねえ、なにしたの?」と問うてきた。面白くない。言えばよかったものを。
 金茶のふわふわとした頭がちょろちょろと動いて鬱陶しい。

「ちょっとからかっただけですよ。クレメンティア様は、私にはどうにも手厳しい」
「……ほんとに?」
「私があなたに嘘をついたことが?」
「いっぱいある」
「これは失敬」

 河岸工事の申請書にサインをし、その次に厩舎増築の意見書に目を通す。いつの間にか隣に腰を下ろしていたシルディは、諦めたのかそれ以上クレメンティアについて聞いてくることはしなかった。
 大きく伸びをして、窓の外に広がる海を見つめている。澄んだ黒い瞳は、父王マルセルによく似ていた。三兄弟それぞれに共通する色だが、瞳の形が違うだけで随分と雰囲気の変わるものだ。
 ふわふわの金茶の髪といい、丸くて大きな黒い瞳といい、これではまるでクマのぬいぐるみだ。だから侍女達がかわいがるのかと納得して、レンツォは書面と向き直った。

「あ、そうだ。南西に進んだところに双子島があるでしょ?」
「それがどうかしましたか?」
「この前そこに行ってきたんだけど、洞窟の奥に温泉が湧いてたんだ。手入れされてないから入れる状態じゃないんだけど、あれ、整備したらきっといい観光名所になると思うんだよね。双子島って無人島だし、史跡も資源もないから見逃してたけど、悪くないと思うんだ」
「温泉、ね。場所はどのあたりですか?」
「えっとね、……この辺だったかな」

 即座にディルートの海図を取り出して広げれば、シルディは小さな島の中央付近を指した。双子島へはディルートの港から、船で三時間ほどの道のりだ。ホーリーに温泉そのものは少なくないが、美しい小さな島で、それも洞窟の中とくれば話題性は高そうだ。
 一度調べてみる価値はありそうだが、様々な費用を考えてこめかみを押さえる。叶うことなら今すぐ温泉で体を休めたいくらいだ。
 それにしたって、この王子はどうしてそうひょいひょいと洞窟の奥なんぞに進むのだろう。一応供はつけてくれているようだが、それでも危険性は変わらない。万が一のことがあったらどうするのかという抗議は、とうの昔に掃いて捨てるほどした。掃いて捨てられた結果がこれだ。
 島を探検して見てきたことを楽しそうに語るシルディは、レンツォの頭痛の原因など知る由もない。

「ホーリーの海はほんっとうに綺麗だよね。ツウィもタルネットも確かに綺麗だけど、でもね、このディルートの海が一番綺麗だと思うんだ」
「前から聞きたかったんですが、あなたはどうしてそんなに海が好きなんですか?」
「え、どうしてって……。うーん、理由かあ。なんだろ、なんていうか、……ホーリーだから、かなあ」
「ホーリーだから?」
「生まれたときから海があって、ずっと見てきたでしょ? この海があるおかげで、ホーリーは海洋国家って言われてて、漁業も盛んで。そこにあるのが当たり前なんだよね。なんだか、僕の一部っていうか」

 頬を掻きながら、シルディは笑った。

「――“好きだから好き”じゃ、だめ?」

 好きだから。
 理由などなく、ただ、好きだ。
 シルディはそう言って、窓を開けに行った。途端に潮の香りを含んだ風が入ってきて、慣れているはずなのに驚いてしまう。波の音が滑り込んできた。戻ってきたシルディは、目を閉じて笑った。

「穏やかな海も、荒れた海も。その全部がホーリーなんだ。理由はよく分からないけど、でも、大好き」
「……あなたはたまに、訳の分からないことをおっしゃいますね」
「レンツォが難しい質問するからだよ」

 唇を尖らせるシルディの頭を、くしゃりと撫で回してみた。柔らかい髪が指の間から零れていく。それこそクマのぬいぐるみを触っているような気持ちになって、子供にでも戻ったような気がした。
 けっして高くはない鼻梁に、子供がするようなキスをする。次は鼻先に。
 シルディは目を丸くさせたが、怒ることも嫌がることもしなかった。

「レンツォは鼻にキスするの好きだよね。なんで?」
「さあ……」

 言いさしてもう一度、今度は鼻先に軽く歯を立てる。
 僅かに身じろいだ肩を掴んで、音を立ててもう一度。



「“好きだから好き”では、駄目ですか?」



(鼻へのキスは、愛玩のキス)

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