カスタトローフェ [ 2/4 ]
カスタトローフェ
hiカスタトローフェ(Katasttrophe)=大災害、破滅、崩壊、悲劇的結末
まるでそれは、この世のよう。
「にしてもセシルって、緑王のこと知ってたんだな」
白林檎を口いっぱいに頬張って、シェッドが感心したように言う。いくら味は同じだといえ、幻覚作用があると恐れられている白の植物をさも当然のように食す人間は、彼くらいしかいないだろう。
セシルは苦笑し、水を一口含んだ。
「うん。前にお城行ったとき、なんだかテンセイ様に懐かれちゃって。それ以来なんだか恐れ多くもお姉ちゃんやらせてもらってるんだ」
「オレはまた、よっぼよぼのジジイかと思ってたんだけどなぁ」
「シェドくん、それ失言。確かに王族って人前に出ることなんて滅多にないから、そういう印象持ってるのかもしれないけど」
「ところでシェドくん、それおいしい?」と、セシルが白林檎を指差しながら首を傾げた。おう、と元気よく返事をしたシェッドは皿ごと彼女に勧めたが、あえなく断られた。
仕方がないのでもう一切れを口に放り込む。
セシルは二の腕に刻まれたクレマチスの花模様をそっと撫でた。そういえばスコットにも似たような花の彫り物があったな、と思い出して、彼は林檎をつまむのをやめる。
ビリジアン国境警備隊に属するスコットやシェッドとは違い、セシルは養護隊員だ。一応軍人としての訓練は受けているものの、戦争時に前線に出て戦うような真似はしない。本部に控え、怪我をした兵士達を的確に治療していくのが彼女の仕事だった。
数ヶ月前のカクタスとの小競り合いのときだって、シェッドは上司の言うことを聞かずに突っ走って大怪我をした。それを泣きそうな顔をして怒鳴りながら治療してもらったのは、まだ記憶に新しい。
「そうだ。テンセイ様、シェドくんのこと気に入ってたよ? 今度遊びに来てほしい、だってさ」
「……『ぶれいもの、今度しおきしてやる!』とか言ってたような気ぃすんだけど」
「それがテンセイ様の『気に入ったから遊びに来て』なんだよ。素直じゃないからそんな言い方しかできないだけ」
くすくす笑うセシルの口調は優しく、姉の雰囲気そのものだった。とはいえシェッドには兄弟などいないので、どういうものかはよく分からない。スコットと彼女を見ていると、兄妹というものも悪くはないのだと思う。
ただこの双子の場合、兄妹の数が半端ではなかった。一番上は四つ子、二番目は三つ子、そしてスコットとセシルの双子に、最後に一人というなんとも綺麗な構図が出来上がる。それもセシル以外は皆男だというのだから驚きだ。
この家庭事情を知れば、彼女が男だらけの軍の中で悠々と過ごしていける理由も納得できるものがある。
心優しく、物怖じしないところは彼女の美点であった。
「遊びに、かー。んじゃ、スコットも誘ってどっか行くか!」
「そうしたいんだけど……テンセイ様、あんまり人前に出られないから。というか、外出自体ほんとはあんまりよくなくって。やっぱりほら、危ない、から」
「スコットもオレもいるんだし、護衛ならダイジョブだって! 城はこっそり抜け出せば――」
「そうじゃないんだよ」
はっきりとした口調にシェッドの眉が寄せられる。俯き加減でつらそうに笑うセシルは、円卓の下でぎゅうと拳を握り締めた。その指先の白さにシェッドが気づくはずもなく、彼女をただ不思議そうに見るばかりである。
もう一度彼女は言った。「そうじゃないんだよ」と。
セシルの脳内に笑顔が浮かぶ。それはとても優しくて、とても悲しい笑顔だった。
「シェドくんは、緑王がなんなのか知ってる?」
「は? 王族で、唯一緑を生み出すことのできる人間だろ?」
「……そうなんだけど、違うんだよ」
ますます意味が分からない。
困惑の色に染まったシェッドの顔を見て、セシルは小さく首を振った。彼女とて、あの少年に出会うまでは彼と同じことを思っていたのだ。
緑王とはこの国の王で、唯一緑を生み出すことのできる人間なのだと。詳しい理由や原理なんて知らない。けれど、ほとんどの人間はそれだけを知っていれば十分だった。
言い換えれば、それ以上を知る必要などなかったのだ。
けれどセシルは知ってしまった。とても残酷な真実をその目で見、その耳で聞いてしまった。後戻りのできない場所まで小さな手によって引きずられてしまったのだ。
どういうことだ、とシェッドが問う。躊躇う彼女を強く促せば、ゆるゆると視線が持ち上げられた。
「あのね、緑王っていうのは――緑そのもの、なんだよ」
「………………は?」
「なんて言えばいいのかな、緑王はその命が緑の源なんだ。生命力、って言うのかな。だから緑を生めば当然体力はなくなるし、下手したら……死んじゃう、らしいし」
「なんだよそれ……」
「上の人が言うには、過去王族に使ってきた科学医療の反動が出たんだって。病気知らずでいつまでも若々しく――っていう遺伝子治療とか、そういうの。……だから王族だけが、緑を生める体質を得ることができた」
発達していった文明。それに伴って医学も発達し、遺伝子操作は容易になった。それでもやはり多額の資金はかかり、不老や無病の処置を施せる者は上層部の人間に限られてくる。
特に王族は専門医を抱えており、誰もが遺伝子の操作を行ってきた。生まれてくる子供でさえ容貌を自由に作り変え、親の望むようにしてから産み落とされたのである。
その反動で今、どういう作用かは分からないものの、王族は特殊な才能を持ち得たのだという。
ただし己の命を代償として。
「あ、でもね、寿命を削ってるとかそんなんじゃないんだよ! ただ人一倍疲れちゃうだけ。しっかり休めば元気になるし、力だって使いすぎなきゃ問題ないの。けど、外に出ると勝手に生命力が吸い取られちゃうみたいで」
「だからあの砂漠のとき……」
「そう。外に出たら強く意識を保たないとどんどん力を吸い取られて、勝手に緑が生まれちゃう。だから不用意に出歩くことはできないんだ」
死ぬかもしれないと笑いながら言った少年を、セシルは思い浮かべる。だけどそれでも構わないと言った子供は、決して強い心を持っているわけではない。なのになぜか、その言葉は嘘ではないと感じ取れた。
それがあまりにも悲しくて、セシルは心に決めたのだ。せめて彼が寂しいと思うことのないように、できる限り傍にいてあげようと。
大人になることを急かされる小さな子供に、せめてゆっくりと子供の道を歩ませてあげようと。
だからこそ彼女はシェッドに見聞きした真実を語った。彼ならば分かってくれるだろうと、そう思っていたからだ。
「でも、んな話誰も――」
「言うわけねェだろ。そうなりゃ王族は砂漠か白木の森のど真ん中で殺されるよ」
「スコット! お前いつの間にっ!」
「気づけよノロマ。ほんっとお前ってバカだな」
「スー、言いすぎ」
妹の窘めに軽く手を挙げただけで返したスコットは、余っていた椅子に腰掛けてどっかりと足を組んだ。惰性で伸ばされた髪を無造作に後ろでまとめ、彼はセシルの飲みかけの水に口をつけ一気に喉の奥へと流し込んだ。
途端に講義の声が上がるのだが、いつものように聞こえていないふりでやり過ごす。
「おいスコット、さっきの殺されるってどういうことなんだよ」
「分かんねェ? 王族の命が緑のそのもの――んなことが曲解して知れ渡ってみろよ。王族を殺して『命を解放』すれば緑が溢れるかも、なんて考える奴らがわんさか出てくるぞ」
「そんなのおかしいだろ!? オレがぶっ飛ばして――」
「アホ。そうならないために事情知ってる奴は口外しねェんだろ。……ま、どっかのマヌケは喋っちまったみてェだけど」
ちらりと向けられた視線にセシルが唇を尖らせた。
「スーだって今言ってるんだから、共犯でしょ。それに、シェドくんだったら大丈夫だよ。テンセイ様の良いお友達になってくれると思うし」
「おーいセシルー、オレ、二十越えてるんですけどー」
「友達に年齢なんて関係ないよ! だってこの前、すっごく息合ってたし!」
「ま、お前がガキっぽいっつーことだな」
容赦のない――片方は援護のつもりなのだろうが――双子の台詞に、シェッドはがっくりと肩を落とした。
似てないと言いつつも、さすがは双子だ。育つ環境がほとんど同じなのだから、自然と考え方も似てくるのだろう。
あーあ、と項垂れて白い林檎に再び手を伸ばす。鋼鉄の胃袋と名高いそこにひょいと送り込むため、彼は一切れ口に頬張った。爽やかな酸味と甘味が舌を滑り、香りが鼻を抜ける。
それは忌まわしいとされているものとは思えないほど、あたたかみのある味だった。
「で、どうすんだよ」
「決まってんだろー。あのクソガキにはオレが一から礼儀作法叩き込んでやるよ!」
「よくもまァ、金にならねェ仕事やれるねェ。せーぜー叩き込まれないように気ィつけろよ。相手は王サマなんだからな」
「お前は金しか頭にねぇのかよ! お前も一緒に決まってんだろ。事情知りつつオレに黙ってた罰だ!」
「はァ!?」
「そうだよ。スーもぐだぐだ言ってないでテンセイ様に勉強教えてあげてよ。宮廷師範の資格持ってるんだからさ」
ぎょっとしてスコットが目を見開く。シェッドは宮廷師範という言葉を何度か口の中で反復させ、ようやくそれがなんたるかを理解した。
宮廷師範――それは王族にさえ勉学を教えることのできる最高位の教師だ。その資格を取れる者は極端に少ないと聞くのに、まさかただの国境警備兵が持っているだなんてありえていいのだろうか。
そんな心情をありありと語るシェッドの顔を見て、スコットは心底嫌そうにため息をついた。なかなか容赦なく向こう脛を蹴り上げ、吐き捨てるように言う。
「金になるから取っただけに決まってんだろ。賃仕事(バイト)だよ賃仕事」
「おっまえ……! 親友の脛蹴りながら言う台詞かそれがっ! なんで言わなかったんだよ、つか! そんなすっげぇ資格あるってお前どんだけ頭いいんだよ!?」
「少なくともお前よりは詰まってるな。あーもう、いいだろこの話は。セシル、お前も余計なこと喋んじゃねェよ」
「ぼくにも内緒にしてたスーが悪い。じゃあ、とりあえずみんなでテンセイ様のとこに行くってことでいいよね」
ぽつりと「カネ……」と呟いたスコットの足を蹴り返し、シェッドは大きく頷いた。
赤茶色の髪がさらりと零れる。
「トーゼン! 疲れてる暇なんてねぇくらい、楽しませてやろうぜ!」
「……単純バカ」
「もう、スーってば!」
カスタトローフェ
カスタトローフェ
それは破滅を告げる音
カスタトローフェ
カスタトローフェ
それは崩壊を告げる音
カスタトローフェ
カスタトローフェ
それは悲劇の幕開けの音
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