緑の亡国 [ 1/4 ]
緑の亡国
hi 白に蝕まれていく世界の中で、我らはなにを糧に生きていけばいいのだろう。
空には青が広がり、雲は変わらず流れていくというのにどうして。
かつて世界が崩壊するかのように思えたあの地震。
語り継がれる恐怖の物語は、我らになにを伝えているのだろう。
どうして我らは、緑を欲するのだろう――
「暇だ」と、シェッドは赤茶色の髪を掻き毟って、そう呟いた。
遠くには大きな川が流れ、向こう側ではカクタスの兵士がこちらを睨み据えている。襲ってくる眠気をなんとか堪え、彼は木でできた銃に体重を預けた。
「スコットー……オレ、暇すぎて死ねそう」
「じゃあ死ね。お前の賞恤金(しょうじゅつきん)は俺がもらってやる」
木製銃に鉄よりも硬い実の弾丸を詰め込んでいたスコットは、シェッドに一瞥をくれることもなくそう切り返した。黙々と手入れを行っている友人の背に「ひでー」と言ってみるのだが、彼は見向きもしなかった。
あーあ、とつまらなそうにシェッドはため息をつくと、晴れ晴れとした空を見上げる。
視界の隅で揺れているのは真っ白な林檎の木だ。
幹も葉も蕾も、実もすべて白い。
白いのは林檎だけではない。この世界にある植物の大半が色を失い、雪のごとき白に変貌している。その成長速度は緑の植物とは比較にならないほど早く、一夜にして町が白の植物に絡めとられてしまうことも、今では別段珍しいことではない。
白の植物は味自体に問題はないのだが、近寄るだけで幻覚症状を引き起こすものもあり、人々には敬遠されている。詳しいことがよく分かっていないということも、人々の不安を煽るのに十分すぎる要素だった。
真っ白な植物に支配されていく世界。
古の世とは違い、今の世界では砂漠が重宝されている。そして緑の植物は人々への希望の光であり、欲望の塊でもあった。
この世界で緑を生み出すことのできる人間は、王族の者に限られる。
一警備兵でしかないシェッドにはその原理などまったく理解できていなかったが、ただ漠然と「王家の人間は大変だなー」と思っていた。ビリジアンにおわす緑王(りょくおう)はあまり人前に姿を見せないが、日々緑を生み出しているらしい。
「この緑も、テンセイ様のおかげなのかねぇ」
「アホか。前々から存在してた自然の森だろ。なんのために俺達が守ってると思ってんだよ。テンセイ様は今、東の森で植林中――っと、おいシェッド、スコープ貸せ」
「は? なんでまた」
「いいから貸せって。俺の枯れたんだよ」
ある一点から視線を外さないスコットを訝りつつ、シェッドは胸にぶら下げていた白木で作られたスコープを投げ渡した。かつて発達していた電子工学よりも優れた機能性を持つ白木の道具は、今や欠かせないものとなっている。
否、ならざるを得なかった。
スコットが覗く方角を同じように目を凝らしてみてみるのだが、肉眼ではなにも見えない。痺れを切らしてスコープを奪い返そうかと思った矢先、彼が小さく口笛を吹いた。
「どした?」
「面白いことになってんぞ。ちょっとここで待ってろ、俺はセシル呼んでくる」
「え、ちょっ、おい!」
呼びかけも虚しく、スコットはシェッドを置いてどこかへ行ってしまった。
不承不承の体でその場に留まったシェッドは、放り出されたスコープを手にとって装着する。スコットが眺めていた方に目を向け、彼は言葉を失った。
「……緑?」
いや、違う。あれは緑じゃない。――人だ。光の加減で黒が緑に見えただけだ。
ビリジアンとカクタスの国境付近にある川を辿れば、植物の影も形も見えない砂漠が広がっている。そこに砂に埋もれるようにして人が行き倒れていた。
スコープを外して太陽の位置を確認し、確かな方角を確認する。
幸いにしてその人物はビリジアンの領土内にいる。助けに行くことは十分可能だ。
後ろを振り返ってスコットの姿を探すが、まだ彼はやってきそうにない。
ならばさっさと行ってさっさと助けてこよう。そう思って一歩踏み出したシェッドは、砂漠に突如として生まれた緑に目を瞠った。
「すっげー……」
もっとよく見ようとスコープに手を伸ばしたとき、シェッドははっとした。気づいたのだ。今、自分は、肉眼でその光景を見ているのだということに。
この場所からは米粒よりも小さく見える人影の周りに、肉眼でも確認できるほどの緑が広がっている。それも急速に、だ。
全身に鳥肌が立った。次第に蝕まれていくはずの緑が、今目の前で広がっていく。
もう無我夢中だった。シェッドはスコープも銃も投げ置き、砂漠に向かって一目散に駆け出した。
カクタス側に知られれば大騒ぎになることは必然だ。だが、今のシェッドの脳内にはその考えはない。ひたすら無心で突っ走り、足がようやく砂に埋もれだした頃、彼は緑の植物に守られるようにして倒れる人影をはっきりと確認した。
徐々に広がっていく緑は音を立てて成長している。花も木も草も、この場所が砂漠であることを忘れたように、天に向かって伸びていく。人影を中心にした円形状に広がっていく小規模な緑の空間に足を踏み入れ、シェッドは切らした息を整えながら額に伝う汗を拭った。
しばらく呆然としていたのだが、慌てて人に駆け寄る。黒の外套に身を包んだその人は意外と小柄で、頭巾から覗く顔立ちは幼い少年のものだった。
「おーい、おい! 大丈夫か? おっきろー!」
「……ん…………」
「もっしもーし! 起きろって、おっきっろーーーー!」
ぺしぺしと頬を二、三回叩いたときのことだ。
薄っすらと少年の目が開かれ、震える睫に彩られた双眸が顔を覗かせる。光を受けて輝いたのは怖ろしいくらいに澄んだ深緑。ずり落ちた頭巾から現れた髪色は鮮やかな若葉色をしていた。
「お、やっと目ぇ覚ましたな。怪我してねぇか?」
「……ぶ」
「ぶ?」
要領を得ない少年の言葉に首を傾ぐ。すると突然、思いの外強い力で支えていた腕を払い落とされた。
「ぶれいものっ! ボクに気安くふれるな、げせんの民め!」
「………………は?」
「ボクは――いっ!」
「こぉら。まずは『助けてくれてありがとう』だろうがクソガキ。んな言葉どっから覚えてきやがった」
「なにをする! こんなことをしてただですむと思うな! うすぎたない手を早く離せ!」
きゃんきゃん子犬のように吠える少年のこめかみに拳をぐりぐり押し当てていたシェッドは、砂だらけの足で蹴りを受けてさらに拳に力を込めた。
痛みのせいか、少年の目に涙が浮かぶ。
「まだ言うか。あーりーがーとーう、だろ」
「だっ、だれがお前などに!」
「チビのくせに強情だな。でも礼はジョーシキなんだよ、常識!」
睫に水滴が乗り始めたと思ったら、突然空が翳りを帯びた。ばさばさと羽ばたく音が聞こえ、シェッドは顔を上げる。
そこには予想通りの人物が二人、鳥の翼のような形をした飛行樹(ひこうじゅ)にぶら下がって上空からやってきていた。手ごろな場所で彼らは手を離し、砂煙を上げながらも綺麗に着地する。
よ、と声をかけようとした瞬間、油断していたシェッドの顎に少年の渾身の頭突きが叩き込まれた。
「いってぇええ! こんのクソガキ、調子乗ってると泣かすぞ!」
「お前が悪いのだ、ぶれいものめ!」
「んだとドチビ!」
大人気ない発言にスコットは深いため息をついた。
「…………なァにやってんだよシェッド」
「テンセイ様! ちょっとシェドくん、早くテンセイ様から手を離して!」
「だってこのガキが――! ……って、テンセイ、さま?」
「そうだ! ボクはビリジアン緑王、テンセイだぞっ」
呆れたように額を押さえるスコットを見、次ははらはらと落ち着かない様子のセシルを見る。そして最後に目の前の少年に視線を定め、シェッドはぱかっと口を開けたまま固まった。
その間の抜けた顔に容赦のない一撃が繰り出される。
「このクソガ――じゃなくて、なんでテンセイ様がこんな偏狭の砂漠に行き倒れてんだよ」
「お前に答えるぎりなどない!」
「はいはい、二人ともケンカ腰にならないの。……シェドくん、君がここに来るまで、テンセイ様には誰も近づかなかった?」
「え? ああ、まあ」
「そっか。じゃあテンセイ様、また逃げ出そうとしてたんですか?」
屈んでテンセイと視線を合わせたセシルが、逃げを赦さない静かな口調で問うた。少年は気まずそうに目を逸らし、もごもごと口を動かして言いよどむ。
その様子をじっと見ていたシェッドの後頭部に、スコットから無言の鉄槌が下された。意味はおそらく「待っとけっつっただろ」であろう。
自分の無鉄砲さは分かっているので、反論することなく口を閉ざす。
テンセイの目が自分と向き合っていたときのような強気な色ではなく、弱々しい子供のそれに変わっていくのを見て彼は軽く瞠目した。震える声音が耳朶を叩く。
「…………セシルは、ボクのみかたじゃなかったのか」
「セシルはいつだってテンセイ様の味方ですよ。でもね、ぼくはいい子にしてないテンセイ様は嫌いです」
「そんっ……! ボクは、ただ……父上を……」
俯き加減でぽつりぽつりと語る小さな子供が、どうしてこの国の緑王だと思えよう。
唯一緑を生み出すことのできる人間が、こんな頑是ない子供だったとは。
子供の扱いに手馴れているセシルを見て、シェッドは様々な驚きを受けていた。そんな中で「相変わらず似てねぇなぁ」とぼやき、スコットとセシルを見比べる。
この二人が双子の兄妹だと知ったときは驚いたが、正直今の状況の方が驚きでは勝っていた。
「前王陛下を探すときはセシルも参ります。だから勝手に宮殿から抜け出さないで下さい。それからお仕事もサボらない。カクタスの連中に見つかったら大変なんですから。分かりましたか?」
「……すまぬ」
「テンセイ様。謝り方をもうお忘れですか」
「………………ごめん、なさい」
しゅんと項垂れるテンセイをセシルはぎゅうと抱き締め、小さな頭を優しく撫でた。よくできました、という褒めの言葉に、少年は照れくさそうに顔をセシルの肩に押し付けて隠す。
しばらくして体を離した彼女は少年の手を引いて立ち上がらせると、シェッドに向き直った。
「ありがとね、シェドくん。大事になる前にシェドくんが来てくれてよかった。ほら、テンセイ様もお礼」
「でもセシルっ!」
「テンセイ様」
セシルのはっきりとした口調にテンセイがたじろぐ。ちらちらと見上げてくる深緑の双眸は大きく丸く、まるで豆ダヌキのようだと失礼ながらもシェッドは思った。
テンセイはシェッドというよりはその隣のスコットの肩辺りを見上げ、きゅっと唇を引き結ぶ。
「……あり……がとう」
「なんっか気にいらねーけど、まあいいや。こっちこそ頭ぐりぐりやって悪かったな。本当に怪我とかしてねぇか?」
こくりと頷いて、テンセイは聞こえるか聞こえないかの声量で、小さく「ごめんなさい」と呟いた。一瞬なにに対する謝罪か分からなかったが、おそらくは頭突きのことだろうと踏んで納得する。
穏やかな笑顔と共に頭を撫でてやれば、テンセイのふっくらとした頬が朱色に染まった。
「かーわいーなあ、お前」
「うるさいっ、ぶれいだぞ!」
「なんだとクソガキ!」
「もうっ! 二人ともケンカしないの!」
友人と双子の妹、そして緑王を遠巻きに眺めながらスコットは苦笑を漏らす。
背にした細い木にもたれながら、目の前で揺れる緑の葉に手を伸ばした。
「お前ら、ほんっと気楽でいいよなぁ」
問題は山積みだというのに、どうしてこうも無邪気に笑っていられるのだろうか。
スコットは川の向こう、国境を越えた向こう側から送られてくる殺気を肌で感じ、頬を掻いた。
肩に担いだ木銃の銃口をさり気なく『向こう側』に向ける。
――放たれてきた銃弾を、彼は牽制の意味を込めて打ち砕いた。
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