純粋な緑 [ 3/4 ]

純粋な緑


hi


 あまりにも小さな手だった。握り締めた手から子供特有の高い体温を感じて、ほっと息をつく。青白い顔をして瞼を落とした表情は、子供の寝顔には見えなかった。
 額に張り付く若葉色の髪をそっと掻き上げ、指で汗を拭ってやる。夢でも見ているのだろうか。時折眉間にしわが寄り、寝言のようなものが乾いた唇から零れていた。
 しばらくすると、部屋の外が騒がしくなった。ばたばたと駆け寄ってくる足音と、扉の前に立つ兵士らの慌てた声が重なる。制止の声を振り切って、大きな音と共に扉が開け放たれた。

「テンセイ! セシルっ、テンセイは!?」

「寝てるよ。だからシェドくん、静かにして。ここは医務室なんだから」

「あ、わりぃ……つい」

 心配で、と言いながら、シェッドは気まずそうに首の後ろを掻いてベッドまでやってきた。すやすやと寝息を立てるテンセイを見て安心したのか、近くにある木椅子にどっかりと腰を下ろして力の抜けた笑顔を浮かべた。
 仕事が終わってすぐに駆けつけてくれたのだろう。頬を滑る汗は大粒で、大きく上下する肩がなによりの証拠だ。セシルはそっとテンセイの手を離して棚からタオルを取ると、水と一緒にシェッドへ渡した。彼は嬉しそうにはにかみ、一気に水を流し込む。
 愛されてるね、テンセイ様。声には出さずにそう呟き、再び小さな手を握った。

「――いつ、倒れたんだ?」

「お昼前。ちょっとお仕事頑張りすぎたみたいだね。……無理もない、か」

 白い植物に侵されているこの世界で、唯一緑を生み出すことができるのは王族だ。そして数少ない王族の生き残りが、セシルの華奢な腕の中にもすっぽりと納まってしまいそうな小さな少年なのである。
 緑を守るため、人々が安心して暮らせる世をつくるため、テンセイは日々必死にその力を使う。――否、奪われる。
 緑を欲する大地に生気を吸われ、小さな子供の命を糧に緑が生い茂っていく。
 これはかつての王族が、自然や人、すべてからなにかを奪って生活してきた代償なのだろうか。誰よりも長く、誰よりも美しく、誰よりも幸福に。ただそれだけを願って生きてきた、傲慢な人間に対する罰なのだろうか。
 それではあんまりだ。このような小さな子供にその業を背負わせるなど、あってはならない。
 視界の隅で、枕元に飾られた黄色の花が揺れた。

「……皮肉だよね。このお見舞いのお花だって、テンセイ様が咲かせたものなんだよ。花があれば、色があればみんな喜ぶからって、テンセイ様が裏の花壇にめいっぱい。お仕事じゃなかったんだ。ただ、ぼくらを喜ばせるためだけに、この子は……!」

「セシル……」

「ねえ、シェドくん。なんで、なのかな。なんで、テンセイ様なのかな。なんで……こんな、小さなこどもなのかな」

「そりゃ……王族だから、だろ」

「なんで……なんで、こんな世界になっちゃったんだろう」

 ぱたり、とセシルの眦から雫が落ちる。懇々と眠り続けるテンセイの頬をそっと撫で、彼女はシェッドに向き直った。
 なんでこんな世界に。そう問われても誰も答えることはできない。気がついたらこうなっていた。おぞましい大災害ののち、じわじわと真っ白な植物が緑を侵食していった。色をなくした植物は幻覚作用をもたらし、人々はそれを忌み嫌うようになっていった。
 そして緑を、強く求めるようになった。
 言葉にするのは簡単だ。この悲劇の始まりを語るのは、この世界に生まれた子供ならば誰でもできる。親から子へと、恐怖と執着を忘れぬよう語り継がれていくからだ。
 セシルもそうだった。緑はなくてはならないもので、新たな緑を生み出すことができるのは王族だけだ、と子守唄代わりに聞いてきた話だった。すごいね、かっこいいね、無邪気に笑い、王族への憧れを抱いていた自分が脳裏を過ぎる。

 すごいね、かっこいいね、でも――つらい、ね。

 すぐに死ぬわけではない。寿命が縮むわけでもない。けれど、確実に心も体も疲弊する。気を抜けばすべてを持っていかれる。今まで与えてきたものを奪い返すかのように、自然がテンセイの生を欲する。
 地に伏し、顔面蒼白で荒い呼吸を繰り返す子供の周りには、目を瞠るほど美しい緑が広がっている。色鮮やかで香り高く、見惚れずにはいられない神秘の光景だ。
 それはとても美しくて、泣きたくなるくらい哀しいオアシス。
 頑張ればきっと、姿を消した前王の父や、姉ら家族が戻ってくる。そう信じてやまないテンセイの小さな背中を見つめるたびに、目の奥が熱を帯びていく。
 殺されるのは怖いけれど、死ぬのは怖くない。そう言って微笑んだ少年の顔が頭から離れず、セシルは唇を噛んで俯いた。


+ + +


 静まり返った医務室には、空のベッドが数台並んでいた。夜も更け、月明かりが窓から差し込んで床を照らす。明かりもつけずにぼんやりと机に向かっていたセシルは、片割れの足音を聞いて振り返った。

「スー、終わったの?」

「あァ。――テンセイ様は?」

 綺麗に整頓されたベッドを一瞥し、スコットが眉根を寄せる。取り出した煙草を口にくわえたところでペンを投げつければ、彼は渋々それを箱へと戻した。苛立ちを隠さないまま舌打ちした双子の兄に呆れにも似た感情を抱きながら、セシルは椅子を勧めた。
 テンセイはまだ目覚めてはいない。少なくとも、この医務室を出たときはそうだった。
 しかし近衛の者達が自室で療養させると言い、さして大きくはない城の奥へと連れ帰っていった。大きな天蓋つきのベッドで、今頃一人で眠っているのだろうか。たった一人で、この闇の中を彷徨っているのだろうか。
 せめて誰か、手を握っていてくれればいいものを。

「……泣いたのか」

「え? ああ……。別にどうだっていいでしょ、そんなこと。スーには関係ない」

「俺は、また甘っちょろいこと言って、吐き気のする偽善零したのかって言ってんだよ」

「なにその言い方。気に入らない」

「お前に気に入ってもらおうなんざ思っちゃいねェよ」

 吐き捨てるように一蹴され、セシルの頬に赤みが差す。怒気に鋭さが増した双眸で殴りつけるようにスコットを睨み、左の二の腕に彫られたクレマチスの花模様を強く握った。
 それが感情を抑えるときの癖であると、本人は気づいていない。たった一人それを知っているのが、片割れであるスコットだった。しかし彼は冷めた目で彼女を見つめるだけで、なにも口にしようとはしない。
 
「最近のスー、おかしいよ。シェドくんと同じ任務の癖に帰ってくる時間は遅いし、いつもよりイライラしてる。一体なにやってるの」

「関係ねェだろ、お前には」

「関係ある!」

「さっきお前が俺に、関係ねェって言ったばっかだろうが」

 すぐさま切り返されて言葉に詰まった。面倒くさそうにスコットは立ち上がり、窓を開け放つと窓枠に腰掛けて煙草に火をつける。吐き出された紫煙が外へ流れ、赤く灯った火が蛍のように闇に浮かんだ。
 細い煙草を挟む指と、己の指を見比べてセシルは屈辱的な気分を味わった。
 共に母の中で命を儲け、育ち、時を同じくしてこの世に生を受けた存在。いつだって小さな頃は一緒だった。なにをするにも半分こ、まさに片割れと言うに相応しい存在だったのに。
 同じだと思っていた。二人で一つ、だから同じ存在なのだと。
 けれどその認識は初めから間違いだったのだ。心も体も、一つのものを二つに分けたんじゃない。初めから、一人一つずつ用意されていたものだった。
 似ていると言われていた顔立ちも、今では全然違う。身長だってスコットの方が頭一つ分高く、がっしりとした骨格はセシルにはないものだ。
 体格も能力もどんどんと差が開いて、今では僅かな溝までできてしまった。
 いつまでも一緒だよ――そう願っていた頃が嘘のようだ。

「スーはなにがしたいの? ぼく知ってるんだよ、スーが最近……テールベルトの人と、会ってること。あんなにいっぱいお金貰って、一体なにしてるの?」

「なんの話だ?」

「とぼけないで! ……スーが、スーが変な行動取り出してからだよ。テンセイ様の体調が悪くなったの。ねえ、一体なにしてるの? やましいことがないなら教えてよ。それともぼくには、言えないこと?」

 ぴくり、とスコットの眉が僅かに跳ねたのが月明かりでも確認できた。強く握った二の腕に、爪が食い込むのが痛みで分かる。職業柄短く切っているため、肉を突き破ることはないだろう。三日月形の痕がいくつか生まれることが想像できたが、セシルは力を緩めなかった。
 スコットはなにも言わない。それどころか、セシルの方を見ようともしなかった。

「っ、ねえ! ぼくはただ、テンセイ様に――」

「セシル」

 ゆっくりと視線が夜空からセシルへと戻ってきた。向けられた眼光はあまりに冷たく、初めて目にしたそれに喉の奥が凍りつく。ふつふつと心の底から湧き上がってくるのは、紛れもない恐怖だった。

「ぼくぼくうっせェよ。気持ち悪ィ。テメェは黙って怪我見てりゃいいんだよ。余計なこと言うんじゃねェ。――出来損ないが」

「そっ……!」

「テメェは女だろ。家でメシでも作ってりゃいいのに、ノコノコこんなとこまでついてきやがって。大したこともできねェくせに、出しゃばってんじゃねェよ」

 たくさんいる兄弟の中で、セシルだけが女だった。誰もが優秀で、ビリジアンを支える重要な職務につくものがほとんどだった。兵士としても、指揮官としても、政治家としてもそれぞれが一芸に秀でた部分を持ち合わせる中、セシルだけが平凡だった。
 家族の中で最も多才だと言われたのが、片割れであるスコットだ。武術も学術も、人並み外れた能力を持っている。それでもなぜか彼は普通の一般兵士として国境警備兵となり、折角取得した宮廷師範の資格も意味を成さない。
 一緒に軍に入り、一緒に歩んできた。合わせてくれていたのだと、そう思っていた。
 優秀な兄や弟を見るたびに惨めになる自分と、共にあってくれるのだとそう思っていたのに。

「……そんな風に……思って、たの?」

「あァ」

「ぼくのこと……邪魔だと、思ってたの?」

「あァ」

 なにかが膨らみ――そして一気に、弾けた。

「ッ、スコットの馬鹿! テンセイ様の代わりに死んじゃえッ!」

 ガシャン、と派手な音と共にペンを入れていたスタンドが床に転がり、中身が散乱した。顔に向かって投げつけられたそれを片手で防いだスコットが、鬱陶しげに煙草を吐き捨てる。
 彼がなにかを言うよりも早く、セシルはその場を飛び出していた。長い廊下を走って走って走って、与えられた自分の部屋に辿り着く頃には嘔吐感を覚えるほどに息切れしていた。何度も咳を繰り返しながら雪崩れ込むように部屋へ入り、嗚咽が漏れないようベッドに沈み込む。
 どうしようもないくらい苦しくて、声を抑えることもなく子供のように泣いた。


 信じていた。
 彼だけは、安心して隣にいさせてくれるのだと。



(そして世界は崩れていく)
(ねえどうして、この世界は大切なものを奪っていくの)



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