鏡花水月 | ナノ

16 おかえりなさい

(17/22)


井宿に支えられて、部屋に戻った。
他の七星士たちもそれぞれ着替えに戻ったらしい。
宮殿は、もう一度静寂を取り戻していた。

ずぶ濡れになった服を脱いで、用意してもらったシンプルな服に着替える。
動きやすいものを、と頼んだつもりだったが長いスカートは走るのには向いていない。
この国の女性はシンプルでも身体を隠す服を好むらしく、男性のよりも布面積が多めだった。

一応、柳宿がきていた服と比べればシンプルなのはわかったので、仕方ないかと諦める。


(そろそろ、鬼宿がくる……はず)

微かな笛の音が聞こえて、華は眉を寄せた。

そうだ、彼をどうしよう。

鬼宿が戻ってくれば朱雀召喚がなされる。
失敗すれば新たな旅が待っている。
そこでは……。

ぶるり、と身震いした。
嫌な記憶を思い出して、右手を握る。

(させない、させるものか)

あんな思いは二度とごめんだ。
そもそも神座宝を探しに行かなければいい話ではあるのだが……。

(前は、それで美朱は朱雀に……)

喰われた。

それも嫌だ。

どうしたら一番いいのか、と悩む。

華の一言で未来は大きく変わるのだ。

結末も。



また、外が騒がしくなった。
鬼宿がきた、と悟って立ち上がる。

身体は食事をした事でだいぶ回復したようだ。


しっかりと両足で身体を支えられるのを確かめて、外に出た。


今回、華は手を出はつもりはなかった。
結末は知っている。
その過程も。


だから、見守るつもりだった。


ばしゃばしゃと水が跳ね返るのも気にせず走った。
広場に到着すれば、星宿と鬼宿が対峙しているのが見えた。

既に他の七星士たちも集まっている。

ざぁっと雨はまだ降り続けていた。


剣を構える星宿の向こうにいる鬼宿は、やはり額に文字は浮かんでいない。
まだ蠱毒が効いているのだ。

皆が手出しできずに見守る中、ジリジリと弧を描いて回っていた二人の足が止まった。
互いの呼吸がふっと止まる。
振り上げた剣がお互いを襲う。

「星宿様……」

全員が息の飲んでそれを見守っていた。



しばらく互いに均衡を保った打ち合いが続いた。
雨がさらにひどくなる。

バシャンと、鬼宿の足が水溜りを蹴った。
視線が、集中力が一瞬それる。

それを見逃すほど、星宿は甘くなかった。

「はぁぁぁっ!」

「やめてー!!!!!!」

星宿が剣を突き出すのと、美朱の悲鳴が重なった。
ばしゃばしゃと雨の下に飛び出した美朱が、星宿の剣に貫かれ倒れ伏した鬼宿へと駆け寄る。

抱き起こした彼は、それでも美朱の事を思い出す事はなかった。

「す、ざくの……巫女……ころ、す……!」
震える手で、まだ美朱を殺そうと剣を持ち上げる。

「美朱!」
駆け寄ろうとした柳宿達の前に出て、華がそれを止めた。

「だめ、黙って見てて」

「なんやて!?」
翼宿がハリセンに手を伸ばすが、華はそれでも動かなかった。
信じられない、といった顔で皆が見ている。
華はいたたまれない気持ちでそれを受け止めた。

「殺せばいい……あなたが私を殺して、それで気が済むなら殺せばいい!」

悲痛な叫び。
美朱の心が痛いほどわかって、ぎゅっと手を握る。

「なんでや! なんで邪魔するんや!」
「あんた、美朱の事守りたいんじゃないの!?」

翼宿が感情のままに華の肩を掴んで揺さぶった。
柳宿も華の胸ぐらを掴む。

それを止めようと、軫宿と井宿が慌てて駆け寄ってくる。

抵抗する事なくされるがまま揺さぶられていたが、我慢できずに華が口を開いた瞬間。

「鬼宿!!」

美朱と星宿の声が重なって、華は振り返った。


額が紅く輝いている。
浮かぶ鬼の字。


ほっとして、肩から力が抜けた。
それは華だけではなく、他の面々もそうだった様で。
華の肩を掴んでいた手は離れ、胸ぐらも解放された。

「おかえり、鬼宿」

小さく呟いた。
降っていた雨が止んでいく。

抱き合う二人。
軫宿が鬼宿に駆け寄り、すぐに傷を治す。

──ああ、よかった。

心の底からそう思った。


軫宿に回復してもらった鬼宿が美朱を抱きしめながら、こちらへくる。
なんだろう、と首を傾げると、鬼宿が懐を探った。
「これ、渡す様に言われたんだ。忘れ物だとか……」
取り出したものを遠慮がちに鬼宿から、渡される。
手のひらの上に置かれたのは小さな紙だった。
「これ、誰から?」
「唯から預かった」
「唯ちゃんから……?」
広げた中には、文字が書かれている。
しかも日本語だ。

『戻ってきて』

完結に書かれたそれに、あぁ、と合点が行きぽんっと手を叩く。
どうやら、あの時の蠱毒をまだ華が飲んだと思い込んでいるらしい。
願いが中途半端に終わるところを見られていたから、勘違いするのも無理はないが、あの時叶わなかったのはそちらの願いではない。

「ありがとう、鬼宿。……それと、美朱」

どれだけ泣いたのだろう、赤くなった目が痛々しい。
それでも今そこには笑顔が浮かんでいる。

「諦めないでくれて、ありがとう」

微笑んだ顔は巫女と呼ばれるのに相応しい美しさをしていた。




翼宿と柳宿に背中を穴が開くほど鋭く睨まれながら、華と七星士は一つの部屋に集まっていた。
皆着替えを済ませて、軽く髪は拭いてきたらしい。
まだ濡れてはいるものの、滴るほどではなかった。

「朱雀の四神天地書のことなんだが……」

「あ、それなら私が行きます」
はい、と手を挙げた華。
全員から驚かれた様に見られた。

「鬼宿はまた蠱毒を飲まされるかもしれないし、他の七星士も同じだと思うんです。それに、多分心宿達は私が蠱毒を飲んでいると勘違いしてるみたいなので、操られてるフリをすればいけるんじゃないかなぁっと」

どうでしょう?
と聞けば、ガッと柳宿に胸ぐらを翼宿に右腕を掴まれた。
力がさっきよりも強くて苦しい上に痛い。
「アンタねぇ……!」
「信用できるわけないやろ!」
「柳宿、翼宿……ごめん、信用できないかもしれないけど、私は敵じゃない。みんなと同じ美朱を守りたい気持ちは一緒だから……」
「じゃあさっきなんで止めたのよ!」
「それは……」
「柳宿、よせ」
「翼宿もよすのだ」
軫宿が柳宿を、井宿が翼宿を諌めてくれた。
「そう凄んでは、言えるものも言えないだろう」
柳宿と翼宿がきっと睨んでくる。
それが少し悲しかったけど、仕方なかった。

「わかった。言う」
すうっと息を大きく吸い込み、全員の顔を見た。
そして、決心をつけると息をゆっくりと吐いた。
「私は、この先起こることを知ってる」
「未来がわかるってこと……?」
美朱の言葉に頷く。
「さっき止めたのは、美朱が鬼宿の心を取り戻すって知ってたから。ごめんね……騙す様なことして」

「最初から言えば……ううん、言えなかったのよね、そんなの軽々しく言えることじゃない。ごめん、華。早とちりしちゃったわね」
「俺もや……すまん」

「え? え? 柳宿と翼宿が謝ることないよ? だって私が悪いんだし……」

二人がしょんぼりと謝る姿を見て思わずたじろいだ。

「……というか、信じるの?」

「信じるわよ?」
何を当たり前のことを、とあっけらかんと言う柳宿。
それにうんうんと頷く面々。

華はほっと胸を撫で下ろした。

「……信じてくれてありがとう。……で、倶東国へ行く話だけど問題ない、よね?」

「いや、しかし……」
「大丈夫です。もし何かあっても、私には麒麟がいます」

「……だめなのだ」
へっと振り返れば、井宿が腕を組んで顰めっ面をしていた。
笑いながら顰めっ面できるなんて、器用だなぁと思いつつ、むっと眉を寄せる。
「なんで止めるの?」

「消耗から回復しきってないのだ」
「ご飯食べたし、睡眠もとったよ」
「だめなのだ」

駄目、としか言わない井宿にどうして、と言いかけた瞬間。
左腕を掴まれて、思わず呻いた。

「華ちゃん!?」
「どないした!?」
「華!?」

驚いた面々が声を上げる。
どうやらいつのまにか井宿にはバレていたらしい。
華は冷や汗を流しながら、彼の顔を見た。

面はついたままだが、その下の素顔が怒っているようなオーラを感じて、思わず後退りかける。
井宿の腕に力はそんなに入っていないが、痛みで振り払う事はできない。

星宿はそんなやりとりをみて、どうするかと思案した。
敵陣のど真ん中に一人で四神天地書を取り返しに行く事は無謀に近い。
複数人で行っても同じだ。

その瞬間。
「星宿様、俺が行ってきます」
鬼宿が手を挙げた。


結局、操られたフリをするという、華のやり方そのままを使って、鬼宿が四神天地書を取りに行くことになった。
念の為、井宿が鬼宿の身体にぴったり纏うような結界を張って何かあったときは瞬時にわかる様にする。

鬼宿は、美朱を抱きしめると
「必ず帰ってくる。待っててくれ」
そう言ってもう一度美朱と抱き合った。


鬼宿が倶東国に再び行く。
そんな姿を申し訳なさそうに見ながら、未だそばにぴったりくっついたままの井宿の方を見た。
左腕はもう掴まれてはいない。
「井宿」
声をかけるも、いつもの明るい返事は返ってこなかった。

「華、とりあえず左腕を見せるのだ」

そう言って、井宿が華の左腕の袖をまくる。
適当に巻いた包帯は動いたせいで乱れてみるも無惨な形だ。

「なんやこれ。へったくそやなぁ……」
「巻いた事ないんだから、しょうがないでしょ……」
むっとして翼宿を睨む。
するすると、井宿が器用に包帯を外す。
既に塞がりかけた傷口が姿を現した。

「あれ、大分塞がってるー」
すごい、なんて感心して見ていたら柳宿に頭を軽い力で叩かれた。

「ちょっと! こんな怪我してたのに行こうとしてたの? バカなの!?」
「いてて……」
「華ちゃん、これもしかして……っ」
「あ、違う。鬼宿じゃないからね? 美朱安心して」
「せやったら、誰にやられたんや? あの金髪の男か?」
「うーん、違うって言いたいけど間接的には?」
「とりあえず、治してやろう」
「あ、軫宿、力は使わないで」
「しかし……」
「なに遠慮してんのよ、治してもらいなさい」

腕を掴んだまま何も言わない井宿を置いて、お世辞にも静かとは言えない声量で他の七星士と会話していたら、ドンっと一際大きく音がして、全員がぴたっと動きを止めた。

音の発生源は、華の腕を掴んだままの井宿だった。
笑っているのに、ドス黒いオーラが後に見える。
手にもった錫杖を床に突いて音を立てたらしく、握った指に力がこもっているのが見えた。
「みんな、悪いのだが華と二人にして貰えるのだ?」

「あ、アタシ達お邪魔みたいね!」
「せ、せやな! ほな華、また後でな!」
「華ちゃん、頑張って……!」
我先にと柳宿と翼宿が出ていき、美朱も星宿の背を押して出ていく。
去り際に応援されたが、悲しいかな、涙が出そうになっただけで申し訳ないが何にもならなかった。

最後に軫宿が井宿に何か耳打ちし、その手に新しい包帯を渡すと、さっさと退室していく。
二人きりになった部屋は、しんっと静まり返っており居心地が悪かった。

「……あの、井宿……?」
おずおずと声をかける。
はぁっとつかれたため息は、華に向けられたものなのか。
「華、君はなぜ自分を大事にしないのだ」
そう呟かれて、華はふっと力なく笑った。
「これが最後だから、私一生懸命なの」
「最後?」
「私ね、何度も同じ事を繰り返してるの。朱雀召喚された時もあったし、されなかった時もあった。でも、その過程に行くまでに、色んな人が死んでいった。傷ついていった。そんな光景を、私は今まで指を咥えて見てる事しかできなかったの」


でも、今はどうだ。
力がある。


「そんな、何もできなかった私に力がついたら、使って助けようって思うのは悪い事?」
井宿の手が優しく傷口に包帯を巻き始めた。
その手つきに慣れを感じて、それを不安に思った。

だって、それだけ触る機会が多いって事でしょう?

「自分が大事とかそう言う事じゃないの。私は美朱に朱雀を無事に召喚して欲しいし、みんなにこれからも幸せに生きて欲しいの。ただ、それだけ。そのためにこの力は使う。私は死ななければそれでいい」

本当は死んでもいいと思った。
大事な人を守れるのなら。

でも、もしこの世界で全てが上手くいって結末を迎えた時に、みんなの顔を見て見たいとも思った。
井宿のその後をみて見たいと思ったし、ついていきたいとも思った。

「オイラは、傷つく華は見たくない」
「ごめんなさい」
「オイラは……俺は、華の事を大事に思っている。……仲間と、して」
「……うん」

わかっていたはずなのに。
井宿の仲間という言葉にズキンと胸が痛んだ。


(井宿とは恋仲にならない……って決めた、もんね)

想うだけは自由だろう。
そうだろう、と目の前にいる井宿の顔を眺めた。
包帯を巻き終わったらしく、手を離される。
「わ、すごい完璧。ありがとう」
きっちりと巻かれた包帯は歪みもなく綺麗だ。
「ところで……蠱毒の話なのだが」
ぴしっと身体が硬直した。
「飲まされた、と言ったのだ。あいつに?」
「あー……、うん、まぁそのね、ちょっとね……」
まさかキスされて、舌入れられて飲まされました、なんて言えなくて適当に誤魔化す。
「どうやって?」
「ど、どうって……っ」
ぐっと顔を近づけてきた井宿は真剣そのものだった。
「口の中に……入れられて、その、口塞がれた……というか」
正直とは程遠く、それでいて嘘ではない言い回しで伝えると、井宿の眉がぴくりと動くのがわかった。
「……華、その力の使い所をもう一度ちゃんとよく考えた方がいいのだ」
刺々しい言い方に少しだけムッとしつつも、その通りだと思い直して小さく頷く。
「あと、下手な隠し立てはよすのだ」
ビシッと左腕を指さされ、華は小さくため息をついた。

井宿が少し怒った様に出ていく。
華は、怒らせてしまったことに申し訳なく思いながら、時間をあけて後を追う様に部屋を出た。





夕餉を食べる頃に鬼宿は四神天地書と共に無事に戻ってきた。
その頃には、華の体調は万全まで回復し、左腕も動かすのに支障がない程になっていた。

星宿と美朱、翼宿と亢宿が既に食事を終わらせており、少し遅く集合した、柳宿と軫宿、井宿そして華はまだ食事の途中だ。
美朱のリクエストで、亢宿が笛を吹こうと居住まいを正す。
それを見て、華は食事の手を止めた。
「やめて」
「華ちゃん?」
亢宿が不機嫌そうな視線をこちらによこす。
美朱の声に、少しだけ迷った後に華は口を開いた。
「あの……本当は言わないつもりだったんだけど、彼は……」
亢宿、そう言おうとした瞬間。

──やめよ。

頭の中に声が響き、食道付近から喉までが、かあっと熱くなった。
「……っ!?」
はくはくと口を動かすが、声が出ない。
熱くて、苦しかった。

「華ちゃん? 張宿がどうかしたの?」
「ち、が……っ」
「華?」
全員の視線が集まる。

──言ってはならぬ。それは、巫女にとって必要な試練だ。

もう一度頭の中で声が響き、それが麒麟だと言う事がわかった。
口元を覆い、ごほごほと咳込む。
「華!」
井宿と軫宿の手が伸びてきて、どちらかの大きな手が背中をさすってくれた。
この二人には助けてもらってばかりである。
「ごめ、大丈夫……」
「なんや一体……」
「僕がどうかしたんですか、華さん?」

にっこりと微笑んだ亢宿の顔は笑ってはいたが、目は冷たい輝きを放っている。
もう一度亢宿と口に出そうとするが、熱さと苦しさが襲ってきて言葉にならない。
涙目になりながら、きっと亢宿を睨むがそれも長くは続かなかった。
亢宿が笛を口に当て、メロディを奏でる。

「……美朱、ごめん。なんでもない……」

言うのをやめれば、熱と苦しさは引いた。
心配そうに見る面々にごめんと、笑いかける。

美朱はそれでも何か引っかかる様な顔をしていたが、追求はしてこなかった。
みんなが曲に耳を傾ける。

華は、椅子にもう一度座り直すとすっかりなくなってしまった食欲を呼び起こすように、おかずを口に放り込んだ。
笛の音は綺麗だ。
亢宿が悪い子ではない事は知っているが、彼はみんなを騙している。
この笛の音も、来る日のための作戦の一つだ。
最後の一口を食べ終えると、軫宿が小声で尋ねてきた。
「喉は平気か?」
「うん、平気……」
ごめん、と軫宿に謝れば優しい笑顔で、何もないなら良いと返してくれた。


やがて笛の音が止まり、耳を傾けていた全員がさてと席をたった。
「明日は朱雀召喚の儀を執り行う。準備をよろしく頼む。井宿、少し話せるか?」
星宿と井宿が何やら明日のことについて話しながら出ていく。
華も部屋に戻ろうと、席を立ち食堂を後にした。




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