鏡花水月 | ナノ

15 その資格

(16/22)


美朱達の帰りを今か今かと待っていた一行は、紅い球体にのって漸く帰ってきた三人を見て目を見開いた。

「これは、一体……。 何があったのだ、井宿!?」
井宿の腕に抱かれたままの美朱はぽろぽろと涙をこぼしている。
星宿に何があったのか、簡単に掻い摘んで話をした井宿は、美朱を星宿に預けた。
「軫宿、美朱の腕は治せるのだ?」
「あぁ、問題ない。だが……」
「ちょっと華! しっかりしなさい!」
倒れたままぴくりとも動かない華の身体を柳宿が揺さぶる。
「華はオイラに任せるのだ」
「ち、ち……り」
華の身体を優しく抱き上げる。
ほとんど落ちかけた意識を気合いだけで浮上させた華は、ゆっくりと口を動かした。

「た、すき……ぶじ……?」
「怪我はしてるが、心配はないのだ」
「人の心配しとる場合とちゃうやろ! お前こそ平気なんか!?」
「すっ、ごく、ねむい、だけだ……から」
不安そうに華の顔を覗き込み、翼宿はイライラと叫んだ。
えへへ、と力なく笑う華は今にも消えてしまいそうだ。
「軫宿、頼むのだ」
頼む、に含まれた意味をそれ以上に汲み取った軫宿は頷く。
井宿は足早にその場から立ち去った。





部屋にたどり着いた井宿は、華をそっと寝台に横たえた。
靴を脱がす手間も惜しんで、華の頬を手で支える。
「華……すまない」
何を謝っているのかと、華が閉じていた目をほんの少しだけ開けた。
井宿の顔からはお面が外されていて、綺麗な紅い目が真っ直ぐにこっちを見つめている。
一つしかないはずのそれは、本来の二つで見つめられるよりも熱く、鋭く感じた。
口元が熱いもので覆われる。
それが、キスだと気づいて心宿とのやりとりを思い出し、身を固くした。
わずかな抵抗を感じて、ゆっくりと気を注ぎ始めていた井宿は、それをさらにゆっくりと細く調整する。


気持ちいい。
(気持ちいい)

もっと欲しい。
(もっと頂戴)

心と身体が一つになって、華は目を閉じた。
流れてくる気は心地よい。
心宿のように鋭さを持たない、柔らかい熱がじわじわと身体を温めてくれる様な、そんな心地よさだった。

薄く開けた唇を伝って井宿の唾液が口内へ落ちてゆく。

飴玉よりも甘いそれ。

ごくん、と飲み下せばふわふわとした浮遊感に包まれた。
そこで華の意識は途切れた。



暫くそのままの状態で口付けを交わしていた。
口と口を合わせるだけの簡単なこの行為では送れる気の量には限界がある。
もっと効率よく送るには、舌を絡めたり、もっと先のことをすれば良いと理解してはいたが、許可も取れないこの状況下でするのは間違っているし何より、華が望んでいない事をするつもりはなかった。
華が薄く口を開けたのを感じて思わず同調するように開けてしまい、舌を捩じ込みかけて引っ込めた。
そのまま間抜けにも口を開けた状態のままで口付けを続ける。

ようやく身体を動かすのに必要な量の気を送り終え、井宿はそっと口を離した。
途中で意識を失ってしまったらしい華は先ほどよりも穏やかな表情をしている。
やはり連れていくべきではなかったと、激しく後悔しながらも、井宿は面を顔につけ直し一息つく。


これは治療だとわかっていたはずだ。
なのに、どうして。
(煩悩に、負けそうになったのだ……)
華の方を見る。
薄く開いたままの唇はふっくらとしていて、健康的に色づいている。
上気した頬。
潤んだ目元。


気づいたら華の頬を撫でいて、その唇に目を奪われていた。
久しぶりに感じる胸の鼓動の高鳴りに、さらさらと親指で華の頬を撫でる。


ーーああ、そうなのか。

いろいろ思考を巡らせて、すとんっと落ちてきた答えは簡単だった。

簡単だけど難しい。

(俺に……その資格は、ないのだ)

だって、そうだろう?


しかし、その問いに答えてくれる者はいない。
その時、コンコンッと扉を控えめにノックする音が聞こえた。


扉を開ければ軫宿が立っていた。
「華の様子はどうだ」
「ようやく落ち着いたのだ」
「怪我か何かあれば診ようかとおもったんだが……」
「明日にしたほうがよさそうなのだ」
「そのようだな」

すやすや眠る華が起きる気配は全くない。
井宿は軫宿に礼を言うと、再び部屋に引っ込んだ。


「香蘭……。俺に、もう一度人を愛する資格はあるのだろうか……」

小さな呟きは空気に溶けて消えていく。
答える者はやっぱり誰もいない。







翌朝。
美朱の心境を表す様に、朝からバケツをひっくり返したような雨が降り注いでいた。
井宿からの気と睡眠によって幾分か動ける様にはなっていたが、ほとんど空っぽに近いほど消費した気は今回はそう簡単に回復はしなかった。
起き上がった途端痛む左腕。
(こんなところ、何かしたっけ……)
袖を捲って見れば、ざっくりと何かに切られた様な切り傷ができており、血はすでに止まっていた。
それが昨日倶東国の結界の一部を破った対価だと気づいて、袖を下ろす。
不思議なことに服や寝台には血液が付着した跡がない。
(血が対価だったのかな……?)
何も傷を使ってとらなくても……と思いつつ、華は寝台から降りると、まだふらつく身体を壁に寄りかかって支えながら侍女を探した。
「あ、すみません」
ちょうど通りかかった侍女に声をかける。
その侍女は突然呼び止めたのにも関わらず嫌な顔一つせずに応えてくれた。
その人に包帯を頼んで、部屋に戻る。
そういえば、美朱達は大丈夫だろうか……と、昨日の様子を思い出した途端。
心宿とのやりとりが急にざぁっと脳裏に流れ、気持ち悪さに唇を噛んだ。
とんとんっとノックされて、はっと現実に戻された華は、はぁいと一拍遅れて返事を返す。
ゆっくりと扉が開き、先ほどの侍女が顔を覗かせて包帯を手渡してくれた。
「ありがとうございます。すみません、面倒な事を……」
「いえ、お気になさらず。ところで、どこかお辛い様でしたら、医者を手配いたしますが……」
「あ、大丈夫です。今後持っておきたくてお願いしちゃっただけなので」
「そうでございますか。それでは、私はこれで失礼致します。何か他にございましたら何なりとお申し付けください」
ぺこりと華麗に一礼した侍女が部屋を出ていく。
流石宮殿なだけあって、一つ一つの所作が綺麗で見ていてため息が漏れる。
自分には絶対に無理だなぁ、なんて思いながら袖をまくり包帯を引っ張った。
左手を固定し、右腕を動かして包帯で傷口を煽っていく。
血は出ていないとはいえ、切れているのだから当たれば痛い。
なんなら、当たらなくても痛い。
心宿の術が強かったのか、それとも昨日は消耗しているところに願いを使ったからか分からないが今までで一番厄介な対価だった。
「よっ……と。あれ……うーん……」
ぐるぐる巻いてみた。
最終地点どうやって結べばいいか分からない。
と言うか、片手塞がっているのにどうやって結べばいいのだろうか。
「あーーーーー! もういいや! これでよし! もう終わり!」
何度か巻き直したり試行錯誤を繰り返したが、面倒くさくなってしまった。
ぐるぐるっと巻き、端を巻いた包帯の中に突っ込んで終わりにする。
袖を下ろせば分からないし、痛いからそんなに動かさないから大丈夫だろうと、自分を納得させてゆっくり寝台から立ち上がった。
ぐうぅっ。
途端なるお腹。
そういえば朝食もまだな上に消費した気は充分に戻ってはいない。
何か食べたいな、と思い部屋の扉を開けた瞬間。
「だっ!?」
井宿が目の前にいたらしく、思わず正面衝突しかけた。

「井宿!? 大丈夫? ごめん、いるって思わなくて」
片手に食事の乗った盆を持つ井宿。
「あ、美朱のところ?」
「これは華のなのだ」
え?っと井宿を見れば、そのまま部屋に入ってくる。
「わざわざ? 私食堂いけるよ?」
「まだフラフラしてるのだ」
小さな机に食事を置いて、井宿は椅子に座る。
華も同じ様に椅子に座った。
「昨日のだけでは回復には足りないのだ」
「昨日……」
そっと唇に触れる。
心宿とは違う、心の底から癒される様なそれ。
そう思い返して、かぁっと顔が熱くなった。
(井宿と……キス……)
それが医療行為だとわかっていても、繰り返しの世界の中ずっと想い続けていた人からのそれは、嬉しくてたまらない。
「……嫌だったのだ?」
「へ?」
「一応断りに近いものはしたのだが……すまないのだ」
「い、いやじゃ……大丈夫! 気にしてないから!」
思わず嫌じゃない、と言いかけてしまい動揺してガンっと机に左手をぶつけた。
(いったぁぁーー!!)
傷口にクリティカルヒットしたらしい。
脳天まで響く様な痛みに思わずうめきかけて、唇を噛み締め我慢する。
視界がぼやけて、痛みに少しだけ涙が出た。
「華? 大丈夫なのだ?」
「だ、大丈夫……手をぶつけただけ……」
左手を庇う様に机の下に隠してしまうと、華はスプーンを手に取った。
「食べていい?」
「勿論なのだ」
いただきます、と呟いてお粥らしきものを口に運ぶ。
「そういえば、美朱は?」
お粥は適度に冷めていて、食べやすい温度だった。
中華スープのようなほのかに出汁の味を感じる。
「部屋で休んでいるのだ。傷はもうすっかりいいのだが、心の方が……」
「そう、だよね……」
美朱の心境を想像して、ぎゅっと唇を引き結んだ。
自分にできるだけのことをしようと、お粥を口に運ぶ。
「ところで、華は怪我とかは平気なのだ?」
「ん? うん、してないよ。大丈夫」
「何かあれば、言うのだ」
「うん、ありがとう」


粥を半分ほど食べ切った辺りで、外が騒がしくなる。
「何かあったのかな……」
「見てくるのだ」
井宿が席を立ち、扉を開けて外を覗いた。
ちょうど通りかかったらしい柳宿が、井宿を見つけて慌てて駆け寄ってくる。
「井宿! 華は起きてる!?」
「柳宿? 華なら起きて食事してるのだ」
「美朱が……これ、置いていなくなっちゃって……アタシたちには分からない文字なの……」
柳宿が差し出した紙には確かに文字が書いてあるが、井宿達には読むことができなかった。
華に聞こうと振り返ると、すぐそばに立っており目は紙を見つめている。
すると、何を思ったのか扉が開いている隙間をするりと通り抜けて、そのまま駆け出した。
「柳宿、井宿こっち!!」



だめ、だめだよ美朱、いかないで!
焦りと、まだ少しだけふらつくせいで何度か足をもつれさせながらも走った。
いつもは穏やかな川が、大雨のせいで荒れ狂い水位を増している。
美朱がいなくなってから時間が経っているのか、いろんな人間が名前を呼んで探していた。

そして、あの場所へとたどり着く。
美朱が入水自殺を図ったあの場所へ。

そこには示し合わせた様に、他の七星士たちもいた。
川べりには美朱の方が置かれている。
星宿の物と思われる冠も落ちていた。

「まさか……!」
星宿も飛び込んだのだろうか。
この濁流の中に。
「星宿様! 美朱!」
「待つのだ華!」
さぁっと血の気がひいて、華はその場で手を組むと目を閉じた。
早く助けなければ。
しかし、その肩を井宿に掴まれて止められる。
危機的とはいえ、消耗しきっている華が願うことを井宿はよしとしなかった。

その瞬間。
紅い光が川から溢れ出した。

川が真っ二つに割れ、中から美朱を抱えた星宿が現れる。
そのままふわりと二人は浮かび上がると、皆がいる川べりに着地した。

「美朱!」
全員がかけよる。
美朱は星宿の腕の中で弱々しくも呼吸をしていた。

ほっとして、その場にへたり込む。


「よかった……」

心底ほっとした。




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