鏡花水月 | ナノ

14 さようなら

(15/22)


「こない……」
約束の場所である庭園の巨木。
辺りには甘い香りの花が咲き誇っていた。
そこで待ち続ける美朱。
既に月は真上に到達していた。
華は、そっと美朱の肩を優しく掴む。
「……美朱、聞いて欲しい事があるの」
「どうしたの?」
「万が一信じられない事が起きた時、絶対に諦めないって約束して欲しいの。諦めなければ必ずうまく行くから」
力強くそう伝える。
華にできるのはこれだけだった。
力が使えてもこんなアドバイスしかできないなんて、と自虐気味に笑う。
それでも美朱は、うんっと強く頷いてくれた。




「ほう、その者。もしや麒麟の使いか?」
冷たい声音。
それに全員が一斉に振り返る。
そこには、複数の兵士と心宿、そして唯の姿があった。
「美朱、諦めなよ。もう鬼宿はあんたのところになんか帰らない」
その言葉に、今回もそうなんだと華は視線を足下に落とした。
途端、硬直する身体。
「へ?」
なんだなんだ、と顔を上げた瞬間。
ぐいっと何かの力によって身体が引き寄せられた。
「華!」
掴もうと井宿の手が華に伸びる。
しかし、それは虚しく宙を切った。
井宿の声が遠い。
ドンっと何かにぶつかった。
それは酷く硬く冷たい。
「麒麟の使いとやらは、願えばなんでも叶うらしいな」
さっきまで遠くで聞こえていた心宿の声が直接響いてくる。
おかしいと、ぐいっと腕を突っ張れば鎧が目に入り、心宿に抱きしめられている体勢なのだとわかった。
(今までこんなことなかったのに、なんで!?)
困惑する華。
ぐっと心宿の腕に力が込められて、華は再びべったりと抱きつく形になった。
「力を見せて貰うとするか。……麒麟の使いとやら。あの者の誰でもよい、その場に昏倒させてみよ」
心宿が指差す先には、井宿達。
当然華がそんな事できるわけがない。
しかし。
「わかった」
華は短くそう答えると、目を閉じた。
「開神」
「華ちゃん、やめて!」
「華! やめるのだ!」
美朱達が口々に叫ぶ。
(大丈夫。井宿達を傷つけたりなんかしないから……信じて)
首だけを動かして美朱達を見ると、にっこりと微笑んだ。
(三人を隠れられる場所へ!)
黄金色の風が吹く。
風は井宿達を覆い隠してどこかに連れ去ってしまった。
獲物を無くし、おめおめと目の前から逃げられた心宿が鋭い視線で華を射抜く。
「貴様……」
冷たく低い心宿の声には怒気が含まれていた。
「私が素直に言う事を聞くと思ったら大間違いだから」
華が心宿を睨みつける。
しかし、先ほどまでの怒りはどうしたのか、ふと心宿は不適な笑みを浮かべると華を肩に担ぎ上げた。
「ちょ、離して!」
ジタバタともがくが、流石に軍人なだけあってびくともしない。
しかも不運なことに、先ほどの力の対価がこのタイミングで襲いかかってきた。
全身の力が抜けて、ぐったりと心宿に全体重を預ける形になり、ぐっと唇を噛む。
それでも、身体に力は入らなくて、それを察したらしい心宿はニヤリと笑った。
「心宿、どうするの?」
「ご安心ください、この者は青龍召喚に必要不可欠なため、私の方で調整致します」
「……そう」
美朱と過ごした時間が長い分、唯と華はほとんど接点がなく、あまり話したことがない。
だが、太一君のところで見た鏡のお陰で彼女に何があったのかは全て把握していた。
「……っ、唯ちゃん! 美朱のことをごか……」
「さぁ、唯様。部屋へとお戻りください。こちらは私どもにお任せを」
華の言葉を遮るように、心宿は唯に促した。
唯は華の言いかけた何かが気になってはいた様だが、追求することなく心宿に促されるまま部屋へと戻っていく。
兵士達も心宿の合図一つで各自の持ち場に戻って行ってしまった。
心宿は無言のまま、華を抱えてどこかへと向かう。
どこに向かうのか不安に駆られるも、ぐっと我慢をして華は揺られるがまま、おとなしくしていた。



ついた先は、まあまあ広さのある部屋だった。
物が少ないところから見て、主人のいない部屋らしい。
寝台へと投げられるように下されて、華は小さくうめき声をあげた。
身体はまだ鉛の様に重く、うまく動かない。
「ふっ……。先ほどの願いで気をほとんど使ったようだな。動けまい」
心宿がごつごつとした甲冑を脱ぎ、鎧も脱いでいく。
「だが、死なれても困る」
シンプルなシャツとズボンだけになった心宿が、ぎしっと寝台を軋ませる。
動かない両手をぐっと掴まれた。
なんだ、何をするんだと、嫌な予感を感じながら見つめるしかできない華はじっとりと全身に汗をかいていた。
ゆっくり近づく心宿の顔。
徐々に焦点が合わなくなり、気づけば心宿に唇を奪われていた。
ただ、唇と唇をくっつけるキスとは違い、間抜けにもぽかんと開いたままだった口内に舌が侵入してくる。
ぬるりとした熱いそれに舌を絡められ、歯列をなぞられ、ぞくりと背中に嫌な感覚が走った。
上からキスをされている影響で、心宿の唾液が自然と口の中に入ってくる。


気持ち悪かった。

なのに、それは飴玉のように甘かった。

それが、心宿から注がれる気なのだと気づいて自然と涙が溢れる。

心は拒んでも身体はそれを欲していて、ちぐはぐな心と身体に叫びたい衝動に駆られた。

脳裏に浮かぶのは優しい笑顔の井宿。

やめて欲しい。
(もっと欲しい)

気持ち悪い。
(気持ちがいい)

涙がぽろぽろと溢れる。
気持ちとは反対に感じる身体が気持ち悪くて、でも身体は動かなくて、何もできないことに悔しかった。


ぴくり、と指先が動いて華は気持ちよさに酔う身体を無理やり動かして、弱々しく掴んでいた心宿の手から逃れようとした。
蠢いていた舌が抜かれて、思わず溢れた小さな声が強請るような甘さを含んでいて顔をそらす。
「まだ足りぬだろう? そう遠慮せずともよい」
「いら、ない……っ」
身体に広がる甘さが思考を溶かそうとするのを必死に耐え、唇を噛む。
ふわふわと浮遊感に包まれて、前後左右の感覚が曖昧で分かりづらい。
心宿が口の中に何かを含むのがぼやけた視界の中でも見えた、華はぎゅっと口を引き結んだ。

心宿が嘲るように笑う。
掴んでいた手を片方でひとまとめに掴み直すと、空いた片手で華の腹に手を置く。

(なにを……っ)

腹に何かされるのか、と思わず力がこもるが目的はそこではなかった。
そのままするりと、腹からずらされた手が下腹部を撫でる。
そして、下へ下へとゆっくりゆっくり降りていく。
「い、やぁ……っ」
心宿の思考が手に取るように伝わってきて、華は恐怖から思わず悲鳴をこぼした。
途端、塞がれる口。
しまった、と口を閉じようとするもねじ込まれた舌が邪魔で閉じられない。
硬い錠剤みたいな物が流れ込んできて、舌から喉にすべっていく。
(いやだ、嫌だ嫌嫌嫌嫌嫌嫌ー!)

ごくり、と喉がなって錠剤が胃に滑り落ちる。
口が離されて、華は瞬時に叫んだ。
「かい、じ、ん……っ!」
(今すぐそれを消して!! そして、美朱の元へ……!)
心宿が不適に笑う。
黄金色の風が華を包んだ。
胃の中が熱い、熱い、熱い。

「ぐ、ぅ……!」

迫り上がる何かに、華は風に包まれた中で思わずそれを吐き出した。
ぼたっと口から落ちたそれは黒い丸薬で、サラサラと黄金色の風に飲み込まれ消えていく。
さらに風が吹き上げた瞬間。

「うあぁ……っ!」

身体中に激しい痛みが走り、意識が急速に遠のいていった。

激しい風が止み、それを眺めていた心宿は中から出てきた華に少しだけ驚いた。
願いで仲間の元に戻ると思っていたからだ。
寝台に倒れ込み、ぴくりとも動かない身体を見て叶わない願いもあるのか?と一人思案する。
そして一つのある結論に達すると、床に捨て置いていた鎧を持ち上げてその部屋を後にした。
どうせ、あの娘には飲ませたのだ。
放っておいて、勝手に帰ろうが好きにすればよかった。
どちらにせよ、華はもう手の中に落ちた、そう心宿は思っていた。




目が覚めた時、先ほどの部屋にいたことに驚いた。
願ったはずの願いは聞き届けられていなかったのだ。
自分がどれだけ眠っていたのか分からず、とりあえず起こそうと身体に力を入れる。
ぐっと、震える腕で身体を支えて時間をかけて起き上がった。
身体が鉛の様に重く怠い。
それでも、懸命に力を込めて寝台から足を下ろして立ち上がった。
開いていた窓の外の遠くの方から、微かに激しい音が聞こえる。
今までの経験から、きっと鬼宿と翼宿が戦っているのだろうと踏んで、華はふらふらとしながらそこへと向かった。
そこまで眠りこけていたわけではなくて、よかったと華は胸を撫で下ろす。
すれ違う兵士に邪魔されることなく、時折立ち止まって落ちそうになる意識を唇を噛み締めることでギリギリ保っていた。
暗闇の中、石ころや草に足を取られながら、その場所に向かう。


ついた時、そこは想像通りの酷い有様だった。
華の結界でも守りきれなかったのか、美朱は腕を押さえて井宿の腕の中にいた。
鬼宿にやられたのだ、知っている。
翼宿は見た目はまだピンピンしているものの、結界がどれだけ持つか分からない。
「翼宿、美朱、井宿!」
鬼宿の異常行動を楽しそうに見物している心宿の隣を通り抜け、ゆっくり近づく。
「心宿、いいの?」
「心配ありません。アレはもう、我らの手の中です」
丸薬なら吐き出してやった。
そんなことになるものか、と心宿を睨みつけ蠱毒によって記憶を塗り替えられ、敵となってしまった鬼宿を真正面から見つめる。
「お、おいっ……危ないで!」
「大、丈夫……っ」
華の肩を掴み、後ろに引かそうとする翼宿。
それだけでふらついたのに驚いたらしく、肩を掴んだ手はそのまま華が倒れない様に支えに代わっていた。
「開神」
ぶわっと黄金色の光が庭園全体を包む。
今この状況で出来ることは一つ。
美朱には申し訳ないが、鬼宿の身体の中の蠱毒を消し去る事は今はできない。
「結界の、一部……を、破れ!」
パァンっと甲高い音と共に、空気が弾け飛んだ。
翼宿のもつハリセンが力を取り戻した様に、きらりと輝いて硬度を増す。
「っしゃあ! 力使えるで!」
翼宿が鬼宿に向かって、小さく炎を放った。
「翼宿! やめて! やめてー!」
美朱の悲痛な叫びが響く。
井宿が美朱を守る様に抱きしめたまま、指を組んで術を唱えた。
途端、全員の身体を球体が包み込む。
「華! 大丈夫なのだ!?」
球体が宙で一つにまとまって、大きな丸になった。
美朱をその腕に抱きながら、井宿が華に手を伸ばす。
酷く消耗しているのが見てわかった。
ふわふわと浮かぶ丸の中は無重力のような感覚で、華は身体の力を抜く。
指一本も動かせない状況だった。

「鬼宿……っ」
悲しそうに代わってしまった彼の名を呼ぶ。
鬼宿にやられた腕は血が滲んでいた。
「さようなら……」
ふわりと風で鬼宿の前髪が舞う。

逃げられてしまうというのに、その場から動く事ができなかった鬼宿は、その言葉にぽたりと涙をこぼした。

さよなら。
その言葉が心に刺さる。

なぜだろう。
どうしてだろう。


そうして、丸い球体はその場から姿を消した。



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