▼48:最終指令とベッリーナC

サン・ジョルジョ・マッジョーレ大聖堂はヴェネツィアにあるベネディクト会の教会である。
約50年かけて同名の島に建設された教会はターナーやモネなどによって描かれているほどだ。
教会の中は静まり返っている。ブチャラティたち以外に人の気配はなく、無人のエレベーターが彼らを待ち構えるようにその扉を開けたまま停まっていた。
ブチャラティがエレベーターの中を確認する。ボタンは2つ。塔上までの直通である。
安全を確認したブチャラティはトリッシュの名を呼んだ。
彼女の返事がなく、不思議に思ったブチャラティが振り返るとトリッシュは踞り、床に手をついていた。
アデレードが影の中からトリッシュの手のひらに下から手を重ねる。こんなことをしてもトリッシュにはアデレードの体温は伝わらないが、声も姿も出せない今、アデレードが彼女を励ますにはこれしかなかった。

「私、これからどうなるの?」

トリッシュの不安は最もだ。
ギャングにいきなり拉致され会ったこともない父親のところへ連れていかれる。
行く先々で狙われて、15歳の少女が怖がらない筈はない。
ブチャラティもまた励ますように声を掛けた。

「ボスは……ただ君の無事を心配しているだけだ。君がこれからどうなるのか?……オレの考えではこうだ……まず君は違う名前になる。顔を整形するかもしれない。身分も国籍も違う人になり、オレたちの知らない所で……遠い国で幸せに暮らすんだよ」

ブチャラティの話をアデレードは影の中から聞いていた。
身分を変えて違う名前になる。
同じようにして生きることを選んだ日をアデレードは思い出していた。
大学生だった自分があの夜を境にギャングとなりアデレードという名前からオンブラと呼ばれるようになった。
だがトリッシュとアデレードは違う。ブチャラティの言う通り、遠い国で幸せに暮らすだろう。そうであって欲しい。

「さぁ、手を貸そう。エレベーターに乗るんだ」

ブチャラティから差し伸べられた手をトリッシュは見つめていたが、意地を張りその手を取ることなく自力で立ち上がりエレベーターに乗る。

「不安でしゃがんでたんじゃあないわッ!亀の中にずっといたから足がしびれたのよッ!」

トリッシュの悪態にもブチャラティは黙ってエレベーターのボタンを押した。
エレベーターはゆっくりと上昇する。
モーター音の響く庫内で、トリッシュがぽつりと呟いた。

「あたし……父親のこと……好きになれるのかしら?」

「そんなことを心配する親子はいない」

「そうよね……その通りだわ。そんな事心配するなんて……おかしいわよね……」

ブチャラティの真っ直ぐな言葉に今度は素直に答えるトリッシュとアデレードは同じ気持ちだった。
"好きになれるのか"なんて心配するような関係ではない。
それは恐らく親子でも恋人でも同じことだ。
プロシュートのことを“まだ愛していたい”と言ったあの朝、アデレードの心に掛かっていた霧が晴れていくようだった。
その時、奇妙な事が起こった。
それまでエレベーターの中でトリッシュはブチャラティと手を繋いでいた筈だ。
しかし今、トリッシュはどういう訳か左手首を切断されて正体不明の男に担がれている。
否、正体は解っている。ボスだ。ボスに違いない。
どうしてなのか解らないが一瞬にして痛みも感じることなく手首を切断され、エレベーターから連れ出されて地下へと向かっている。
手首が切断されたショックでトリッシュは気を失っているようだが、影の中に入っているアデレードはまだ正気を保っている。
今になって痛覚が戻り、出血はトリッシュの切断面から出ている量と同じだけ出ていた。
アデレードもまた影の持ち主の影響を受ける為、手首を切断されているが今は痛みに任せて声を上げたり姿を現したりするのは危険すぎる。
ブチャラティは気付いているだろうか。どうやったら彼にこの状況を報せられるだろうとアデレードは必死に考える。

「なにィィィィィィィーーーッ!!トリッシュ!!」

すると異変に気付いたブチャラティの叫び声が響く。
アデレードの名前は叫ばなかったが、それでいいとアデレードは思った。
やはりボスは自分の正体を完全に消し去る為に、自分の娘であるトリッシュを確実に自らの手で始末する為にブチャラティたちに護衛をさせたのである。
ブチャラティの怒りの声が教会中に響いた。

「吐き気をもよおす邪悪とはッ!何も知らぬ無知なる者を利用する事だ……ッ!!自分の利益だけの為に利用する事だ……父親が何も知らぬ娘を!!てめーだけの都合でッ!……許さねぇ!あんたは今再びッ!オレの心を裏切ったッ!」





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