▼19:早朝の暗殺者チームとベッリーナ
寝返りをうつ度にギシリと軋む安いベッドでアデレードは目を覚ました。
古びた天井を見上げて過去に戻ってきたかと錯覚して瞬きを繰り返す。身体を起こして軽くアルコールの残る頭で冷静さを取り戻すと、昨夜のことをはっきりと思い出してきた。
暗殺者チームのアジトに久々に戻ってきてそのまま泊まったのだ。
裸足でシャワールームへ向かい、ざっとシャワーを浴びて引っ掛かっていたワイシャツを拝借する。
アデレードが洗面所の鏡をコンコンと叩くと、イルーゾォが姿を現した。
「Buongiorno,イルーゾォ」
「Buongiorno,アデレード。よく眠れたか?」
「Si.イルーゾォのお陰でね。……他のみんなは?」
「まだ寝てるさ」
「あなたは早起きなのね」
「これから仕事でな。だからアデレードを出してやらないとな」
「えぇ、お願い」
「マン・イン・ザ・ミラー!アデレードが出ることを許可する」
イルーゾォとマン・イン・ザ・ミラーに手を引かれてアデレードは鏡の中へ入り、元の世界へ戻る。
アデレードを泊まらせるにあたっての配慮で、イルーゾォによってアデレードは鏡の世界で一晩過ごしたのだった。
「Grazie,イルーゾォ」
「アデレードの為ならなんだってしてやるさ」
「ところで。これから仕事ならもし誰かが帰さないと言い出したら誰が助けてくれるのかしら?」
「あぁ、それは……」
「ふふ、冗談よ。気にせずいってらっしゃい」
「敵わねぇな……。逢えて良かった、アデレード。またな」
「Ciao.」
アデレードと見送りと別れのハグをしてイルーゾォはアジトを出ていく。
アデレードがリビングへ入ると、酒瓶を抱いたホルマジオがひとり掛けソファに仰け反り、ソファにはギアッチョ、ソファから落ちたのかその下の床にメローネが寝ていた。
あらゆる酒の臭いが混じった空間にアデレードは眉をひそめる。
ソルベとジェラートは明け方帰宅し、リゾットは恐らく事務所も兼ねている自室だろう。
アデレードは床に散らばる空き缶や空き瓶を踏まないように注意しながらベランダへ出る窓のカーテンを身体の分だけ開いた。僅かに差し込んだ朝陽に背後で誰かが呻く。
カラリ、と窓を開ければ朝陽が何かに反射してチカチカと眩しく、アデレードは思わず目を伏せた。
「Buongiorno,アデレード」
「……Buongiorno,プロシュート。帰らなかったの?」
ベランダで朝陽を背に受けながらプロシュートが煙草を燻らしていた。反射していたのは彼の金髪だと気付く。今朝はまだ結っていない。
「アデレードが泊まってるのにあいつらだけじゃ危ねぇだろう」
「一番あなたが危ないんじゃあないの?」
「へぇ。オレに危機感あるってことは脈アリだな」
「……朝からそんな話するのは頭が痛いわ」
アデレードが溜め息を洩らせば、プロシュートは楽しそうに笑う。
「まぁそう言うな。こっち来いよ」
「私、裸足で来ちゃったのよね。忘れてたわ」
「アデレード、来な」
プロシュートはそう言って、アデレードの脇の下に手を入れて抱き上げた。そのまま室外機の上に腰を下ろしたプロシュートが膝の上にアデレードを座らせる。
「これで良いだろ?」
「……煙草はダメよ」
アデレードがプロシュートの咥えている煙草を取って下へ落とせば、プロシュートは革靴でジリッと踏み消した。
「……なぁ、アデレード。煙草以外の俺のどこが悪かった?」
「どこも悪くはないわ。あなたは完璧よ、プロシュート」
「俺もそう振る舞ってきた。アデレードにはそう思われてぇからな。それなら何故だ?」
「どちらも完璧に美しいことと共にあり続けることとは違うわ、プロシュート」
「アデレード、」
「まだ酔ってるのね。この話はおしまいにしましょう。私、あなたのこと好きでいたいのよ」
「……Ah capito.」
プロシュートがアデレードの肩口に鼻先を埋めるように抱き締める。背中に回された腕にすがるように力が込められて、アデレードはまだ結ってないプロシュートの髪を撫でた。
絹糸のような金髪がさらさらと指を滑っていく。
「……ひとつだけ言ってもいいか?」
「Si.」
「Ti amo.」
「えぇ。私も愛してるわ、プロシュート」
呼吸を奪われた代わりにアルコールの匂いがアデレードの口に広がる。至近距離で見るプロシュートの睫毛は朝陽に透けていて、睫毛まで髪の毛と同じく色素が薄いのだとアデレードは思い出した。
昇っていた朝陽が向かいのビルに隠れて陰る。
朝の僅かな時間しかこのアジトには陽が差さないのだ。
「でも恋じゃないの」
アデレードにとってプロシュートとの関係は愛だが恋ではなかった。その逆にプロシュートにとってアデレードとの関係は恋だが愛ではない。彼はそこに気付いていない。
プロシュートは拾ってきたアデレードをイチからギャングとしての全てを仕込み更には自分の好みの女として成長させた。
服のセンスや仕草、言葉遣いに男のあしらい方までに至るプロシュートの指摘やささいな感想にまでアデレードは全て完璧に応え、ギャングとしても女としても見事に成長した。
プロシュートによって作り上げられたアデレードは最高傑作であろうとするべく自分を圧し殺してでも彼の期待に応えようとし、自分の意思や好みよりも彼の意思や好みを優先的に考えるようになっていた。
そしてアデレードは気づいてしまったのだ。
それはもう恋ではないと。
「おう、Buongiorno.……邪魔したか?」
「Buongiorno,ホルマジオ。いいえ、平気よ。みんな起きたの?」
「いや、まだギアッチョとメローネは寝てるが……朝メシ食いに行こうと思ってよ。アデレードたちも行くか?」
ホルマジオがひょっこりベランダに顔を出してバールへ誘う。
アデレードはちらりとプロシュートを見てから頷いた。
「そうね、行くわ」
「……俺は後から行く。ホルマジオ、アデレードを頼む」
「おう」
ホルマジオが腕を伸ばしてプロシュートの膝に座るアデレードを引き寄せる。
「じゃあ先に行くぜ」
「ああ。シャワー浴びたら行く。アデレード、前使ってた部屋にお前に渡すつもりだった服がある。それに着替えて行け」
プロシュートが新しい煙草に火を点けながら、シャツ姿のアデレードを差す。
アデレードは頷いて以前自分が使っていた部屋に入ると、ベッドの上にYSLのショッパーが置いてあった。
中には黒いワンピースが入っていて着てみればサイズもぴったりで、好みのディティールも今は少しアデレードを滅入らせた。
溜め息ひとつで打ち消したアデレードはホルマジオと一緒にバールへ向かう。
隣を歩くホルマジオがアデレードのワンピース姿を見て言った。
「Ti sta bene.」
「……そうね、プロシュートの見立てだもの」
「引っ掛かる言い方だな」
「解らないのよ。この服に限らず私が今選ぶ服は本当に私が着たいと思って選んでるのかどうか」
「……プロシュートが選ばせてる気がするってことか?」
「……気付いてたの?」
「まぁ、薄々な。アデレードが従弟のアバッキオのいるチームに移ったのもそういうことが関係してるんじゃあねぇかと思ってたぜ」
アデレードが自覚している以上にホルマジオの言葉は確信をついている。考え込むように黙るアデレードにホルマジオはくしゃくしゃとアデレードの髪を撫でた。
「取り敢えず今は朝メシだ。カプチーノとコルネットで糖分補給しようぜ」
「……ホルマジオ、甘いのでいいの?」
「しょうがねぇからアデレードの好きなもんに付き合ってやるよ」
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