隠し扉とわたしと彼

 昼休憩を告げるチャイムが鳴ったと同時にブレザーの右ポケットが震えた。
 焼きそばパンなくなるから早く売店行こう!そう急かすクラスメイトに先に行ってて、と声をかけケータイを開く。メール1件、それが画面に表示された文字だった。

【sub:久しぶり】
【冬休みはこっち帰ってくるんじゃろ?】

 件名通り、送信者の名前を久々に目にした気がした。今では懐かしいと感じるまでになった方言が僅か一行の文面からじわりと滲み出ている。最後に地元に帰ったのは8月のお盆で、それからたった数ヶ月しか経っていないはずなのに。

【12月29日くらいに帰る予定】

 左手で鞄の中の財布を探しながら、右手でそう文章を打つ。
 明日の小テストの為に入れていた数学の教科書、友達に借りていた漫画、ポーチ。ゴソゴソと音を立てて鞄の中を掻き混ぜてみるが何故かお目当ての財布の手応えはない。普段から整理整頓を心掛けてない自分が悪いのだが、今は財布が見つからないことに対する苛立ちの方が大きかった。
 女性は脳梁が太いからマルチタスクに長けてるはずなのにおかしいな、なんて脳科学のうんちくを頭の端っこで考えながら送信ボタンを押す。それに夢中になってたせいか、突如後方から声をかけられたわたしは必要以上に肩が跳ねた。

「お前メール打つのはえーな」
「!」

 びくり、とでも擬音が付きそうなほどのオーバーリアクション。それくらい大袈裟に見えたんだろう。
 後ろを振り返れば声の主、倉持が笑いながらわたしの肩を叩いていた。

「ヒャハ!んなビビんなよ、メールの盗み見なんてしてねーし」
「や、いきなり声かけられたからびっくりして…」
「へぇ?」
「………」

 意味深な返事に思わず口を閉じた。この男が時々見せるこういった反応はどうにも苦手なのだ。倉持は人のことをよく見てる。どんな相手の中身もあっさり見抜いてしまうその鋭い洞察力にはたまに驚かされることがあるから。
 まぁそんなことはさておき、昼休憩早々うちのクラスに来たということは御幸に用でもあるのだろうか。隣の席に視線を移してみるが既にそこはもぬけの殻。御幸ならいないみたいだけど、そう告げようとするより早く、倉持が口を開く。

「お前さぁ、俺に隠してることねぇか?」
「え。別に何も」

 いきなり何だというんだこの男は。しかしいつになく真面目な顔でそう尋ねてくるもんだから思わず身体が強張った。わたし倉持に何かしたかなぁ、そんな記憶ないんだけど。じっとわたしを見つめて視線を逸らそうとしない様子に耐え兼ねて、自分の胸に手を置いて少しばかり考えるそぶりを見せた。早くしろ、とでも言いたげな視線が痛い。

「…そっか、バレてたか」
「おー、俺の観察力をなめんなよ」
「あんたが増子先輩のプリン盗み食いしたこと御幸にチクったのわたしです、ゴメン」
「ハァ!?お前かよ!」

 普通チクるか!?しかもあのメガネに!どーりで昨日の晩無言で増子さんにシメられた訳だ、とかなんとかぼやく倉持を見つめて苦笑い。なるほど、わたしに続いて御幸も増子先輩に告げ口したらしい。それで直接倉持に罰が下されたのか。ご愁傷様です。でもね倉持、それを世界は自業自得と呼ぶんだよ。

「チッ、御幸にゃ後でスパーリングだな」
「いやいや、元はと言えばあんたが悪いんでしょ」

 人の物を勝手に食べるとか高校生にもなってどうなんだ。しかも相手は同じ部活の先輩、スポーツ社会特有の縦社会はどうなってるんだ。
 育ち盛りの球児は食欲旺盛だから食べ物への執着心はハンパじゃないのかもな、そんなことを考えながら止めていた左手を再び動かすと今度はいとも簡単に財布が見つかった。なんだ、こんなとこにあったのか。

「何、お前今日は弁当じゃねーの?」
「うん、今日は売店」
「早く行かねーと売り切れるぞ」
「そうだった!」

 焼きそばパン!と声を上げながら教室を飛び出た所で急ブレーキ。そうだ、忘れてた。そのまま華麗にターンを決めると、きゅ、とローファーが音を立てる。そんなわたしを見て騒がしい奴だな、なんて顔をしかめている倉持に向かって声を上げる。

「しつこいけどチクってごめん!今度プリン買ってくるから増子先輩と仲直りして!」

 そう言って笑うと一個210円以上する旨いヤツな、なんて足元を見るような返事が返ってくるもんだからスイーツ女子かとつっこんでやった。わたしですらそんな高級プリンめったに買わないのに。

「あ、今の増子先輩にチクってやろ」
「いや、だってプリン一個にそんな…」
「あー…もういいから早く行けよ」
「やばい、そうだった」

 じゃ!と左手を上げ、今度こそ売店に向かって猛ダッシュ。人でごった返す昼休みの廊下を駆け抜けて友達の後を追った。
 掌の中のケータイが震える。さっき返したメールの返信が来たらしい。だけどケータイを握りしめていた右手は汗ばんでいる。嫌な汗だ。開く気にもなれなかった。

「…ヘタクソな演技しやがって」

 倉持の呟きは昼休みの雑踏に混じって掻き消される。見抜かれたくなかったのに、見抜かれた。そう思った。


(20111023)

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