まだまだ青い

 野球部伝統地獄の夏合宿が始まって数日。その名が示す通りそれは恐ろしく過酷な内容らしい。朝から晩までひたすら走る、打つ、投げる、捕るのエトセトラ。そして授業中は強烈な睡魔との戦いも待っている。
 そんな過酷なメニューをこなしつつ食事は三食全てどんぶり三杯の白米を平らげなければならないらしい。聞いただけで吐きそうだ、スポーツ社会って恐ろしい。

 なのにクラスで唯一レギュラー入りを果たしている御幸は、今日も今日とてスカした表情で授業を受けている。合宿の疲れを一ミリ足りとも感じさせないその余裕っぷりに感心するどころか逆に腹が立った。
 頭の回転が速く要領もいい、恐らく世渡り上手な天才捕手。この男に弱点はないのだろうか。なんとか粗を探してつついてやろうと企むわたしも中々性格が悪いかもしれない。

 五限目が終わるチャイムをBGMにそっと隣をチラ見すると、さっきまで広げられていた教科書は既に綺麗サッパリ机の中に納められていた。代わりに広げられたのはスコアブック。いくら夏大が近いからとは言え完全なる野球中毒である。この男の脳内は一体どうなっているのだろうか。

「それ先週の練習試合のスコア?」
「おー、練習試合あったってよく知ってんな」
「倉持に聞いた」
「呼び捨てかよ…お前らいつの間に仲良くなったんだ?」
「何気にメル友だからね」

 寮の話とか先輩の話とか、野球部のこと色々教えてくれるんだよ。そう付け加えると「ふーん?」という意味深な言葉と共に不機嫌そうな表情が返ってくる。
 なんか文句でもあんのか、という不満は口に出さず椅子ごと近付いて自分もスコアに視線を移す。鉛筆で記された文字や数字の中に、聞き慣れた名前をいくつか見つけた。

「お、二軍の倉持も出たんだ…盗塁成功してるし。この結城さんて人のヒットの数は凄いね」
「は…?」
「あ、増子先輩って倉持の同室者だっけ?この人もなかなか…で、えー…御幸、は…3回にホームランをぶっ放した後、見事にゴロばっかり………すごいムラがあるけど…なんで?」
「…お前スコア見れんの?」
「まぁ、人並みに」
「…野球かじってねーと見れるもんじゃなくね?」

 人並みとかそういうもんじゃないと思うんだけど。そう言いながらいつになく真面目な顔でじっと見つめられて生唾を飲んだ。なんだろう、まさかこの期に及んでマネジャー業の手伝いに参加しろとか言うんじゃないだろうな。それだけは絶対に嫌だ。

「なぁなまえちゃん」
「何、急に。キモい」
「俺らさ、夏大に向けて頑張ってんの」
「知ってるよ」
「毎日毎日練習キツいわけよ」
「そうですね」
「で、なんかないの?」
「はい?」
「2番を背負う俺への応援メッセージとか」

 この男は一体わたしに何を言わせたいのか。ニッと笑うその奥の思考が読めないわたしはしばらく間を置いてやっと捻り出した言葉を告げた。

「あー…野次が飛んでも気にするな?」
「おーいソコは頑張って〜とか可愛らしいこと言う場面だろ」

 なるほど、どうやらこの男はわたしに黄色い声援を求めているらしい。意気消沈して机に頭を伏せてしまった御幸から視線を外し、そんなのわたしなんかじゃなくてもっと他の可愛いクラスメートにでも言って貰えばいいだろうに、そう思ったがすぐさま思考を止めた。性格が悪いという理由で敬遠されがちな彼にそんな声援を送る女子がクラス内にいるとは思えないからだ。うーん、顔はいいのに損な男だな。

 御幸の憎たらしい性格を知らない人物、つまり他のクラスか先輩になら期待できるのでは?そんな淡い希望を胸に抱きつつ視線を彼に戻す。わたしの視線に気付いたのか、御幸は側頭部を机につけたままじっとわたしを見つめていた。まるでおやつのお預けを食らった子供のような表情で。なんだ、御幸もこんな顔するんだな。

 素直じゃないなぁ、心中でそう毒を吐いてみるもメガネの奥の瞳は僅かに焦りと動揺の色を浮かべていた。
それに気付いてしまったわたしは小さな溜息を一つ吐き、やれやれと口を開いた。

「だってもう頑張ってるじゃん」

 頑張ってる人に頑張れ、なんて言っても重くなるだけでしょ。頑張ってる人にそれ言うの気が引けるから、わたしはその言葉あんま好きじゃない。
 御幸の真似をして机に伏せながらそう続けると目線の高さが同じになった彼が不思議そうに呟いた。

「…余裕ないように見える?」
「違うの?」
「はっはっは!お前最高だな!」

 突如、机に伏せていた頭を起こし盛大に笑い出す彼に唖然。褒めてんのかけなしてんのか分からないその発言に、まぁ御幸はこういう奴だよ。と自己完結している自分がいた。まだ2ヶ月ほどしか一緒に過ごしていないが、それなりに彼のことを理解しているつもりだ。

「ま、中学の担任の受け売りなんだけどね。受験期に『頑張れ』じゃなくて『張り切れ』って言われてたのが染み付いてるんだ」
「ふーん…そんじゃまぁ張り切りますか、誰かさんも応援してくれてるみたいだし」
「や、応援じゃなくて心配ね」

 さらりと言ってのけると「…お前大人しそうな顔してたまにスゲー毒吐くよな」なんて言われてしまった。
お褒めの言葉どうもありがとう、あんたの性格の悪さが伝染したんだよ。そう言ったら御幸は次にどんな顔を見せてくれるだろうか。


(20111011)

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