南風の試練

「元プロ野球選手でタレントのアニマルって知ってる?その息子がうちの高校に通ってんだってさ」

 クラスメート数人が集まって話に花が咲く朝のホームルーム前。アニマルさんか……芸能界に疎いわたしですら聞いたことがある名前、なんならテレビで見たことがあるな。
 てっきり芸人だと思ってたけど元プロ野球選手だったんだ、知らなかった。

「へぇ、すごいね」

 大して興味を持たなかった自分は軽い相槌を打ったつもりだった。そんな薄い反応にも関わらず、何を思ったのかわたしの返事が感受性豊かなクラスメートの目に止まったらしい。
 「お、気になる?貸してやるよ!」と半ば無理矢理押し付けられたのが、表紙にインパクトがあり過ぎるこの一冊。これは本当に野球の本なのか?

「お前、まさかそれ…」

 いや、いらない。とは言えず、しぶしぶ受けとった「I♥ Nippon」を腕に抱え席に戻ると異様な食いつきを見せる男がここに一人。生意気で口が悪いと評判の御幸一也だ。

「あー、著者のアニマルさんの息子がうちの野球部の先輩にいるらしいんだけど……って、御幸野球部だったよね、知ってるか」
「知ってるも何も」

 俺が尊敬するキャッチャーだよ。
 そう言って今までに拝んだことのない柔らかい笑みを浮かべるもんだから思わず言葉を失った。
 え、今なんて?

「…あんたが?」
「おー」
「先輩を尊敬…?」
「え、どういう意味?聞いていい?」

 口を開けばイヤミばかりのこの男にも尊敬に値する先輩がいるというのか。そんな失礼極まりないことを考えてしまうが、御幸は野球のために青道へ進学した根っからの野球人だ。尊敬するプレーヤーが一人二人いたっておかしくない。

「ホントにすげー人だよ、クリス先輩は」

 聞けばシニア時代から注目していた捕手で、御幸が中学時代一度も勝てなかった相手らしい。
 珍しく柔らかい表情でそう語る様子見る限り、その先輩に対して心の底から信頼を置いていることがわたしにも分かった。
 甲子園という目標に向かってひたむきに練習に励む毎日の中で、尊敬する人物が身近に存在するということは幸せなことだろう。クラスメートには敬遠されがちで一匹狼のような存在の彼にもこんな一面があったんだな。それが分かっただけで何故だか嬉しかった。

 季節は初夏。太陽が頭上に高く昇り、少しずつ気温が上昇し始める夏大直前。そんな時期に、彼の尊敬するクリス先輩が肩を故障した。それから間もなくして一年生でありながら一軍入りを果たしていた御幸が正式に正捕手として任命されることとなり、言わずもがな、彼に対する風当たりはますます強くなった。


(20111010)

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