攻略不可の其れ

(高校3年春)


「悪いんだけど、1年の奥村ってやつのとこにコレ渡しに行ってくんねーか」

 新学期が始まってひと月と少し。昼休憩の残り時間が15分を切ったところで御幸から頼まれたのは、学年が二つも下の、しかも顔も名前も知らない後輩へのおつかいだった。

「なんでわたし…?」

 とは言いながらもわたしの右手は素直にスコアブックを受け取っている。なんて従順なんだろう。
 だけど疑問は晴れなかった。さっきも言ったが何故わたし?他に適任いるんじゃない?ていうか自分で行けば?
 次から次へと湧く疑問を胸に抱きつつ辺りを見渡してみるが今日に限って倉持がいない。なんなら他の野球部の姿もない。
 極め付けに「昼休憩中に渡す約束してたけどさっき急ぎで監督に呼ばれたんだよ」と、そう言われてしまっては返す言葉が見つからなかった。ハイハイ、消去法で残ったのがわたしだってわけですね、分かりました。

「助かるわー、じゃあ頼むな」
「なんかムカつく…わたし便利屋じゃないんだけど」
「便利屋じゃねーよ、彼女だろ?」

 ニッと笑いながらそう言われて喜んでしまうあたり、惚れた弱みというのは厄介だなぁと痛感する。我ながら単純だ。
 だけどその時の御幸が内心「コイツちょろいな〜」なんて思ってる事を、当然わたしが知るはずもなかった。









 昼休憩が残り10分程になった所で1年A組の教室に到着。そっと中を覗き込むと、それに気付いた数名が物珍しそうにわたしへ視線を向け始めた。
 うっ、と少し怯むもこれは想定内、むしろ当然の反応だ。真新しい制服に身を包みピカピカのローファーを履いている初々しい1年生に比べて、こちらは2年間着倒した制服とくたくたになりつつあるローファー。学年を伝えなくとも一目で上級生だと認識させてしまう。
 …なんて分かっていても、余所者が違うクラスに入るこの空気、どうも苦手なんだよなぁ…そんなことを考えながら、とりあえず近くにいた女の子に声を掛けてみる。

「ごめん、奥村くん呼んで欲しいんだけど…いるかな?」
「えっ、奥村くんですか!?」
「あっ、ハイ」

 何故か驚かれてしまい、それにつられてわたしも驚く。何、何なの、奥村くんってそんな珍しい人種なの?
 そういえば名前以外の情報を何も聞いてなかったなと、教室の中へ消えて行く女の子を見つめながら今更不安に狩られる。倉持以上のヤンキーだったらどうしよう、もしくはガリ勉オタクみたいな超絶陰気キャラ?
 奇天烈な外見を勝手に想像しつつ、胸に抱いたスコアブックをぎゅっと握りしめて俯いていると前方から足音が聞こえてくる。視界の端に彼のものと思われる足が見えて、恐る恐る頭を上げた。

「何の用でしょうか」
「あ…えっと、」 

 落ち着いた声を発しながら現れたのは綺麗な金髪頭の男の子。スモークブルーの瞳が印象的で、独特なオーラを放っていた。
 …あれ、もっとヤバそうなのが出てくるかと思ったけど普通に……っていうか、イケメンじゃない?いや、これはアレだ、美少年だ。そう思った。

「これ、御幸に頼まれて持ってきた」
「あぁ、そう言えば…ありがとうございます」

 彼、奥村くんは素直にそれを受け取ると、何を思ったのかじっとわたしの目を見つめてきた。ポーカーフェイスのせいで全く感情が読めないが、その瞳を見つめていると思わず吸い込まれそうな錯覚に陥ってしまう。
 機嫌が悪いのか、それとも…怒ってる?彼を纏う不思議な雰囲気に呑まれ、年下相手だというのに思わず怯んでしまった。

「…マネージャーでもない人がどうして…あなた先輩の何なんですか?」
「あぁ、なるほど…」

 確かにそうだよね、わたし野球部の関係者じゃないもんね。
 だけどここで素直に「主将の彼女です」と答えるのもどうなんだろうか。既に2、3年生には周知の事実だが、奥村くんはまだ入部して間もない1年生。わたしの口からそんなことを言ってしまったら御幸は主将として示しがつかなくなるのでは?
 ここは無難に「クラスメートです」にしよう。そう思った瞬間、奥村くんは一つの結論に辿り着いたらしい。「あぁ、」と自ら口を開いた。

「そうですか、子分ですか」
「なんでそうなる!ていうか君もか!」

 デジャブ!歴史は繰り返されるのか!
 思わずそう叫んでしまい、奥村くんは「何のことです?」と首を捻った。

「いや、去年沢村にも同じこと言われたんだよね…」

 ほぼ1年前の出来事を思い出しながらそう告げると、奥村くんはその端正な顔を酷く歪めた。聞けば沢村と同じ思考に至ったことがショックらしい。
 まぁ、その気持ちが分からなくもないけど失礼だな。一応沢村も先輩に当たるのに、君は本当に目上に対して敬意がみられないね。

「まぁいいや。とりあえず渡したから」
「はぁ…ありがとうございます」
「あと!わたし子分じゃないからね!!!じゃあね!」

 捨て台詞を吐きながら、未だ無表情の彼に手を振り教室を後にする。その間も周りにいた後輩女子たちはわたしを珍しそうに見つめながらコソコソ話を続けていた。
 奥村くんよ、君は一体クラスでどんな立ち位置にいるというんだ。先輩は君の高校生活が不安だぞ。








 謎の疲労感を感じながら教室へ帰ると、一足先に戻っていた御幸がわたしを待っていた。ちゃんと渡したよ、そう報告すると、何故かニヤけ顔を向けられる。

「どうだった、奥村」
「ん〜〜謎の美少年?っていうか不思議な子だね…沢村より礼儀はあったけど全く敬意を感じられなかったよ」
「はっはっは!だろ!?アイツ入寮日に初対面の俺にも睨み効かせてきたんだよ!面白いだろ!?」

 わたしの返答が余程ツボだったのか、御幸は腹を抱えて笑い始めた。何、どういう事?沢村だけじゃなくて御幸にも生意気だったってこと?
 そういうことは最初に言っておいて欲しいと、先程の一連の流れを思い出して憂鬱になった。

「…もしかして遊んでる?」
「そんなわけねーだろ」

 とか言いながら楽しそうなのがまたムカつく。ほんと根っからの悪代官だ。性悪だ。腹黒だ。
 残り少ない高校野球生活をとことん楽しんでやろうという目論みが隠しきれていないよ主将さん。
 楽しむのは勝手だけど、わたしを巻き込もうとするのはやめてくれ。

「あいつもキャッチャーなんだよ」
「ふぅん…」

 同じポジションなんだね。そんな事を考えながら軽い相槌を返してみる。御幸の表情からは、それ以上の意図が読めなかった。

 何の因果か顔見知りになってしまった彼の名は、奥村光舟くん。御幸のルームメイトである1年生。ポジションはキャッチャー。
 その瞳の奥でひっそりと火が付いた感情を、その時のわたしはまだ、知らない。


(20210130)

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