反動形成の果て

(高校3年春)


 全ては彼の掌の上。
 気付いた時にはもう手遅れ。
 いつだって策士の手で踊らされているのだ。

「なぁ〜朝っぱらから何イライラしてんだよ」
「自分の胸に聞いてみたら?」

 新学期初日、結局3年間同じクラスになってしまった御幸とエンカウント。顔を合わせた瞬間素っ気ない態度を取ってみせたものの、その意図は彼に伝わらなかったらしい。

『さすがに3年連続で寝坊はマズいから、明日の朝のミーティング前に電話して起こしてくんない?』

 青道高校野球部の新チーム発足前日、4月4日の夜のこと。確かにわたしは電話でそう頼まれた。
 新入生に示しをつける主将としての大事な初日だ、過去二度に渡る失態を再び繰り返させてはいけない。その決意を胸に、彼の要望通り早起きしてモーニングコールを実施した。

 なのに何度かけても出やしない。まさか3年連続遅刻決定!?ていうかルームメイトの木村くんはキャプテンを見捨てたのか?
 そんな不安を抱えながら、5回目のトライでやっと電話が繋がった。あぁ、良かった、と安堵したのも束の間。

『良かったー、起きた?』
『…ったく……朝から何?うるせぇ……』

 通話口から聞こえてきたのは寝起き特有の、低音でキレ気味の文句だった。
 そして今に至る。

「ねぇ、電話して起こしてくれって言ったの誰だっけ?」
「あー、それは、その……」
「信じらんない、どうせ頼んだ事忘れてたんでしょ」
「はっはっは」

 否定も肯定もせず笑って誤魔化すということは後者に違いない。まぁ、そうなる理由も分からなくもない。寝起きは低血圧で頭が働かないこともあるさ、人間だもの。でも、それなら覚醒したあとに「さっきは悪かった」と素直に謝ったって良くないか?それすら行わずこうして顔を合わせるまで音沙汰なし。挙げ句の果てには笑って誤魔化して終わりと来た。これが腹を立てずにいられるか。

「お、お邪魔します…」

 そんな険悪ムードの中、申し訳なさそうにやってきたのはスコアブックを抱えた渡辺くんだ。気まずい顔で御幸の席へ近付いてきたので一応ニコリと笑いかけておく。
 あなたはいいのよ渡辺くん、わたしがムカついてるのはそこのメガネただ一人だから。

「何だよ、喧嘩かぁ?」

 だけどそこに口を挟んでくる倉持は、謙虚な渡辺くんとは違って何が面白いのか意地が悪そうにニヤついている。そんなのいつものことなのに、今日に限って「放っといて」なんて突き放してしまったのが間違いだった。

「御幸ー!お前が野球にばっか夢中になってっから苗字が拗ねてんぞー」
「はぁ?違っ、」
「チューして欲しいってよ」
「言ってないから!」
「バカかお前、こんなとこでンな事できるかよ」

 適当なことを並べる倉持に腹が立って思わずムキになってしまうが、御幸はスコアブックを見つめたままだるそうにそう呟く。なんでわたしがフラれたみたいになってんの?どいつもこいつもホントに自分勝手だな。いい加減にしろ!

 落とし所のないこの怒りをどうしてくれようか。歯を食いしばりながら御幸を無言で睨みつけていると、データ分析を手伝っていた隣の渡辺くんが苦笑する。巻き添えにしてごめんよ、渡辺くん。だけど今日はどうにも腹の虫がおさまらない。出来ることならその憎いメガネをぶんどって窓から外へ放り投げたいくらいだ。
 そんなことを考えていると不意に御幸が顔をあげた。バチッと視線がぶつかる。

「分かった分かった、オフの日にチュー以上のことして腰砕けにしてやるよ」
「な…」

 いきなり何を言い出すこの男!ぎょっとして固まっていると、傍でやりとりを聞いていた一部のクラスメイトが口笛を鳴らして囃し立てる。いやいや、ヒューじゃないから!

「あ、照れてやんの。かーわいー」
「〜〜〜っ!!!」

 口角を上げてニヤニヤ笑う顔に、またしてもはらわたが煮え繰り返る。
 キス以上のことなんて一度もしたことがないというのに何が腰砕けだ。よくもまぁそんなデタラメなことが言えたな!腹の中でそう叫んでみるも、ここで実際に怒鳴ってしまえば相手の思うツボだ。我慢だ我慢、耐えろ自分。

「御幸、冗談抜きでホントに性格悪いよ…」
「はっはっは」

 さすがに可哀想だと思ったのか、不憫だと言いたげな目をした渡辺くんがそう呟いて思わず泣きそうになった。

 もう味方は君しかいない。渡辺くん、もっと言ってくれ!


(20210126)

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