刺客はまさかの君でした

 御幸が一軍を離れて約三週間。身体を休めつつ、無理のない程度に体を動かし始めた秋の終わり。本人曰く気分転換になるからと言う理由で、クリス先輩の通うトレーニングセンターに足を運ぶことが増えたらしい。
 尊敬する先輩が部を引退した後に二人きりでじっくり話をする機会なんてそうそうあることじゃない。だから御幸が最近楽しそうに見えるのは、決して気のせいなんかじゃないと思う。

「今日もクリス先輩のとこ行くんだっけ?気をつけてね」
「お前は?もう帰んの?」
「んー、今日は買い物してから帰ろうかなって思ってる」
「なら丁度いーや、タクシー拾うから大通りまでちょっと歩こうぜ」

 放課後、いつものように会話しながら昇降口へ向かう途中で予想外の誘いを受け、思わず足を止めてしまう。それに気付いた御幸は、カバンを掛け直しながら不思議そうにこちらを見つめた。

「いいの?」
「何が」
「いや、リハビリに向かうためとはいえ部活に顔出さずにわたしと歩いてるとこなんか見られたら、周りになんて言われるか…」
「あー、そういうこと?公衆の面前で泣きながら抱きついてきた奴が今更なーに言ってんだ」

 はっはっは!と悪気もなく笑う様子に思わず無言で睨み返す。こないだ沢村にもイジられたんだから、ほんとにもうそのネタは辞めてくれ…!腹の底からそう後悔の念を絞り出すと、御幸は苦笑まじりに口を開いた。

「別に悪いことしてるわけじゃねーし。いーんだよ、もう気にすんな」

 ほら行くぞ、と足を進める御幸の背中を慌てて追い、駆け足で隣に並ぶ。校舎の外に出ると冷たい風がひゅうと頬を撫で、思わず目を瞑った。落ち葉が舞い上がるたびに独特の香りが鼻をくすぐり、冬の訪れを知らせていた。









「キャプテン代理の倉持は変わらず順調なんだっけ?」
「まぁな、俺の時と全然違う雰囲気になってるけど…」
「元ヤンだから仕方ないよね、掛け声がアレだし」
「もうアレはどっかのヤンキー野球漫画だぞ」
「ははっ、ルーキーズ?」

 こうして隣に並び、二人きりでゆっくり話をするのは久しぶり。確か、あの告白の夜が最後だった。
 もしも御幸が野球をしてなかったら毎日こんな感じなのかな、なんて想像してみるが、もしもそうだったらそもそも青道で御幸と出会ってなかっただろうし、こうして肩を並べることもなかったはずだ。そんなくだらない仮定は無意味だと思い、現在の進捗状況に話題を戻すことにする。

「で、リハビリの方は?」
「無理すんなって言われてるけど、痛みもねぇしだいぶ戻ってるよ」
「そっか。クリス先輩は?元気そう?」
「おー、あの調子なら大学でしっかりプレーできると思うぜ」

 そう言って笑う御幸はやっぱりどこか嬉しそうで。自覚があるのかどうか分からないけど、予期せぬ怪我のため、不本意とはいえこうしてリハビリに通う時間を楽しみにしてるんだと改めて思った。

「自分が実際に怪我してみて色々思うことがあったけど…クリス先輩の話聞いてると、やっぱあの人には敵わねーって思ったよ」
「どしたの、珍しく弱気じゃん」
「はぁ?お前が弱音吐いていいって言ったんだろ」

 少し照れ臭そうに口を尖らせる様子を見て思わず面食らう。過去の発言の数々を思い出しながらハッとして、そう言えばそうでした。そう告げると「しっかりしてくれよ俺の彼女」とつっこむ御幸に対し、はは、と笑って誤魔化すしかなかった。
 彼女?彼女か。彼女ですね、わたし。改めてそう言われるとやっぱり照れくさいな。

「他には?何か言うことない?」
「はぁ?何だよいきなり…」
「この際だから何でも聞いてあげますよ、それくらいしか出来ないからね」

 大通りに面したところまで足を進めたことに気付き、そろそろ別れが近付いてきた。
 放課後に二人きりでゆっくり話をする機会なんて滅多にない。偶然とはいえ、こうして貴重な時間が出来たんだ。せっかくだから有効に使おう。
 我が身を捧げるつもりでそう提案してみせると、御幸は身体を預けるようにしてわたしの右肩に自分の頭を乗せてきた。

「あー…離れたくねーなぁ」
「は?」
「もう少し一緒にいたいなって言ってんの」
「な、何、急に」
「俺もなんだかんだ男だからな、やっぱ傍にいると欲が出ちまうんだよ」

 預けていた頭を上げ、わたしを見つめながらふっと優しく笑う様子に思わず目を奪われる。欲が出るとはどういう意味だろう。それを考えると自然と顔に熱が集まった。
 戸惑っていると、わたしを安心させるように腕を引かれて手を握られる。冷たくなった掌を温めるように、御幸は自分のそれでわたしを包み込んだ。

「今は野球が一番だけど、苗字のことも大事にしたいと思ってんだからな」
「…うん、ありがと」

 現状に不満があるわけじゃないし、むしろ満足し過ぎてるくらいだ。だけど御幸がそう言ってくれるなら、素直に受け止めておこう、そう思った。
 それが聞けただけでもう充分だよ。そう続けながら、御幸の掌をぎゅっと握り返した。

「じゃ、気をつけてね」

 手を上げてタクシーを停めた御幸に声をかけ、乗り込もうとする背中を見つめているとなんだか名残惜しい気持ちになってしまう。まんまとさっきの言葉に釣られたな、なんて思いながら死角で自虐の笑みを浮かべていると、御幸が突然こちらに振り返った。

「苗字」
「何、っ」

 腕を引かれて抱き寄せられたかと思えば驚く間もなく不意打ちのキスを食らっていた。あまりに一瞬すぎるその出来事。満足げに離れていく御幸とは裏腹に、わたしは何の反応も出来ないままだった。

「じゃーな、行ってくる」

 ニッと笑う御幸はそのままタクシーに乗り込んで颯爽と去ってしまった。残されたわたしは、ただ呆然とそこに立ち尽くすのみ。
 こんな道のど真ん中でいきなり何てことをしてくれるんだあの男は。恥ずかしさと嬉しさでキャパオーバー、感情が追いつかなくて死にそうだ。
 口を開けばイヤミばかり言っていた過去の御幸を思い返してみると、ギャップがデカすぎてとてもじゃないが耐えられない。もしも時空を超えられるのなら去年の自分に伝えてみたい。あの御幸が、あんな顔してわたしにキスするまでになるなんて果たして信じてくれるだろうか。

「なんて男だ…」

 今のままで充分満足、そう思ってたはずなのに。今のはデレの部分が強すぎて、これじゃあお釣りが大量だ。
 惚れた弱みというのはこんなにも恐ろしいのか。彼氏ってすごい。
 たったキス一つでこの男に殺されてしまう、そう思った。


(20210112)

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